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28.しかし陰キャだった


「ふぅ~~~~」


 安堵を吐き出すように、アルスは果実酒を煽って深く息をついた。

 喉を通った甘い酒の熱がじんわりと胸へ落ちていく。張り詰めていた神経がようやく緩み、肩から力が抜ける感覚があった。


 アルスの語りのあと、村人たちの熱気は冷めやらぬまま、ソフィアの乾杯の音頭で宴は始まった。

 けれど、誰よりも胸を撫で下ろしていたのは、間違いなくアルス本人だった。


 異端の研究家――アルス。

 その名前につきまとう世間の冷笑や偏見は、本人が嫌というほど理解している。王都では嘲笑され、陰口を叩かれ、論文はまともに読まれもせずに破り捨てられる。そんな扱いを受け続けてきた彼にとって、“歓迎される”という経験そのものが珍しかった。


 こうして受け入れてもらえるのは、都市部から遠く離れた小さな村だからこそなのだろう。

 その事実が少しだけ切なく、それ以上にありがたかった。


 アルスは胸の奥に込み上げる感情を誤魔化すように、再び果実酒を口に含んだ。


「本当に──素晴らしいお言葉でした、博士様」


 柔らかな声に顔を上げる。


 話しかけてきたのは、正面に座る村長の一人娘――ソフィアだった。

 どこか現実離れした容姿に、鎖骨の辺りまで伸びた絹糸のような銀髪。澄み渡る碧色の瞳は、穏やかな湖面のように静かな光を宿している。

 動きやすいさっぱりとした服装に、腰から下げたポーチがよく似合っていてかわいらしい。


 聞けば彼女は、王都ブレイズの大学で観光学を学んでいた学生だったらしい。ある日なぜか卒業前にふらりと故郷であるヒヒイロへ戻り、その知識を活かして村の観光業を発展させた才女だというのが村人の談だ。


 村人たちは皆、口を揃えて彼女を称賛していた。

 しかし当の本人は、「大した事はしていませんわ」と控えめに微笑むだけだった。


 アルスには到底そうは思えない。

 田舎で生まれ、王都で学び、故郷へ還元する――経歴だけなら自分と似ているはずなのに、その結果はまさに雲泥の差だ。


 眩しいし、少しだけ後ろめたい。

 アルスは無意識にそんな感情を抱いてしまう。


「博士様の事については、わたくしも少々聞き及んでいましたけれど──世間の評判なんて本当に当てになりませんわ。こんなにも真摯で、素敵な方をどうして悪く言うのかしら」


「い、いえ。そんなこと……」


 褒め言葉に、アルスは肩を縮こまらせた。

 少なくとも、“疫病神を連れてきた”などと言われなかっただけで十分すぎるほどだが、それ以上に困惑が勝っていた。

 あまりにも褒められ慣れていないせいで、むず痒さが全身を這い回るようだったからだ。


 しかも相手は才色兼備が服を着て歩いているような女性、ソフィアである。


 整った顔立ち、落ち着いた物腰、上品な声。

 視線を合わせるだけで妙に緊張してしまい、言葉が喉につかえる。


 もう少し研究室の交流会などに顔を出して、人と話す訓練をするべきだったのではないか。

 そんな後悔が今さら脳裏をよぎる。


 エスカも同じく美人だが、会話のしやすさで言えば彼女は良い意味で距離感が近く少し粗っぽい所がある。ガーディールと似たところがあるので、アルスにとっては接しやすい相手だ。


