84.
疫病に罹患したシーザーにはすぐにワクチンの投与が行われ、それにより彼の容態はすぐに安定した。ユノールと共同開発した希望の新薬は病原体を死滅させ、彼だけではなく大勢のイール国民を死の淵から救ったのだった。
しかし世話になっている家の者が疫病を患った事で、幼い子どもへの感染を懸念したライゼンからは、すぐに結婚の約束を白紙に戻したい主旨の知らせが届けられたのだった。
「ロザリー、シーザーのせいで貴女の幸せを壊してしまって本当にごめんなさい!!」
「いいえ、私はシーザー様さえお元気になられるのでしたら、他には何も望みません。それに親なら一番大切な宝物は我が子に決まっています。 ライゼン様は今回の婚約破棄に責任を感じて、父の残した借金を全て肩代わりしてくださいました。感謝こそすれ、私にあの方を恨む気持ちは微塵もありません。」
「でもこんな醜聞、これからの貴女の縁談にさしつかえるのではないかと、心配なのよ。」
「もともと私は結婚出きるとは思ってもいませんでしたし、元の生活に戻るだけです。ですからどうかシーザー様が完治されるまで、私にお世話をさせてください。幸い私にはほとんど身内もおりませんし、万が一感染したとしてもなんら問題もありません。」
「…ロザリー。本当にありがとう。」
ターニャは目に涙を浮かべ、感謝を込めてロザリーの手を取った。ロックフォード家に忠誠を誓っている者達ですら、疫病に感染した彼の世話をする事を恐れていた。しかしロザリーだけは当初から彼の付き添いを希望していた。
「……こんな形で君の結婚を阻止できるとは思わなかったよ。ふっ。疫病もすてたものではないな。ああ、でもワクチン投与したからといって、あまり僕の傍に来ては駄目だよ。君にうつったりしたら、僕は死んでも死にきれないからね。」
シーザーはおどけたように彼女に言った。新薬は彼の体からウィルスを排除してはくれたが、疫病に蝕まれたシーザーは痩せ衰え、体力は依然として戻らなかった。
「嫌ですシーザー様!!不吉な事は言わないでください!それならいっそ、二人で死にましょう。」
ロザリーは目に涙を浮かべながら、不意にシーザーの唇に自分の唇を重ねた。突然の事に彼は驚いたが、病で色味の失った唇からは熱い吐息が漏れ、彼女のされるがままに暖かい感触を受け入れていた。
「ごめん。ロザリー、もう言わないよ。」
シーザーは一度唇を離し、彼女の涙を吸いとると、再び口づけを求めてきた。
それからというものシーザーはことあるごとに、ロザリーを枕元に呼んではキスを仕掛けるようになった。もちろん女王との婚約は続行したままだったので、ロザリーは幾分、後ろめたい気持ちに襲われたが、それよりも彼を愛する気持ちの方が遥かに勝っていた。
「あっ、シーザー様ったら、ダメです。」
「なんで?君は僕のものだろ?恋人同士がキスするのは当たり前の行為だよ。さあ、君からもしておくれ。」
シーザーにねだられるとロザリーは嫌とは言えず、ついつい彼の願い事を聞いてしまうのだった。
女王も激務に追われながらも欠かさずシーザーを見舞っていた。女王とはいわゆる恋敵なのに、ロザリーはそんな誠実な彼女を好ましく思った。
シーザーは具合の良い日もあれば、床に伏し起き上がれない日もあった。そして日を追うごとに寝込む回数が増えてきたのであった。そんなある日、ロザリーは偶然、ガロンと医師との話を立ち聞きしてしまった。
「先生、息子は、シーザーはもう長くは生きられないという事なのですか!?」
「お気の毒ですが、御子息のお体は既に限界を超えてしまっております。長くともあと一年、持つかどうか……」
ロザリーは鈍器で頭を殴られた気分になり、よろける体を壁に預けた。
「……シーザー様が死ぬ?」
恐ろしい現実を突きつけられ、ロザリーはただただ茫然とその場に立ちすくんだ。
***
「ロザリー?どうしたんだい?」
シーザーが心配そうに彼女の顔を覗きこんだ。ロザリーははっとした。『いけない!しっかりしなくては!』
「な、なんでもないのです。少しぼんやりしてしまいました。」
「疲れたのかい?なら部屋に帰ってお休み。顔色も悪いようだし、このまま君が倒れてしまわないか僕は心配でならないよ。」
「い、嫌です!!ここに、シーザー様のお傍にいさせて下さい!」
「……ロザリー、僕は……」
僕は、僕が死んでしまった後、君がどうなってしまうのかとても心配なんだ……
自分の体の事は自分が一番判っている。シーザーは自分の死期が近い事を感じ取っていた。幸いこの数年で女王は力を付けた。もう『シーザー・ロックフォード』がいなくても彼女の地位を揺るがす者はいないだろう。むしろ心配なのはロザリーの方だった。
『いっそ、二人で死にましょう』シーザーはそう言ったロザリーの言葉を思い出す。ロザリーには幸せになってもらいたい。でもロザリーが自分を忘れて他の男と幸せになるなんて、考えただけで気が狂いそうだった。本当に二人で死んでしまおうか。そんな暗い思いが男を支配した。
……そしてその夜、ロザリーはシーザーの部屋の扉を叩いたのだった。
「……ロザリー?こんな夜更けにどうしたんだい?」
ロザリーは夜着の上にガウンを羽織っただけの格好で扉を閉める。シーザーはガウンの隙間から覗く彼女の白い肌を凝視し、「ごくん!」と唾を飲み込む。
「そ、そんな格好では風邪をひいてしまうじゃないか!」
「……じゃあ、温めてくれますか?シーザー様が……」
ガチャッ。ロザリーが後ろ手で扉に鍵をかけた。思わずシーザーがベッドから身を起こす。
「ロザリー……」
「寒い……とても寒いのです。シーザー様、お願い!!……」
ロザリーは思い詰めた顔で、震える体を自ら抱きしめていた。
「……おいで、ロザリー」
シーザーは優しい笑顔を見せて上掛けを捲り、自分のベッドにロザリーを誘った。彼女はベッドまで駆け寄るとするりとベッドにもぐり込んだ。そうでもしなくては心が折れてしまいそうで……
「誰よりも愛しているよ、ロザリー」
シーザーは痩せた腕で力一杯彼女を抱きしめた。
「シーザー様、貴方だけか好きです。ああ、暖かい……」
その日からロザリーは毎夜、シーザーの部屋でベッドを共にするようになった。




