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20.そして正体は暴かれる

 

「おい! おいおい待てよアルス!!」


「ちょっと待って、アルスさん!」


 先ほどの事情聴取を終えるや否や、アルスは逃げるような勢いで村長の家を飛び出した。そのまま真っ直ぐ、村の裏手にある森へ向かって足早に歩き続ける。


 村を包む空気は酷く重い。

 空はまだ明るいはずなのに、山々に囲まれたヒヒイロの景色はどこか薄暗く、村全体が沈鬱な不安に沈み込んでいるようだった。


 アルスは無意識のうちに、肩へ掛けた鞄の紐を強く握り締める。

 胸の奥が妙にざわついていた。

 当然だ。自分が中心となって「専門家」として調査を進めるのは、これが初めてなのだから。


 これまでは、教授や先輩の背中を追っていればよかった。指示を受け、知識を披露し、安全な研究室で結果をまとめるだけでよかった。

 だが、今は違う。

 自分が失敗すれば、村人たちの命が奪われる。


 押し潰されそうな重圧に小さく息を吐き、アルスは弱気を振り払うように歩みを早めた。


「いいのかよ、もっと色々聞かなくて。ラチがあかねぇ雰囲気だったのはなんとなく分かったがよ」


 後ろから追いついてきたガーディールが、呆れたようにこぼす。

 その頃には、森の入り口がすぐ目の前まで迫っていた。


 湿った土の匂い。草木の青臭さ。そして、風に混じる微かな「魔力の気配」。

 大学時代、フィールドワークで何度も嗅いだ空気だ。アルスはそれだけで少しだけ気持ちが落ち着いていくのを感じた。


「みんな不安そうにしてたじゃない……じゃなくて、してましたよ。あんまりにも肩透かしな感じだったから」


 エスカも追いつきながら言う。気を遣った慣れない敬語が、少しだけぎこちない。

 けれどアルスは二人の言葉にすぐには返事をしなかった。


「おい、聞いてんのかアルス!」


「アルスさん!?」


「うん……もう、ここなら大丈夫かな」


 森の入り口の薄暗がりで、アルスはようやく足を止めた。

 村人たちが捜索した範囲を示す目印なのか、木々の幹に古い布切れが結びつけられている。風に揺れるそれを眺めながら、アルスは静かに振り返った。


「二人とも、聞いて」


 鞄の中を探りながら言う。

 人気のない場所まで来るのを待っていたのだ。これから話す内容を、村人たちに聞かせるわけにはいかなかった。


「この村にいる魔物の正体は分かったよ」


「……えっ、は?」


 エスカの口から、間抜けな声が漏れる。


 アルスが鞄から取り出したのは、手のひらに乗る程度の大きさをした板状の魔機だった。鈍い金属光沢を放つそれを片手に、アルスは真っ直ぐに二人を見据える。

 その顔には、先ほどまでの「頼りない若者」の雰囲気は欠片も残っていなかった。


「その上で、実地調査中は僕の言う事を絶対に守って欲しい」


「ちょちょちょちょ待って、待って! その前にどういう事!? 本当に分かったの!?」


「……まぁ待て、エスカ」


 混乱してまくしたてるエスカを、ガーディールが片手で制する。

 そして「さっさと説明しろ」とでも言うように顎をしゃくった。


 アルスは小さく頷き、指を一本立てる。


「一つ。今回の魔物は『男の人しか狙っていない』」


 森を吹き抜ける風が、ざわりと枝葉を揺らした。


「男を好んで食べる魔物自体は珍しくない。でも今回は『連れ去っている』のが重要なんだ。その場で捕食せず、生きたまま運ぶ目的がある魔物は、かなり限られる」


「……確かに、喰われた痕跡があったとは誰も言ってなかったな。……死体が見つかってねぇだけかもしれねぇが」


「そう。二つ目。『死体が見つかっていない』」


 アルスはさらに指を立てた。


「つまり、人間をただ食べるタイプの魔物じゃない。もし巨大な魔物なら隠密行動は不可能だし、短時間で完全に痕跡ごと死体を消すのは、いくら魔物の魔法でも現実的じゃないんだ」