 しかしソフィアは違う。


 まるで王都の舞踏会にでもいそうな、絵画から抜け出したような女性だった。

 もし彼女が王都の大通りを歩けば、男たちが放っておくはずがない。

 そんなこんなで、アルスは耳を赤くしながらぎこちなく相槌を打つ事しかできなかった。


 それに比べて――


「きゃー! すごい筋肉~! 本当に薬剤師さんなんですか?」


「鍛えてる薬剤師ってのも良いだろ、健康的で」


「手もおっきい~! 見て見て私の手の倍くらい!」


「そりゃあな。綺麗な手なんだ、大事にしろよ」


「あのあのっ後でちょっと抱っことかしてもらっても……」


「あぁ、もちろん良いぜ。帰り道送っていこうか」


 なんなのだ、あの男は。


 ガーディールは村の娘たちに囲まれ、完全に宴会の中心人物になっていた。

 豪快に笑いながら会話を回し、気づけば周囲まで笑わせている。


 場慣れしている。

 あまりにも慣れすぎている。


 陰と陽。

 その差をまざまざと見せつけられ、アルスは痛烈な敗北感を覚えてそっと目を逸らした。


「ふふっ、ごめんなさい。村の子たちが無遠慮に」


「あ、いや……あいつもどうせ楽しんでるので……」


 ソフィアが小さく笑う。


 人によっては血涙を流しそうな光景だったが、当のガーディールは完全に満喫していた。

 いっそソフィアもあちらへ行ってくれれば気が楽なのに――そんな事を考えてしまう辺り、自分は本当にどうしようもないと自己嫌悪。


「みんな元気になって良かった……ありがとう、エスカっ」


「いーのっ……もう、何回お礼言うのよ。にしても鼻の下伸ばしちゃって、だらしない」


 カウンター席では、エスカとミーティアが並んでジュースを飲んでいた。

 二人は昔からの友人らしく、時折肩を寄せ合って笑っている。


 アルスは一瞬だけ助けを求めるようにエスカへ視線を送ったが、返ってきたのは妙に冷ややかな目線だった。


 ……不本意である。


「そうですわ博士様、是非後でうちの写真館においでくださいまし。写真館と言っても、うちの父が趣味で撮っている写真を保管している倉庫ですが……」


「あっ、は、はい。調査が終わった後に、ぜひ……」


「確か、ヒヒイロで見れる珍しい魔物の写真がいくつかあったはずですわ」


「それは絶対に行きます」


 その言葉を聞いた瞬間、アルスの酔いが一気に吹き飛んだ。気がした。


 ヒヒイロ特有の魔物。

 長くこの土地に住む者しか知らない生物。

 研究家として、それを見逃す理由がない。


 後学のためにも是非見せてもらいたい。

 そんな欲求が、脳内で一気に膨れ上がる。


 どこかから「魔物バカ……」という呆れた声が聞こえた気がしたが、たぶん気のせいだろう。


「ふふっ、本当に魔物がお好きなんですね。……差し支えなければ、理由を聞いても?」


 ソフィアはそんなアルスの反応を見て、小さく首を傾げた。


 魔物研究家にとって、その問いは案外難しい。

 アルスは少し回りにくくなった頭で言葉を探し、ゆっくりと口を開いた。


「なぜかって聞かれれば、うーん……昔の友達の影響なんですけど……」


「昔の、ですか」


「ええ。僕も出身は小さな村で。魔物だけじゃなくて、色んな生き物と一緒に暮らしていたんです」


 不思議と、その話だけは自然に口から出てきた。

 酒の力もあるのだろうがそれ以上に、この話は何度も胸の中で反芻してきた大切な記憶だった。


 語りだすアルスの目はいつの間にか、ソフィアにしっかり合っていた。


「僕がその友達とよく話していた夢があって──」


 彼が魔物研究家になった理由。

 その原点とも言える願いを、指折り数えるように語っていく。


「人と魔物が一緒に暮らせる家……学べる学校……ご飯を食べるお店……そんな所を作ろうって。それが今でも、僕の夢なんです」


 語った瞬間、アルスはハッと我に返った。


 しまった。


 今まさに魔物被害に苦しんでいる村で、するべき話ではなかったかもしれない。


 何度目か分からない後悔が胸を刺す。

 恐る恐るソフィアの表情を窺えば――


「そうでしたか……それは、それは。素敵ですわ」


 ソフィアは少しも嫌そうな顔をしていなかった。

 むしろ穏やかな微笑みを浮かべ、静かに頷いている。


「博士様。ここに来てくれたのが、貴方で良かった」


 そして彼女は、まるで春の陽だまりのように優しい声で、そう言うのだった。





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