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40.ドレイクヒルの少年


 王都からは遠く遠く離れた秘境の村。

 魔機の普及が王都でようやく始まったような、そんな時代に。


「村の外へは危ないから行っちゃだめよ、アルス」


「え~~~~」


「えーじゃないの」


 困ったように笑いながら頬を撫でてくれる母を前に、アルスはぷくっと不満げに頬を膨らませていた。

 けれど、その言いつけを守ったことは一度もない。


 少年アルス、十二歳。

 森に囲まれた小さな村『ドレイクヒル』で産まれた少年の好奇心は、村を囲む頼りない柵よりもずっと広く、空よりもずっと遠くまで飛んでいっていた。


 アルスは村の隅から隅まで歩き回り、生き物の観察に明け暮れる……そんな、田舎にはよくいるわんぱくな子供だった。

 川辺で水切りの石を探すついでに魚の鱗を眺め、森で鳥の巣の構造を調べ、虫や小動物を見つけては時間を忘れてスケッチブックに描き留める。

 知らない世界に触れるたび、小さな胸がはち切れそうなほど躍った。


 世界には、自分の知らない生き物がまだまだたくさんいる。

 そう思うだけで、夜も眠れないほどワクワクして、じっとしていられなかったのだ。


 その日もアルスは、親の目を盗んで柵を越え、気付けば見たこともない場所まで足を伸ばしていたらしい。

 鬱蒼とした森の木々が少しずつ開け、その先にぽつぽつと、人工的な建物の影が見えてくる。


「……たてものだ」


 思わず声が漏れた。

 そこには、小さな村の跡があった。ドレイクヒル以外の村を見たのは、アルスにとってこれが初めてである。


 だが、どこかおかしい。

 家は崩れ、苔生した屋根は落ち、境界を示す木の柵は腐り果てて土に還りかけている。


 誰もいない。

 虫の音すらなく、ただ冷たい風だけが吹き抜けていた。


「ぼろぼろのおうち……」


 まるで時間だけが、ここを置き去りにしていったようだった。

 人が暮らしていた生活の匂いがあるのに、人の存在だけが不自然なほど綺麗に消え去っている。


 ひどく不思議な場所だった。


 怖い。という感情よりも先に、アルスの足は「なんだろう」という好奇心に背中を押されて前へ進んでいた。


「……」


 きょろきょろと見渡しながら、廃村の中をゆっくりと歩く。


 倒れて文字が読めなくなっている錆びた看板。

 枯れ果て、石が崩れた井戸。

 高く伸びた雑草に埋もれた石畳の道。


 そして──


「きれい……」


 ある廃屋の影で、思わず足が止まった。


 崩れた建物の隙間から真っ直ぐに差し込む一筋の陽光を受け、巨大な一つの『琥珀』が静かに輝いていた。

 握り拳ほどの大きさの、透き通った黄金色の石。

 その中心部が、まるで炎をそのまま閉じ込めたみたいにチロチロと揺らめいているように見えた。


 こんなに綺麗な石は見たことがない。

 アルスは吸い寄せられるように近づき、無意識にその小さな手を伸ばし──


「っ……!?」


 指先が触れた瞬間。

 琥珀の内側で、炎が爆発するように強く輝きだした。


「わっ……! わっ……!!」


 突然の事態に、アルスは慌てて両手を伸ばす。

 表面にピキッ、と無数の亀裂が入り、ひび割れた琥珀の欠片がぱらぱらと零れ落ちる。アルスはそれを取りこぼさないよう、必死に両手でお椀を作って受け止めた。

 まるで卵が孵るように、亀裂はみるみるうちに大きくなっていく。


 やがて光がゆっくりと収束していき──そして。

 視界を焼く輝きが元に戻る頃には、アルスの小さな両手の中で、不思議な生き物がスゥスゥと寝息を立てて丸まっていた。


「わぁ……」


 感嘆に、思わずほうっと息が漏れる。

 腕の中の生き物が少しだけ身動ぎして、硬い鱗の感触がくすぐったい。


「……きみ、なに?」


 思わず呟く。

 ぱっと見は赤いトカゲだったけれど、明らかにただの動物とは違う、圧倒的な存在感を放つ『何か』がある。


 背中に生えた、蝙蝠のような小さな翼。

 宝石のように艶やかな赤い鱗。


 そして、尻尾の先から微かに揺れている、本物の炎。


 生き物や動物と共にここまで育ち、一心不乱に観察を続けてきたアルスには、それが普通の動物の特徴ではない事が一目で分かった。


「……魔物だ」


 魔物。

 動物とは違う、不思議で恐ろしい存在。

 村の大人たちが「絶対に近づいてはいけない」と口を酸っぱくして言う、未知の生き物。


 アルスが観察してきた生き物の中でも、特別中の特別な存在だった。

 やがて、小さな魔物がゆっくりと目を開く。


 ぼんやりとした赤い瞳がアルスを見上げ、ぱくぱくと口を開いた。


「……人間、カ?」


「わっ……わっ! 喋る魔物!」


 アルスの目が、満天の星空のように一気に輝いた。

 秘境の村で見つかる魔物の種類は少なく、そもそも危険だからと遠ざけられてきた。

 当然、人間の言葉を流暢に喋る魔物なんて、おとぎ話の中でしか知らない存在だった。


「なんか……すごい長く寝てたような気がするナー……オイ人間……俺様はどれくらい寝てタ……」


「わかんない。……ねぇ、どうやって出てきたの? あれってきみの卵?」


「卵……? 俺様たちにそんなもんねェ──」


