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41.少年と友達

 

「相変わらずヘッタクソな絵だナ~~」


 魔物と出会ってから数日。


 アルスの日常は、目に見えて変わっていた。

 朝になればこっそり家を抜け出し、森へ行く。川辺へ行く。丘へ行く。そして今日もまた、生き物の観察と称して村のあちこちを歩き回っている。


 ただ一つ、今までと決定的に違うことがあった。

 肩に掛けたカバンの中から、小さな赤い顔がひょこりと覗いているのだ。


「うるさい、ヘタじゃない」


 アルスは歩きながら、開いたままのメモ帳を不機嫌そうに見下ろした。

 そこには今日見つけた小鳥のスケッチと、隣にアルスなりの適当な特徴のメモが並んでいる。

 しかし、相棒の評価は容赦がなかった。


「まァ少しずつうまくなってきてるナ。俺様の事もその調子で、もっとかっこよく描けるようになってくれヨ~」


「レッドは、ちゃんと見たまま描いたってば」


「そんなわけねェ! へにょへにょじゃねぇカ!!」


 カバンから半身を乗り出し、メモ帳に描かれた自分のスケッチを見て小さな爪でとんとん叩いて騒ぐ。

 絵の中のレッドは、丸っこくて、お腹が出ていて、どこか間抜けな顔をしていた。


 アルスとしては威厳を持たせて頑張ったつもりだったが、本人は大不満らしい。

 そんなやり取りをしていたレッドが、ふと首を傾げた。


「ってか、レッドってなんダ」


「最初に自分で言ってたじゃん。レッドのけいしょうしゃ、って」


「あァ……あれは名前じゃなくテ、なんていうか……一族のことっていうカ……」


 レッド自身も、言葉を探すように宙を見つめた。

 まだ記憶は曖昧だ。

 世界の理のような何か重要な事を知っている気はするのに、掴もうとすると指の隙間から砂のように抜け落ちていく。


「じゃ、なんて名前?」


「ねぇヨ。名前なんてつけるの人間くらいだロ」


 当然のように鼻を鳴らす。

 それに対してアルスは、少しだけ考えてからあっさりと言った。


「じゃあ、レッド」


「別に好きに呼べよナ。名前がないと困るなんて、人間ってのは不便な奴らだゼ!」


「名前ないと誰だかわかんないじゃん」


「アルス~?」


 そんな肩越しの会話の途中、突然聞こえた声にアルスの背筋がビクッと跳ねた。

 一番聞き慣れていて、今一番聞きたくない声。


「やばっ、ママだ!」


「ふぎゅァッ!?!?」


 慌ててレッドの丸い頭を掴み、強引にカバンの奥へ押し込む。

 抗議のくぐもった声が聞こえた気がしたが、構っていられない。

 振り返ると、次の瞬間には母が家の方からエプロン姿で歩いてきていた。


「あぁ居たわ。あんた、まーた窓から外に出たわね!? それやめなさいって言ってるでしょ!」


 腰に手を当て、アルスの頭にゴツンとげんこつを一発。

 アルスは頭を抑えながら「ごめんなさい……」と、何度目かになる平謝りをした。

 何度言っても聞かない我が子に嘆息しつつも、母は気を取り直してアルスの小さな手を引く。


「パイを焼いたからそろそろ帰ってらっしゃい。今日のはうまくできたわよ~」


「わ、わかったよママ……」


 アルスは引きつった笑顔で返事をする。

 すると母はそんな様子を不審に思ってか、「ん?」と首を傾げて覗き込んできた。


「今日はやけに素直ねぇ……いつもなら『もうちょっと後でー』とか言って言う事聞きゃしないのに」


「そんなことないよ! お腹すいたから!」


 慌てた声が裏返る。

 怪しまれた気がして、アルスの額にツァッと冷や汗が流れた。


(コンニャロウ……後でパイ寄越せヨ!)


