27.おもてなしと青年・その2
ミーティアの先導で、アルスたちは村の一角へと向かっていた。
石畳のない土道には、家々の窓から漏れる穏やかな橙色の灯りがぽつぽつと落ちている。山間の村らしい静けさの中にも、確かな人の営みの温度が感じられる時間帯だった。
やがてミーティアが立ち止まった先には、ひと際大きな年季の入った木造家屋があった。
入り口には立派な暖簾が揺れ、窓からは賑やかな声と、香ばしい匂いがひっきりなしに漏れ出している。話によれば、ここはミーティアの母親が切り盛りしている酒場らしい。
宿だけでなく立派な酒場まである辺り、昨今のヒヒイロという村が観光客を見越して発展してきた事がよく分かる。今は閑散としているものの、本来は温泉目当ての旅人が多く訪れる場所であり、特に冬には雪景色の中に現れる珍しい野鳥を見るため、遠方からも客が来るのだとミーティアは教えてくれた。
そんなのどかな景色を思い浮かべながら暖簾をくぐると──。
店内には、予想を遥かに超える数の村人たちがひしめき合っていた。
「ああ、博士様。ようこそいらっしゃいました。突然のご招待になってしまい、申し訳ありません」
出迎えてくれたのは、昼間に事情を説明してくれた村長の娘──ソフィアだった。
彼女はきっちりとした身なりのまま、穏やかな笑みを浮かべて深く頭を下げる。
「あまり綺麗な店じゃなくてごめんなさい、どうぞどうぞ広い所に!」
「あのお兄ちゃんたち、だれー?」
「パパとお兄ちゃんを取り返してくれる、王都の研究家様よ」
店の中は熱気に満ちていた。
好奇心旺盛な子供たちがアルスたちの周りを駆け回り、奥では店員らしき女性たちが慌ただしく料理を運んでいる。
ジュージューと肉の焼ける音、香草の香り、そして少し甘い酒の匂い。様々な生活の熱が入り混じった空間は、寒さの厳しい外の空気とはまるで別世界のようだった。
「すっご……ミーティア、これもしかして村のみんなが?」
「う、うん。みんなすっごい張り切っちゃって。特にお母さんが……」
「おばさまが?」
「そうよぉ、言い出したのも私だもの!」
その言葉に反応するように、厨房の奥から快活な声が飛んできた。
湯気をかき分けて現れたのは、恰幅の良い女性だった。長い髪を手拭いで無造作にまとめ上げ、腕まくりをしたその姿は、料理人というより熟練の職人に近い。堂々とした立ち姿には、長年この酒場を女手一つで切り盛りしてきた逞しさがそのまま刻まれているようだった。
「っ……! おばさま! 久しぶり!」
エスカの表情がぱっと明るくなり、次の瞬間には勢いよく婦人の胸へ飛び込んでいた。
しかし、傭兵であるエスカが全力でぶつかっても、婦人はびくともしない。むしろ豪快に笑いながら、大きな手でその背中をバンバンと叩き返す余裕すらあった。
「久しぶりね、エスカちゃん。見ないうちにずいぶん逞しくなっちゃって!! ……傭兵やってるんですって?」
「うん、今回はこの人の護衛として来たの。あたし達に任せて、おばさま」
「無理はするんじゃないよ……あんた、昔っからそそっかしいんだから」
身内に対するような温かい小言に、エスカは少し照れたように笑った。
「エスカさんは、元々ヒヒイロの生まれなんだっけ」
アルスが自然と浮かんだ疑問を口にする。
「そうよ。まぁ、あたしだけちょっと事情があって……今はブレイズにいる親戚のお世話になってるんだけどさ」
「なるほど。そういうことか」
「貴方とガーディールはずっと王都暮らしだったの?」
エスカが今度は二人へ視線を向ける。するとガーディールが、苦笑しながら首を横に振った。
「生まれも育ちも王都なのは俺だけだな。アルスとは大学から知り合った仲だ。……つっても専門も違えば、課外活動も全く被ってなかったがよ」
「ふーん。……にしてはやけに仲良いわよね」
「色々あったんだよ、色々な」
「な、なによ。気になるわね……」
含みを持たせるようなガーディールの言い方に、エスカはますます興味を惹かれたようだった。
アルスはそんな二人を横目に、どこかくすぐったい気持ちになる。出会いを思い返せば確かに色々あったが、それを今ここで語るには夜が長くなり過ぎる。
