92.
よろしくお願いいたします。
母子をハロルドの所まで送り届けると、ロックフォード家は火が消えたようにひっそりと静まり返ってしまった。フォスこそがこの家の未来を明るく照らす光そのものだったのだ。
ターニャは愛する孫の為にその寂しさに耐え、近いうちに彼の存在を世間に公表し、必ずフォスを日の当たる表舞台に立たせることを心に誓った。夫ガロンは相変わらずの忙しさで城に籠りきりだし、たまに帰ってきたとしてもすぐまた城に戻っていった。
「一体、どちらが本当の家なのかしら……」
ターニャはため息をついた。しかしこんな多忙なガロンだからこそ六年もの間、気付かれることなく、この邸内で二人を守ることが出来たのだ。しかしその生活も潮時を迎えており、後はこの事実をどんなタイミングでガロンに告白するべきなのか。ターニャは思案にくれながら夫に頼まれている着替えを用意し、自室を出た。
彼女が長い廊下を歩いていると、ふと玄関の方から男達の言い争うような声が聞こえてきた。
「何事かしら?」
ターニャは声のする方向に足を早めた。
「お待ちくださいませ、イーリア様!!」
「うるさい!私に指図をするな!!」
「あ、主人は屋敷にはおりません。ご用がおありでしたら王宮の方へお願いいたします。」
「ふっ。私が用のあるのはロックフォード侯爵婦人の方だ。分かったのならそこをどけ!」
「アルフレット、一体何事ですか!玄関先で大声を出すなんて」
「お、奥様!」
騒ぎに気付き急いでその場に向かったターニャは、執事のアルフレットを窘めながら彼の背に隠れたもう一人の人間に目を向けた。
「……え!?イ、イーリア様!?」
ターニャはそこにいた意外な人物を認めると驚きの声を上げた。
「これはこれは、ロックフォード侯爵婦人。お久しぶりでございますな。」
「イーリア様……何故ここに?」
警戒するターニャの問いには答えることなく、ローダスは話を続けた。
「私は貴女方が命懸けで隠している秘密をやっと見つけ出したのですよ。」
その言葉に心臓が跳ね上がる。しかしターニャはローダスに見破られないように平生を装った。
「い、一体何を仰っておいでなのですか?私にはさっぱり意味が分かりませんわ。とりあえず此処ではお話も出来ませんのでこちらにどうぞ。」
ターニャは侯爵婦人としてローダスを客間に通し、前国王の王弟に相応しい最上級のもてなしをした。ローダスは最初のうちこそ社交辞令のような世間話をしていたものの、徐々に突然の訪問の理由について話を移行していった。
「そうそう、つい最近ロックフォード家について、面白い話を耳にしまして。だから本日はお邪魔したわけなのですよ。」
「そ、それはどの様なお話だったのですか?」
ターニャは心を落ち着かせながらローダスと会話をしていたが、次の言葉が彼の口から紡がれた時、ターニャの胸中には我を忘れるほどの怒りが沸き上がった。
「それにしても驚きましたな。まさか貴女の亡くなったご子息に庶子がいようとは……」
……庶子!!赤子の時に父を失い、その存在を隠しながらそっと生きるしかなかった不憫な子。本来ならロックフォード家の跡取りとしての輝かしい未来が無条件で約束されたはずなのに。ターニャの頭にカッと血が昇る。
「庶子などではございません!あの子はれっきとした正真正銘ロックフォード家の跡取りでございます!!」
「……ほう、さようですか。」
ニヤリとローダスが笑うのを見て、ターニャはハッと息を呑んだ。まんまとローダスの挑発に乗せられ、今まで隠し通した秘密をさらけ出してしまったのである。ターニャの蒼白の顔を眺めながらローダスの容赦のない追及は続いた。
「確かご子息は私の姪と婚約中でしたな。では、あの少年はシーザー殿とアビゲイルの子という訳ですかな?」
通常ならローダスは臣下の侯爵であり、アビゲイルは王なのだから、姪などと呼ぶことは憚られる。ましてや呼び捨てなどもってのほかだ。それをあえてそう呼ぶのは、彼がアビゲイルを認めていない証拠だろう。しかし、今のターニャにはそんなこと、気に留める余裕もない。
「そ、それは……」
