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86.

 ターニャは次兄であり、この国で最高位の司教、 司教枢機卿であるハロルド・アルブレイに急ぎ手紙を認め、早馬で彼のもとへと届けさせた。厳しい戒律から終生独身を貫く意思の彼は、自分とよく似た性格のシーザーを我が子のように可愛がってくれていた。きっと甥のために力になってくれるはず。ターニャは祈る想いで兄の協力を仰いだ。




 書面に目を通したハロルドはその場で目を閉じ、少しの間に思案に暮れた。しかしどう考えても末妹の頼みを断ることは出来なかった。シーザーは彼にとって、かけがえのない大切な甥だ。その甥が死に面しているのに、肉親としても聖職者としても、手を差しのべないわけにはいかなかった。ハロルドはすぐに旅の用意を始めた。幸い、この三年で疫病も収まり、大勢の死者の弔いも急な結婚もほとんどなくなり、イール国はアビゲイルの支配のもと、安定しつつあった。もはやシーザーと無理に結婚しなくても、女王はやっていけるだろう。


「アルブレイ様、どちらかにお出掛けですか?」


 山のような書類を抱え、ハロルドの直属の奴隷、もとい、部下のライズが執務室に入って来た。


「ああ、ライズ。よい所に来てくれた。今日から10日ほど、休暇をもらうことにした。だから、後は頼んだぞ。」


「ええ?そ、そんなことを急に言われましてもこ、困ります。貴方は枢機卿なのですよ!」


「そこをなんとかしろ、ライズ!とにかく後はそなたに任せたからな。そなたなら出来る!」


 そう言い残すと、ハロルドはライズを振りきるように早足で去っていった。


「ちょ、猊下、アルブレイ様!!お待ちください!!…………もう、いやだ……」


 山積みの仕事と共にその場に残されたライズは涙目でポツリと呟いたのだった。




 ハロルドは婚姻に必要な書類を一通り用意すると、馬に跨がりロックフォード邸を目指した。半日ほど馬を走らせ、目的地に着いたハロルドはすぐさまシーザーの部屋に向かった。


「お兄様!来てくださったのですか?」


「ターニャ、久しいな。息災にしていたか?で、シーザーの具合はどうのだ?」


「それが…もって後一年間だと…」


「……そうか。ガロン殿は相変わらず王宮籠られておいでなのか?」


「はい……もうここ数ヵ月、この屋敷に寄り付きもしませんの。一人息子が大変な時なのに、なんて薄情な!」


「そう言うでない。今は国の行く末を左右する大切なとき。それなのに一国の宰相が私情をはさんではイール国が立ち行かなくなってしまうぞ。それと……今回の事をガロン殿は?」


 ターニャは兄の問いに首を横に振った。この秘密をガロンに知られたら、ロザリーはきっとシーザーから遠ざけられ、生まれてくる子どももどこか知らない所に養子に出されてしまうかもしれない。ガロンの国への忠誠心はもはやターニャには理解出来ないものだった。


「あの方に話したらシーザーとロザリーは引き離されて二度と生きては会えないでしょう。もともと女王陛下だって、ロックフォード家の力が欲しかったからシーザーと婚約しただけですもの。本来なら、シーザーが病気になった時に、こちらから婚約を辞退すればよかったのです。それなのにガロン様は……


 たしかに陛下は何度も見舞いにはお越しくださるけど、それだけよ。ロザリーは自分の持っている全てのものをシーザーに与えてくれたわ。私はシーザーの母として彼女を絶対に守らなくてはならないわ。お兄様、どうかお願いします。お力をお貸しくださいませ!」


「……それが、この国に背くことになったとしてもか?」


「ええ、覚悟はできております。お兄様にもご迷惑をお掛けしますが、私たちにはもうお兄様におすがりするほか、道がございませんでした。どうか、シーザーたちを助けてください!お願いします!!」


「…おまえの話はよく分かった。とにかく私をシーザーに会わせておくれ。」


 兄は前回会った時より明らかに痩せ衰えた妹に優しく言った。


 ハロルドはターニャの後を歩きながら、ロザリーについての話を聞いた。男爵令嬢でありながら、父親の借金のせいでデビューすら出来ず、遠縁を頼ってロックフォード家にやって来た事、シーザーの病が原因で婚約を破棄された事、そして子が出来たのも全て自分だけの責任だとシーザーをかまった事。ロザリー・ランバートは誰も恨まず、全てを受け入れてきた。自分の事よりまず、他人を優先する精神はまさに神の教えそのものだった。


 ターニャは部屋の前で立ち止まり、扉を叩いた。ほどなく中から若い女性の声が聞こえ、扉の開く音がした。そして中から顔を出した彼女に自分の兄を紹介した。


「ロザリー、私の兄、ハロルド・アルブレイよ。」


「……ハロルド・アルブレイ様……ア、アルブレイ 猊下!!お、お初にお目にかかります。わたくしはロザリー・ランバートと申します。」


「君がロザリーかい、宜しく。シーザーが世話になっているようだね。本当にありがとう。」


「いいえ、お世話なんてとんでもありません。私が勝手にシーザー様のお側にいさせて頂いているだけのことです。さあどうぞ、中にお入りください。」


 ロザリーの控え目な態度にハロルドは目を細める。


「ありがとう、ロザリー」


 礼を言い中に入るとハロルドは部屋の中を見回した。部屋は掃除が行き届いており、とても清潔で明るかった。至るところに季節の花が飾られ、きっと外に出ることの少ないシーザーの慰めになっていることだろう。


 ハロルドはこの部屋を見ただけで、いかにロザリーがシーザーを大切に思っているのかが理解出来た。そしてシーザーは夕日の射す窓側のベッドの上にいた。しばらく見ないうちに彼の甥はすっかり痩せ衰え、病気が進行していることは火を見るより明らかだった。


「シーザー……」


 ハロルドが声をかけるとシーザーも彼の名を嬉しそうに呼んだ。


「久しぶりだね、ハロルド伯父さん。会えて嬉しいよ。」


 そしてベッドから起き上がろうとする彼にロザリーが自然に寄り添う。


「ロザリー、いつもありがとう。」


 微笑み合う二人の姿を目の当たりにして、ハロルドは小さな声でターニャに言った。


「おまえのいう通り、二人の挙式を行うぞ。」


「お、お兄様……」


「さあ、早く用意を。あまり時間がないのだろう?」


「は、はい!今すぐ用意をいたします。」


 ターニャは嬉しそうに慌てて部屋を飛び出して行った。なにも知らないシーザーとロザリーはその様子を目を丸くして見送ったのだった。


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