ちょうどその時だった。
ぱんっ、と。
手を叩く小気味良い音が店内へ響く。
「さてさて! それでは主役にもお越しいただきましたし、早速始めましょうか!」
ソフィアが場を取り仕切るように声を張った。
柔らかさの中にも芯が通っており、自然と人の視線を集める力がある。賑やかだった店内は水を打ったように静まり返り、やがて全員の視線がアルスたちへと向けられた。
その空気の変化に、アルスは小さく息を呑む。
「改めて、博士様。このような辺境の村にまで来て頂きまして、心からお礼申し上げます」
ソフィアは深々と頭を下げた。
そして静かに顔を上げると、その瞳に強い意志を宿したまま真っ直ぐにアルスを見据える。
「この通りの惨事ではございますが……ヒヒイロの人間は、誰一人として諦めておりません。わたくし達もできる限りの協力を致しますので、何卒……いなくなった皆の事、よろしくお願いします」
その言葉の通り、店内の空気は決して絶望に沈んではいなかった。
村人たちの表情には当然、大切な家族を失うかもしれない不安と恐れが浮かんでいる。けれど、それ以上に「この人たちが救ってくれる」と信じたい想いが、痛いほどに満ちていた。
アルスはその切実な視線を真正面から受け止め、ごくりと唾を飲み込む。
「歓迎会というにはささやかですが……みんなで腕によりをかけましたわ。今夜はぜひ、英気を養ってくださいませ」
──期待されているんだ。
そう理解した瞬間、アルスは肩にのしかかる重圧をより強く感じた。
自分は本当に、この村の命運という大きな期待に応えられるのか。胸の奥で、不安の波がざわつく。
「あー……っと」
だからこそ、ここで黙ってやり過ごすわけにはいかなかった。
「──せっかくの期待に水を差すようで憚られるんだけど、その~……僕は正直に言うと、研究家として未熟です」
アルスは一歩前へ出る。
そして「ちょっと、何言って……」と慌てるエスカを横目に、小さく、けれど深く息を吸い込んだ。
「諸事情あって、博士と呼ばれるのすらおこがましい立場にあります。提出した論文は破かれてばっかりだし、まともに図書館に立ち入る事すらできません。同期のエリート研究家に比べれば、本当に酷い有様で」
それは紛れもない事実だった。
専門家として見栄を張る事もできるし、今この瞬間だけは虚栄で身を飾る事も容易い。なによりヒヒイロの人間は王都の学界事情など知る由もないのだから、適当を言った所でバレる事もないだろう。
けれど、アルス自身が、自分に希望を託してくれるこの温かい人たちに嘘をつきたくなかった。
空気が凍りついたように重くなる。
村人たちの表情が、期待から戸惑いへと変わっていくのを感じて、喉が詰まりそうになる。
それでもアルスは、震えそうになる声を必死に押し出した。
「こ、こほん。なんだけど」
怖い。
失望されるかもしれない。怒られるかもしれない。
それでも。
「誰よりも、僕が一番『魔物』を知っています。だから安心してください」
アルスはぎゅっと拳を握り締める。
逃げるな。言い切れ。
胸の奥で、自分自身を鼓舞するように叫ぶ。
「全てを賭けて、この村を救います。……っ、必ず!」
最後に、勢いよく深々と頭を下げた。
スピーチなんて得意じゃない。きっと格好良くもなかっただろう。
けれど、それが今の彼にできる精一杯の誠実さだった。
静まり返った店内。
張り詰めた沈黙の中、アルスは祈るように頭を下げ続ける。
その沈黙を破ったのは──。
「がんばれー! はくしさま!」
最前列にいた幼い少女の声だった。
ぱちぱち、と。
小さな、けれど無邪気な拍手が響く。
それに釣られるように、拍手は一人、また一人と広がっていく。
やがてそれは酒場全体を包み込むほどの大きな喝采となり、頭を下げたままのアルスの背中へと温かく降り注いだ。
その優しさに満ちた音の波に包まれながら、アルスはぎゅっと唇を噛みしめる。
胸の奥が、ほんの少しだけ熱かった。
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