 論理を積み上げるごとに、彼の口調は滑らかで力強くなっていく。


「三つ目。『足跡が途中で消えている事』」


 アルスは暗い森の奥へ目を向けた。


「人間が痕跡を追うという事を理解し、足跡を偽装できる魔物だ。つまり、人間社会の仕組みを深く理解し、普段から人里へ紛れ込める知性を持っている」


 そこまで言って、アルスは手にした魔機を掲げる。


「以上三つの点から導き出される答えは一つ。この森には──『リリス』がいる」


 その名前が出た瞬間、空気が凍りついたように張り詰めた。


 淫魔・リリス。

 人間に擬態し、男の精気を糧に生きる高知能の魔物。

 時には人里へ完璧に溶け込み、数年単位で潜伏し続ける例すらある極めて危険な種だ。


「リリス……」


 エスカは反射的に剣の柄へ手をかけた。

 対するガーディールは腕を組み、短く唸る。


「……まぁ、お前がそう言うならそうなんだろうな。で、どうすんだ。探してぶっ飛ばしゃ終わりか?」


「それも含めて、調査しながら話すよ」


 アルスは頷く。


「ただ、改めて言うけど。調査中は必ず僕の指示に従って」


「あぁ、わーってる」


「エスカさんも。脅しじゃなく、本当に死んじゃうかもしれないから」


 真剣な声音に、エスカも小さく息を呑んだ。


「……わかりました」


 二人が頷いたのを確認してから、アルスは周囲を見回す。

 村人の姿はない。


澱みの検査(ディテクト)起動(アウェイクン)


 短い起動キーと共に、板状魔機が低い駆動音を鳴らした。

 淡い光がパネルから放射され、三人を順に走査していく。


「状態異常の検査は、調査の前後に必ず行う」


「状態異常……ってなんだ? つか、それも何だその板」


 ガーディールが露骨に眉をしかめる。


「状態異常っていうのは、魔物の魔法による異常の事だよ。毒や錯乱は分かりやすいけど、精神汚染や呪いみたいに、自覚できないタイプが一番危険なんだ。これはそれを検査する魔機」


「あぁ、そういう……。でも俺ら、まだ魔物に会ってねぇぞ?」


「知能の高い魔物は隠密が得意だからね。遠距離から魔法を仕込まれて、気づいた頃には全員衰弱死寸前でした……なんて話は、昔はよくあったんだよ」


 さらりと告げられた内容に、ガーディールの顔が引きつる。

 脅しすぎたか、とアルスは少し苦笑した。


「今はこういう魔機があるから大丈夫。文明の進歩って偉大だよね」


「……やっぱ俺、村で待ってりゃよかったか」


「あ、それはダメ。この村にいる以上、なるべく一人にならないで」


「……襲われるからか?」


 そこで口を開いたのはエスカだった。


「ヒヒイロ全体が、既にリリスの魔法に汚染されてる可能性があるからよ。そうなったら何が起きるか分からないわ」


「……マジか?」


「超マジ。……じゃなくて、マジですよ」


 慌てて言い直したエスカに、アルスは思わず吹き出しそうになる。


「あの、エスカさん」


「な、なに」


「無理に敬語使わなくても大丈夫ですよ」


「うっ……」


 エスカは気まずそうに視線を泳がせた。


「きょ、教養ないって思われたくないから頑張ってるんですけど……やっぱ変?」


「変じゃないけど……喋りやすい方でいいですよ」


「むむむ……」


 少しだけ頬を膨らませたあと、エスカは観念したように肩を落とした。


「じゃあ、そうする。なんか気ぃ使わせてごめんね。あたし、二人と違ってちゃんとした学校とか出なかったし……」


「あはは、全然気にしないでください! まともに敬語使わない大卒もここにいますし!」


「あ? 使ってんだろが」


「そういう所だぞガーディ」


 そんな軽口が交わされれば、張り詰めていた空気がほんの少しだけ和らいだ。


 やがて魔機が『ピコン』と小さな電子音を鳴らす。

 三人とも異常なしのサインだ。


「ともかく、エスカさんの言った通り、村の人たちが既にリリスの魔法にかかってないとも限らない。いわゆる『リリス・ネスト』ってやつだね」


「ねすと? 専門用語ばっかだなオイ」


「リリスの精神操作によって、運営を管理されるようになってしまった集落の事だよ。かつてそれで滅んだ国だってあるくらいだ」


「……ぉーぅ」


 ガーディールの血の気が、さーっと引いていく。

 ネストと化した集落は外敵の侵入を防ぐために不自然なほど閉鎖的になる。そのため、助けを求めてきたあの村人たちの様子を見る限り、その心配は薄いというのがアルスの見立てだ。だが、念には念を入れていくのもまた、アルスの流儀である。


 アルスは改めて、森の奥を見据えた。


 鬱蒼と生い茂る木々。

 昼間だというのに薄暗く、陽光は木漏れ日程度しか届いていない。


 静かな森だった。

 静かすぎるほどに。


 三人は互いに顔を見合わせ、小さく頷き合う。

 そして誰からともなく、深い森の闇へと足を踏み入れた。


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