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98.

よろしくお願いいたします。

 ナターシャは今日も日課である、花の水やりをする為に庭に出てきていた。


「今日も良い天気ね。」


 この離宮での生活も既に6年が過ぎている。気付けば自分ももうすぐ21歳の誕生日をむかえようとしていた。あんな事件を起こしてしまったのだ。結婚ははなから諦めていたし、今の生活になんら不満はなかった。ただ、このまま誰にも嫁がず、皇太子である兄夫婦に世話になるのは申し訳なく思う。


「でもこればかりは仕方ないわね。いっそのことソルお兄様にお願いして私もイール国で暮らせないかしら?」


 ナターシャは独り言を言いながら青空にゆったりと流れていく雲を見つめた。すると、


「残念ながらそれは無理だよ。」


 突然背後から若い男の声が聞こえてきた。恐怖が彼女の体を強ばらせる。しかし、すぐにナターシャは冷静にこの状況を解析した。離宮の警備は万全だ。アムド2世は蟻一匹通さない態勢で彼女を守らせている。それに彼の声には邪な響きは無く、不思議なことにとても心地よくナターシャの耳に届いていた。その事が彼女の心をすぐ落ち着かせたのだった。


 皇帝はナターシャが未婚の若い娘であることから、この離宮に出入り出来る男は全員年のいった者のみと指示を出していた。といっても皆腕に覚えのある手練ればかり。そんじょそこいらの夜盗などにはまだまだ負けることはない。


 まあ、こんなスキャンダラスな娘、誰も手を出しては来ないだろう。だが、アムド2世はそんなナターシャでも大切にしていた。姉の皇女にかかりきりで彼女を蔑ろにしてきた。その姉亡きあと、今までしてやれなかった分まで甘やかし放題甘やかしたツケを、彼は今、払っているのだ。


 だからその厳重な警備をかいくぐってここに来られる者は父の許可を取った者のみ。『大丈夫、盗賊などではないわ。』ナターシャは一度深呼吸をしてもう一度心を落ちつかせた後、ゆっくりと振り返り声の主を確かめようとした。そこにいたのは


「さすがナターシャだ。冷静に判断したね。僕はジェイル・ファサー。君が誘拐したルルドールの兄さ。一度逢っているけど、覚えているかい?」


 目深に被っていたフードを外すと長めの金髪に碧眼の美しい若者が姿を現した。その姿が瞳に映った瞬間、ナターシャは「ごくん」と唾を飲み込んだ。時間が止まったように感じ、彼女は呆然と若者を見つめる。


「ナターシャ?」


 その声にやっと我に返った彼女はなんとか返事をすることが出来た。


「お、お久しぶりです。殿下。その節はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」


「ルルドールじゃなくてガッカリしたかい?」


「……え?」


「君、私の金の髪や青い目を見て一瞬固まったじゃないか。もしかしてルルドールだと期待したのかなって思ってさ。」


「ち、違います。だって……」


 だって髪や瞳の色じゃなく私が見惚れてしまったのは、貴方の瞳の奥深くにある輝きだもの。それに


「だって、なに?」


 ジェイルの瞳が妖しく光る。『ああ、その輝きだわ。なんて美しいのかしら!』ナターシャはこの男に生まれてこのかた感じたことのない感情を抱き始めていた。


「だって、ルルドール様が金髪碧眼だったことすら、私、覚えていないのですもの。」


「…え、ええっ?」


 その答えにジェイルは瞳を大きく見開き動きを止めた。そして次の瞬間とても愉快そうに笑いだしたのだった。


「ふふっ。ふははは……」


 お構い無しに腹を抱えて笑う、この失礼な王子に流石のナターシャもカチンと来た。


「何がそんなに面白いのですか?ちょっと失礼ではありませんかっ!それにいきなり訪ねてくるなんて、一体何事ですか?」


「ああ、ごめんごめん。じゃあ君は今もルルドールを好きなわけではないんだな。くくく。いや、妖精王子も形無しだと思うと、なんだか嬉しくてさ。」


「嬉しい?」


 何故?とナターシャは首を捻れば、今度はジェイルがその答えを口にした。


「それは、私が君を好きだからだよ。そう、あの時からずっと」


「え?」


 この美しい若者が私なんかを好きだなんて、嘘に決まってるわ。咄嗟に彼女はそう思った。ナターシャはどこまでも自分に自信が持てなかった。


「信じられない?」


「……え、ええ。」


 ナターシャは言い終わる前にジェイルに腕を取られていきなり引き寄せられた。彼はナターシャの腰に腕を回し、がっちりとホールドし互いの体をすき間がないほど密着させてきた。


「きゃっ!な、何をなさるのです?こ、こんな無体なまねは許しませんよ!」


 ナターシャの非難の声にジェイルはますます力を入れて彼女のか細い体を抱き締める。


「すでに君のお父上にはお許しをもらっている。……ナターシャ、私のものになれ。それとも私の妻になるのは嫌か?」


 彼女の耳元でジェイルが甘い声で囁く。


「つ、妻!?」


「そうだよ。先ほど皇帝陛下に君が欲しいと願い出てきたんだよ。それで君は私をどう思う?好きか、嫌いか」


「え?………わ、分からないわ。第一私たち、まだお互いの事を何も知らないではありませんか」


「じゃあ嫌なわけではないんだな。では分からないのなら今から君に私の全てを教えよう。だがその前に……」


 ジェイルは唐突にナターシャの唇を奪った。


「んんっ」


 初めての口づけに体が熱くなる。身をよじりこの不埒な男から逃れようとしても、力が抜けてしまって立っているだけで精一杯だった。そんなナターシャをしっかりと抱き抱えるようにジェイルは無垢な唇を貪るように長い口づけを彼女に与え続けた。


 そして熱い吐息と共に唇を皇女から離すと


「まずは妻になる君に私の秘密を告白しよう。……私はリカルド王の子じゃない。」


「…え!?」


 その言葉に未だジェイルの腕の中で朦朧としていたにいたナターシャが正気に戻り彼を見つめた。ジェイルはそんな彼女を妖艶に微笑みながら見つめ返しす。そして彼女を抱きしめていた腕を緩めると、おもむろに長めの前髪にナターシャが水やりの為に用意していたジョウロの水をかけ始めた。何事かとその行動を見守っていたナターシャが、次の瞬間思わず呟く。


「……え?あ、赤毛!?」


 ジェイルの濡らした前髪の先が赤色に変化している。


「ふふ、そうだよ。僕の髪は元来赤毛なんだよ。顔立ちも兄のアルドともルルドールとも全く違う。国王には勿論、実母にすら似なかった。……だが、母と共に谷底に落ちて死んだ、アムダルグ帝国のダッケル公爵と私は瓜二つなのだよ。」


 まるで級友に悪事を告白する子どもの様にジェイルがナターシャの耳元で囁く。


「この事実を君のお父上が知った時、流石の皇帝も卒倒しかけていたよ。なんてったって彼は母の不貞を信じてはいなかったからね。どうやってあの頑固な君の父上を説得したか聞きたいかい?」


 いたずらっ子のように赤い瞳をキラキラさせながらジェイルが尋ねてきた。ナターシャはゆっくりと頷いたのだった。


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