 カバンの底から、小さな恨み言が振動で伝わってくる。

 幸い、母には聞こえなかったようだ。


 ……それからというもの、アルスは事あるごとにレッドを隠しながら生活するようになった。


 けれど、相手は生き物である。

 しかも、かなり食い意地の張った自由な生き物だった。


「あら? ねぇアルス、ここに置いておいたリンゴ知らない?」


「えっ!? し、しらなーい……」


 昨日は戸棚の干し肉が消えた。

 その前は焼きたてのパンが半分消えた。

 一昨日はなぜか庭に、きれいに平らげられた魚の骨が落ちていた。


 アルスは必死に知らないふりをしたが、犯人は明白だった。

 そのたびにレッドを連れて森へ逃げて、説教して、レッドが「悪かったヨー」と申し訳なさそうにするのを見て、結局許してしまう。


 だが、メシを貢いだ代わりに、約束通りアルスはたくさんの話を聞くことができた。


 気高きドラゴンのこと。

 不思議な魔物のこと。

 そして、この広い世界のこと。


「まだぼんやりとしか思い出せねェけどナ、人間と一緒に狩りをする魔物がいたリ、一緒に遊ぶ魔物の子供がいたり、なんかそんな景色を見た事がある気がするなァ」


 気付けば空は、燃えるような赤に染まり始めていた。

 森の向こうへ沈みかけた太陽がドレイクヒルの村を橙色に照らし、遠くの家々からは夕飯の支度をする煙が細く空へ伸びている。

 いつの間にか、今日もこんな時間になっていた。


 沈んでいく太陽を背に丘の上に寝転び、レッドは遠い空を見上げている。

 赤く染まる空を見ながら話すその姿は、いつもの生意気な調子とは少し違って見えた。


「へぇ……」


 レッドの話に、アルスは毎度目を輝かせっぱなしだった。

 元々知らない生き物の話を聞くのは好きだったけれど、レッドの話はそれとは少し違う。

 自分の知らない遠い遠い昔の世界を、魔法の絨毯に乗って一緒に見ているような気がした。


「でも、今の世界はそういうのがねぇのナ」


「聞いた事ない」


 アルスは寝転がったまま、首を横に振った。

 魔物は怖いもの。人間の敵で、危ないもの。子供のアルスだって、それくらいは知っていた。

 特に知能の高い個体とくれば、狡猾にして残忍だと大人は言う。

 村にたまに訪れる街からの行商人が届ける新聞には、毎回のように魔物の被害にあう集落や街の凄惨な様子が、痛々しく報じられていたのだ。


「魔物は危ないのが多いから、できるだけ近寄るなって。ママも言ってる。この間ブレイズって街で、おっきな魔物の調査団? ができたって言ってたっけ……よく分かんないけど」


「俺様どんくらい寝てたのか知らねぇケド、なーんか起きる前よりつまんなくなっちまった気がするゼー」


 アルスはしばらく、無言で赤く染まる空を見上げた。

 村の大人たちは魔物をひどく怖がる。

 新聞に載る魔物も恐ろしいものばかりだ。


 でも、隣で欠伸をしているレッドを見ていると、そんな残酷な現実がどうにも結びつかない気がするのだ。


「レッドは、危ないの?」


 だからアルスは、少しだけ迷ったけれど、ふと聞いてみたくなったのだ。


「アー?」


 レッドは気の抜けた声を出し、空中で寝転がったまま片目だけを開けた。

 何を今更過ぎる事を、と些か拍子抜けな質問に肩透かしをくらった気分になった。だが、視線の先にいたアルスはさっきまで笑っていた顔を少し曇らせていた。

 空を見上げたまま、どこか言いづらそうにしている。


 レッドは数秒黙った。

 それからようやく、あぁ、とでも言いたげに鼻を鳴らした。


 どうやらこの小さな人間は、随分と余計な事を考えているらしい。

 そもそも、俺様が本当に危なかったら、お前は初日にとっくに食い殺されている。全く人間の子供の危機感のなさったらどうしようもない。


 いや、こいつが特別おバカなだけか。


「そりゃ俺様はすんごい強いゼ! おめぇなんか一口でぱくーだァ!」


 言うなり、レッドはひらりと飛び上がった。

 小さな翼をぱたぱた動かしながらアルスの胸の上へ飛び乗り、そのまま腕にがぶりと噛みつくふりをする。


 当然、本気で噛む気などない。

 歯が触れるか触れないかくらいの優しい力加減で、わざと大げさに「ガウガウ!」と唸り声まで上げてみせる。


「あははっ! くすぐったいよレッド!」


「ケッ! 本当に強いヤツはな、弱いヤツには優しいんだヨ。覚えとけよナ」


「あはは……そうなの?」


 目じりに涙を浮かべて笑いながら、アルスも一緒に丘の草の上に寝そべる。

 記憶があいまいとはいえ、レッドは今の人間と魔物の断絶した距離感を、なんとなくではあるが察していた。

 遠い記憶のような、人間と魔物が肩を並べて笑い合っていた景色はもうない。それどころか、魔物除けなる忌々しい物が村のいたる所に点在している始末だ。


 しかし、魔物が人間にいくら嫌われていようとも、自分の中で守るべき絶対の矜持というのは、遥か先代からずっと決まっている。


「強いヤツは弱いヤツを守って、弱いヤツは強いヤツに貢ぐ! それが当たり前ってやつだゼ!」


 レッドは胸を張って言い切った。

 もう既に何度も見た、自信に満ちた偉そうな表情。

 継承を繰り返すたびに記憶を飛ばしている身ではあるが、自分の魂の芯というのはそう簡単に変わらない物だと、少なくともレッドは信じていた。


 アルスにはその意味がいまいち分からない。

 けれど、その時だけは、レッドの言葉が不思議と冗談には聞こえなかった。


 アルスは少し考えたあと、太陽みたいな笑顔を向けた。


「そうなんだ……じゃあ、僕がレッドを守ってあげなきゃね」


「逆だ逆!! おかしいだろオマエ!!」


「あははっ! だってレッド、僕より全然ちっちゃいじゃん!」


「なめんなボケー!! マジで食っちまうゾ!」


 笑いながら丘の草むらを取っ組み合って転がる。

 赤く染まった空の下、ぬるい風が草原を波のように揺らしていた。

 村へ帰る鳥の群れが、仲良く頭上を横切っていく。


 美しく燃える夕焼けの丘には、二人の明るい笑い声がいつまでも響いていた。


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