19.希望か絶望か
「お待たせしました、アルスさん」
ミーティアに案内されたのは、厳かな明かりが灯る村長の家の一室だった。
木造の室内には香草を焚いたような落ち着く匂いが漂い、窓の隙間からはかすかに冷たい山風の音が忍び込んでくる。
ゆったりとした客人用のソファに腰掛けるアルス、エスカ、ガーディール。その対面に座るミーティアの隣には、もう一人、見知らぬ少女が同席していた。
「こ、こちらは、最初にいなくなった村長さんの娘……ソフィアさんです」
紹介された少女は、小さく会釈をした。
淡い銀髪を揺らしながら、両手を膝の上でぎゅっと握り締めている。その青白い顔や目の下の濃い隈からは、父親が消えてからの数日間、まともに眠れていないことがありありと見て取れた。
アルスは改めて深く頭を下げると、手元のメモ帳を開いて真っ直ぐに本題を切り出す。
「まず、今の状況を正確に確認させてください。七日ほど前から村の男の人が消え始めたという話は伺っていますが……現在、村に男の人は一人も?」
村の惨状を見れば答えは明らかだった。
それでも、万が一の希望に縋るように問いかける。
しかし対面の二人は、苦しげに顔を歪めたまま静かに首を横へ振った。
語らずとも、それが残酷な答えだった。
「──皆さんを見つけ出すためにも、いくつか質問をさせてください」
男たちの安否は依然不明。だが今は、少しでも敵の情報を集めるしかない。
アルスの落ち着いた、けれど力強い声音に安心したのか、伏せられていた二人の顔がわずかに上がる。
「誰かが見ている前で、突然消えたりはしましたか? 例えば、すーっと空間に溶けて透明になるように……」
一見すると奇妙な質問だった。
だがアルスの瞳は、研究家特有の鋭い光を帯びて真剣そのものだ。
“消える”といっても、魔物の手口は様々だ。幻覚か、透明化か、あるいは空間転移か。消失のプロセスさえ分かれば、生態系から容疑となる魔物を一気に絞り込める。
「そういうお話は……聞いたことがありませんわ。父も、朝起きたらいつの間にか家からいなくなっていて……」
最初の被害者の娘であるソフィアが、消え入りそうな声で口を開く。
「最初は、すぐ帰ってくると思っていたんです……。けれど、日が落ちても戻らなくて。いつも行く森まで探しに行ったのですが、影すら見つからなく……」
「では、家の中に争った形跡や、血痕などは?」
「ありませんでしたわ……本当に、お布団から忽然と煙のように消えてしまったみたいで……!」
「……痕跡を消す魔物は珍しいな」
アルスは周りに聞こえるか聞こえないか程度の微かな声で呟き、手にしたペンを走らせた。
さらさらとインクが紙を擦る音だけが部屋に響く。アルスは頭の中で膨大な図鑑のページをめくり、これまでに積み上げてきた知識の山から『痕跡を残さない・人間を攫う・男だけを狙う』という条件に合致する魔物を高速で照合していた。
「あー、なぁ。基本的な質問で悪いんだが、村の奴らで捜索はしたんだろ?」
沈黙を破るように、ガーディールが腕を組みながら口を挟んだ。
「消えてから時間が経ってねぇなら、足跡とか何かしらの痕跡が森に残ってそうな気がするんだがよ」
「それはもちろんしましたわ、人が消える度に。……少しだけ残っていた足跡を追って、女たち皆で森を捜索したんです。けれど……」
「あっ、足跡は森の途中で、ふっ、と途切れるように消えちゃってて……。み、みんなで森中探したんですけど、誰も見つけられませんでした」
ソフィアの悲痛な言葉をミーティアが引き継ぐ。
家の中では争わず、森へ連れ去る過程で痕跡を消し、足跡すら途中で誤魔化す。
そこまで聞いたところで、エスカが訝しげに顎に手を当てた。
「なんか、随分人間的というか……やってる事が妙に計画的ね。そんな頭のいい魔物いるのかしら……」
「……かなり知性が高いタイプだと思います。しかも、人間の行動や心理をよく理解してる」
アルスの表情にも、明らかな緊張が走った。
魔物の種類は数多い。だが、ここまで理性的で計画的な行動を取る存在は極めて稀だ。
アルスはメモ帳に書き込んだいくつかの名前を、ペンで一つ残らず力強く斜線で消し潰す。そして、パタン!と勢いよくメモ帳を閉じた。
「わかりました。皆さん、ありがとうございます。結論から申し上げますと──」
「えっ……!? まさか、もう正体が分かったの!?」
その淀みない動作に、エスカが思わず身を乗り出す。
ミーティアとソフィアの瞳にも、「さすがは王都の研究家様」という強い期待と希望の光が宿った。
三人の熱い視線を一身に浴びながら、アルスはゆっくりと立ち上がる。
そして、後頭部をぼりぼりと呑気に掻きながら、きっぱりと言い放った。
「ぶっちゃけ全然わかんないんで、とりあえず森に調査行ってきますっ」
「えぇ……」
部屋の空気が、一瞬にして見事にずっこけた。
あまりにも清々しく真顔で言い切ったせいか、少女たちの視線がほんのりと冷たいものに変わる。
そんな急激な温度変化など一切気にしないまま、アルスは「じゃあ行ってきますねー」とそそくさと部屋を出て行ってしまった。
「え、エスカ……あの人、だいじょうぶ、だよね……?」
「だだだ大丈夫よ! 大丈夫! あの人ちょっと変態なとこあるけど、知識だけは凄いはずだから! ……多分、きっと!!」
背後の扉越しに聞こえてきた必死なフォローの会話に、廊下を歩くアルスは思わず肩を落としかける。
だがすぐに気を取り直し、腰のカバンを叩いて小さく拳を握った。
逆境や冷ややかな視線を跳ね返してこそ、本物の研究家だ。
謎が深いほど探究心は燃え上がる。
そう自分に言い聞かせながら、アルスは足早に不気味な森へと向かった。




