90.
ドアをノックする音が聞こえ、続いて男の声が聞こえてきた。
「女王陛下、ガロン・ロックフォードでございます。失礼いたします。」
「ああ、ロックフォードか。待っていたぞ。」
昨夜、急遽開かれた内輪だけの晩餐会の最中にロックフォードがとうとう秘密を打ち明けたのだった。最後まで彼の話を聞いた後、卓上には暫しの沈黙が訪れた。シーザー・ロックフォードの最期は婚約者のアビゲイルでさえ、詳しいことは知らされていなかった。彼女はただ、彼は病気が元で亡くなった。と聞いていただけだった。
葬儀には出席したが、彼女もそれ以上の事は親族から聞き出そうとはしなかった。いや、別に知ろうとも思っていなかった。女王にとって、シーザーの存在とはその程度のものだったのだのかもしれない。勿論、亡くなったシーザーには今までの感謝の気持ちも、死を悼む気持ちもあったが、苦しくなるほど悲しみに打ちひしがれる事はなかった。もし、これがルルドールの身に起こった事ならきっと、冷静ではいられなかったはず。
「………私は薄情な婚約者だったな。」
ガロンの話を聞いた後、沈黙を破りアビゲイルがぽつりと呟いた。
「いいえ、そのような事はございません。陛下はあんな息子に誠意を持って接してくださいました。元々国の為の婚約に過ぎず、それはお互いが同意の上のこと。たとえどんな形であろうとも、シーザーは貴女の婚約者でなくてはなりませんでした。それが………」
「………良かった。」
「え?」
「シーザーが一人寂しく死んでいったのではないと判って。生涯ただ一人と心に決めた女性を愛し愛され、子まで為す事が出来て、本当に良かった。」
「陛下………そのお言葉だけで、シーザーは、息子はきっとあの世で喜んでおることと思います。それと、申し上げにくいのですが、実はシーザーから陛下へ手紙を預かっているのです。いつでも陛下にお渡し出来るよう、肌身離さず持参しておりました。もし、子どもの事が世に露見した時には、女王陛下にお渡しするようにと、執事がずっとシーザーから預かり、持ち続けていた物でございます。」
「………分かった、受け取ろう。シーザーが最期に書いた物だ。きっと大切な手紙なのであろう。部屋に戻ってゆっくりと読むことにする。」
「有難うございます。では今宵も更けて参りましたので、続きはまた明日、お約束頂いたお時間に執務室へ伺います。」
「分かった。では明日。」
「はい、出来ましたらクライブ様とクリストファー殿もご一緒頂きたいのですが、よろしいでしょうか。」
「ええ、是非に。ユノールには連絡済みですので、もう少しこちらでお世話になります。」
「私も構いません。ご一緒させていただきます。」
「皆様にはお手数をおかけいたしますが、どうぞ宜しくお願い致します。………それと、ルルドール殿下、後ほど薬師に鎮痛薬と化膿止めの追加薬剤を届けさせますゆえ、くれぐれも今夜はお静かにお休みください。これではいつまで経っても傷が良くなりませんよ。よろしいですね?」
流石イール国の切れ者宰相。ガロンは最後にルルドールに釘をさす事も忘れなかった。
「うっ!わ、分かりましたよ、ロックフォード殿。」
「では、これにて失礼いたします。」
ガロンは元通りの優秀な宰相に戻り、うやうやしく頭を下げると部屋を後にした。
「しかし、驚いたよ。アビゲイルは知らなかったのかい?シーザー氏の思い人の事を。」
クライブが食後のコーヒーを口にしながらアビゲイルに質問した。
「全く。彼女の事はロックフォードの屋敷で何度か顔を合わせているから知ってはいたが、二人が恋仲だったなんて、思いもしなかったよ。だけど、シーザーが何かを隠していることは何となく分かっていた。それがまさか彼女のことだったとはな。」
アビゲイルは多忙な公務に追われながらも、時間が出来ると必ずシーザーを見舞った。おそらく、あの頃は多忙で留守がちな父ガロンより、あの屋敷に足を運んでいたのではないだろうか。今思えば、シーザーの部屋にはいつも彼女がいた。その室内はいつ行っても清潔で暖かく、居心地の良い空間だった事をアビゲイルは思い出した。
「それに亡くなる半年くらい前から具合が悪いという理由でほとんど面会が出来なくなったんだ。」
シーザーの母、ターニャからの手紙には彼の容体があまり芳しくないので、見舞う日時を延期して欲しいとの旨が書き留められてあった。その後もターニャから定期的に届く手紙には、シーザーの今の容体が記されてはいたが、依然として面会の日取りを報せる文はアビゲイルに届くことはなかった。そうこうしているうちにシーザーは還らぬ人となったのだった。
「だから私はシーザーの子どもが生まれた位の時期からずっと、彼には会うことがなかった。彼の葬儀の時までね。」
「きっと生まれた子どもを屋敷の人間全員で守っていたんだろう。」
クライブの言葉に皆が納得する。ロックフォード家に仕える者たちは皆、変わらぬ忠誠心と誇りを持って仕事をしていた。そしてロックフォード家に何百年もの歴史があるように、彼ら自身、何代も続けてこの一族と人生を共にしている家系の者が多かった。
シーザーにもしもの事があったら、直系に当たる人物は彼の息子、フォスしかいない。彼らが今、従うべき主はガロンではなく、次代侯爵になるであろうこの幼子なのである。彼らの使命は直系の血筋を途切らせる事なく、後世に脈々と繋げていく手助けをする事であり、その忠誠心はロックフォード家に対するものであり、ガロン本人に向けられたものではなかった。
彼らはロックフォードに今、何が一番ベストなのかを瞬時に判断し、それに見合った行動をとる事が出来た。それが『次代侯爵フォス=シーザー・ロックフォードを死守する』事で、シーザー亡き後、彼らは6年もの間、この秘密は外に漏れる事なく黙々とその任務を忠実に遂行してきたのである。
「それにしても、頭が下がるよ。実に素晴らしい忠誠心だね。そんな凄い人達のお陰でロックフォードの血筋は守られてきたんだね。」
ルルドールはほうっと溜め息をついた。
「ああ、凄まじい忠誠心だ。私の国にもこれほどの者達はそうそういないだろうね。」
クライブも同感とばかり頷いた。
「シーザー氏だってそうだよ。このイール国の為に人生を捧げた人間の一人だからね。だから尚更、その手紙に彼の願いが込められているのなら、なんとしてでも叶えてあげたい。だって僕は本来ならシーザー氏の居るべき場所に収まった人間なのだから。」
「ルルはこの手紙の中身が気になる?」
「もちろん、気になるよ。」
「そうだな。遅かれ早かれ明日には皆の前で公開にするつもりだった。だから今からでも構わないな。ではこの手紙を開封してみよう。」
「え、ここで?いいの?」
「ああ。」
アビゲイルは手紙の封を切った。