言葉を詰まらせると、ローダスがまた意地の悪い笑みを見せた。
「確か、ランバート男爵のご令嬢でしたかな?……ロザリー嬢ですね。」
「な、何故それを!!」
もはやターニャはローダスの手の内。不安にうち震える彼女に最後の一撃を浴びせかけた。
「私の部下が偶然目にしたそうなのです。ロザリー嬢と少年が馬車から降りて屋敷に入って行くのを。……アルブレイ司教枢機卿の屋敷にね」
ひっ!と短い悲鳴を上げてターニャが目を見開く。
「イーリア様。お、お願いでございます!兄は私の頼みを叶えてくれたまでです。罰は全て私一人にあるのです。ロザリーも死んでいくシーザーに希望を与えてくれただけで、決して女王陛下を欺こうと思ったわけではないのです!ですから、どうか、どうか!!」
「ふっ。私は貴女を断罪しに伺ったわけではないのですよ。第一我が姪にそんな忠誠心を示す必要はございませんよ。ご子息はこの国の為に人身御供にされたのですから。……それにアビゲイルは亡くなった貴方のご子息に操を立てて6年もの間、独身を通した訳ではありません。実は以前よりラドハルト国の第三王子と密かに通じていたのですよ。これがその証拠です。」
ローダスは懐から一通の手紙を取り出すとターニャに差し出した。
それは女王アビゲイルに宛てたルルドールからの文だった。ローダスはロックフォードだけではなく、アビゲイルの弱点も探っていた。シーザーが亡くなってから半年後に開かれた、隣国王子の誕生会を境に、女王は頻繁にその10歳年下の王子と文のやり取りをするようになった。
心優しい天涯孤独の女王のことだ。きっと王子の事を年の離れた弟とでも思っているに違いない。ローダスはそうは考えたが念には念を入れて手紙の内容を確認するため、文を運ぶ馬を襲い手紙を奪ってみたところ………
ローダスは驚きのあまり目を見張った。そしてにやりと笑みを浮かべたのだった。
『親愛なるアビー様。早く貴女にお逢いして、その柔らかな唇に貴女が僕にくれたような口づけを贈りたい。貴女の太陽のような笑顔を見る為に、僕は日々の鍛練を怠らないよう励んでいます。そして貴女の隣に立つのに相応しい男になりたいと思います。誰よりも貴女をお慕いしております。 ルルドール・ファサー』
その内容にターニャは衝撃を受けた。これはもはや熱烈な恋文としかとれない内容だった。
「もしかするとアビゲイルはご子息がご健在の頃からルルドール王子と通じていたのかもしれませんな。シーザー殿が亡くなって六年もの間、なかなか伴侶を決めなかったのはルルドール王子の為だったのですよ。彼は今年成人しました。……そしてアビゲイルの花婿候補としてこの国にやって来る。」
ローダスの言葉を聞いてターニャの顔が強ばる。『あと一息だ!』人を騙す才能に関してはずば抜けて秀でている、この男を前にして、ターニャは成す術もなくその罠に嵌まっていく。
「アビゲイルはルルドール王子を手に入れる為に亡くなったシーザー殿を利用したのですよ。もしかしたら、はなからご子息と結婚する気などなかったのではないでしょうか?ひょっとしたら疫病のウィルスをわざとシーザー殿に……そうでなければ下火になった病にタイミングよくご子息が罹患するはずがない。」
シーザーは女王に殺された………しかし当時、アビゲイルは16歳でルルドールにしてみたら僅か6歳の、今のフォスと大差ない年齢だ。しかも疫病の為にイール国は鎖国状態で二人に接点は一切なかった。よくよく考えてみればそれが事実ではないことは解るはずだ。しかしもはや冷静さに欠けたターニャの胸中には、アビゲイルに対する猜疑心が澱のように溜まっていた。
もし、もしもローダスの話が真実なら……息子のシーザーは犬死にではないか?ロザリーや、フォスがこんな目に遭わなくてはならないのも全て女王のせいではないか?
「……復讐しませんか?」
悪魔が発したその言葉に俯いていたターニャが頭を上げた。
「…え?」
「貴女達を不幸にしたあの女に一矢報いたいとは思いませんか?」
「………復讐」
まるで呪いの呪文のようなその言葉を、ターニャもそっと呟いていた。