 寝起きでひどくしゃがれているが、魔物の声は小さな人間の男の子のようだった。

 まだ眠そうな目を瞬かせながら、アルスの腕の中で辺りを見渡している。


 しかしやがて、魔物の小さなお腹の辺りから、くぅぅ……と情けない音が鳴った。


「それにしてもなんにもないとこだなァ。おい人間! 俺様は腹が減ったゾ。なんか貢ゲ」


「エサ? トカゲのエサかぁ……おうちに何かいいのあったかなぁ」


「トカゲじゃねェ俺様ハ! 誇り高きレッドの継承者ダ! あんま無礼だと焼くぞコラ!!」


 ぴぃ、と。

 怒りに任せて口から出た火は、ロウソクの火よりも驚くほど小さかった。

 怒っているのに全然怖くない。

 むしろ、一生懸命小さな身体を大きく見せようとしている姿が妙に可愛くて、アルスは思わずぷっ、と吹き出した。


「なんだヨ!」


「ご、ごめん。でもなんか……かわいくて」


「カワイイ言うナ!!」


 顔を真っ赤にして怒る魔物。

 いや、元々鱗まで赤いので、実際には変わっていないかもしれない。

 そんな事を考えておかしくなり、アルスはへへっと笑った。


 また勝手に村の外へ出たことが母にバレれば、今度こそ大目玉を食らうだろう。

 それでもアルスは魔物をそっと服の中に隠し、こっそりと村の自宅へ戻った。


 この魔物が何を食べるかは分からないが、口の中を見る限り恐らく肉食か雑食性だろうと、台所にあった作りかけの干し肉をこっそり持ち出して与えてみることにした。


「はい、お肉食べる?」


「んめェ。でも足りねェ」


 レッドと名乗った魔物は、固い干し肉を一瞬で平らげ、ぽっこり出たお腹を撫でながら舌なめずりする。


「肉食なんだねぇ」


 アルスは慌てて首から下げていたメモ帳を取り出した。

 目の前の魔物とメモを交互に見ながら一心不乱にペンを走らせ、時折ぐりぐりと塗りつぶすような動かし方をする。


「なに書いてんダ?」


「スケッチと、メモだよ。パパが言ってたんだ。好きなものはこうやって絵に描いて、じょうほう? を書くんだって」


「ぶはは! ヘッタクソだなァ! 俺様がそんなぐちゃぐちゃな見た目なわけないダロ!」


「下手じゃないよ! 見たままだもん!」


 お腹を抱えて嘲笑う魔物に、アルスは真っ赤になりながら抗議する。

 スケッチを分かりやすく広げてみせるが、確かにお世辞にも上手いとは言えない──よく言えば、子供らしい想像力に溢れた絵柄であった。


「んでも確かに、物知りで偉そうな人間が昔そんなことしてたようナ……まだ記憶があいまいだなァ」


 何かを想起するように目を閉じる魔物がそう言うと、頬を膨らませていたアルスの目が、再び強い好奇心の色に変わる。


「昔? 昔ってどういうこと?」


「俺様みたいな継承者は、先代から記憶を受け継いでるのサ。まぁ色々思い出すのに時間かかっちまうケド……それまではのんびり自由に生きるゼ」


「けいしょう……」


「要するに、俺様が実はすごーく昔から生きてル、最強の生き物ってコト!」


 ふふんっと胸を張るレッドに、アルスは目を丸くした。

 魔物はやっぱり不思議だった。

 動物とも、人間とも全然違う。知らない事ばかりだ。


「魔物って本当に、他の動物とは全然違うんだなぁ」


「魔物って、俺様のことカ?」


「そうだよ。動物っぽいけど違う、不思議な生き物。こういうのとか、こういうのとか」


 言いながら、今まで描き溜めてきたスケッチを次々と見せる。

 しかし、姿の全容が伝わりそうでいまいち伝わらない独特なクオリティの絵を見ていくにつれ、魔物は口をもどかしそうにへの字に曲げた。


「ヘチャクソ……でもなるほどナ、こういうのカ。へ~人間はこいつらの事、魔物って言ってたんだナ」


 小さな翼をはばたかせ、器用に宙に浮きながら魔物が頷く。


「覚えてるようナ、覚えてないようナ」


「ねぇ、けいしょうしゃってなに? なんでそんなことするの?」


「オマエ、質問ばっかりだなァ」


 魔物は短い腕を組み、小さく唸る。

 目の前の小さな人間の子供は、世界のことなど全く何も知らないのだろう。

 しかし、知的好奇心の旺盛な子供だ。変に打算的な賢い大人よりも、こいつを利用すれば、自分は安全に腹を満たしながら記憶を全て思い出せるかもしれない。


 少し考えてから、魔物は不敵な顔をした。


「イイゼ、質問に答えてやル。その代わりオマエ、俺様にメシをガンガン貢げヨ。貢ぐたびに、一つ質問に答えてやるからナ」


「ほんと!?」


 アルスの目が星のように輝く。

 ……が、次の瞬間、現実を思い出したように顔が曇った。


「あ……でもあんまりお肉取ると、ママにバレて怒られるかも」


「じゃあ答えらんねぇナ」


「う……が、がんばって探してくる! きみなに食べられるの!? それだけ教えて!」


「しょ~がねぇなァ~」


 魔物が偉そうに胸を張り、アルスはまた慌ててメモ帳を開き、目をキラキラと輝かせた。


 その日からアルスと小さな竜の、大人には誰にも知られない、秘密の同居生活が始まる。


 やがてドーラ王国において重要な文化保護区域となるこの村、ドレイクヒルで。

 事故が起こる、約一ヶ月前の事であった。

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