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83.

 女王の乗った馬車がロックフォード邸から遠ざかって行く。ガロンもやり残した仕事をするために、馬に乗り女王の馬車と共に城まで戻って行った。馬車が見えなくなるまで見送ったロザリーは、女王との晩餐が小さなハプニングはあったものの、無事終わった事に安堵の息を吐いた。


「さあ、中に入りましょう。もう春だというのに夜はまだ冷え込むわね。」


 ターニャに言われ緊張から解かれたロザリーは初めて外の寒さを体に感じた。しかし、ターニャから少し離れた所にはシーザーもいる。もうこれ以上彼の近くにいる事が限界だった。


「私は温室に白薔薇が咲いたと聞きましたので、折角ですからそれを見てから部屋に戻ります。どうぞお先に屋敷にお入りください。」


「そう?でも風邪をひく前に帰ってらっしゃいよ。来週にはライゼン家との顔合わせもあるのだからね。」


「はい。そういたします。伯母様、今日はありがとうございました。おやすみなさいませ。」


 ロザリーはボロボロに傷付いた心を覆い隠すように、なるべく明るい笑顔でターニャに挨拶をして別れた。


 温室に向かう途中、ロザリーは立ち止まり、冴え冴えとする青い月を見上げていた。シーザーが女王と結婚するのは、亡くなった先王の喪が明けてからだ。おそらくそのずっと前にロザリーはライゼンと結婚し、この屋敷を出ることになるだろう。寂しい想いをしている我が子たちの為に、ライゼンは今すぐにでも新しい妻が欲しいはずだ。きっと顔合わせが終われば早々に婚姻の手続きに入ることになるだろう。


 ロザリーは愛だけでは結婚できないことを身をもって思い知っていた。幸い、子どもは好きだしライゼンとも、子どもたちを通じて少しずつ夫婦になれるよう努力するつもりだった。  


「しかし、今夜は本当に寒いわね。」


 ターニャの言う通り、昼間の暖かさが嘘のように今夜は冷えきっていた。絹で出来たドレスは軽やかであり美しいが防寒目的ではない分、寒さを直で肌に感じる。『ぶるり』と彼女が身震いすると、ふわりと後ろから男物の上着が肩に掛けられた。その瞬間、大好きだった人の懐かしい香りが彼女を包み込んだ。


「……シ、シーザー様…なぜここに?」


 問いながら後ろを振り向くと、そこにはやはりシーザー・ロックフォードが立っていた。


「こうでもしなければ、君に一生会えない気がしたからだよ。」


「……いまさら私などに会う必要がおありなのですか?」


「…お父上が亡くなったと伺ったが、君は大丈夫かい?」


「ええ。ご心配いただかなくても大丈夫です。それで貴方に結婚を迫ったりはいたしませんからご安心ください。幸い私のようなものでも、求婚してくたざる方がいらっしゃるようなので、ありがたくそのお話をお受けすることにいたしました。ですから、私が貴方との事を誰かに話す危険はございません。もうすぐ私はこの屋敷からも貴方の人生からもきれいさっぱり消えるのですから。」


 シーザーの端整な美しい顔が歪んだ。彼はわざわざ自分を心配して来てくれた。なのになぜこんな憎まれ口しかきけないのだろう。しかし、久しぶりに彼を前にした時、メイド仲間の言葉がロザリーの頭の中にこだました。『 宮中でも仲睦まじいご様子だそうで、本当にお似合いのお二人なのでしょうね。』どうせこれが最後なら、憎まれてもいいから私を忘れないでください。大好きな大好きなシーザー様……


 シーザーはロザリーの縁談話を母、ターニャの言葉だけでは信じることが出来ずにいた。だが本人の口から直接言われれば、真実だと受け入れるしかなかった。


「……君は本当に結婚するつもりなのか?」


「ええ。私はライゼン様に嫁ぎます。」


「母から聞いたが、男爵家を継ぐのかい?その為にその男と結婚を?」


「はい、そうです。……いけませんか?」


「……君はそれで幸せになるのか?」


「幸せ?一体幸せとは何でしょうか?私には解りません。ギャンブル癖のある父を持ったお陰でデビューも出来ずに、成人する年からこちらでお世話になりました。別に華やかな場所など興味ありませんでしたから、いいのです。働く事も嫌いではありませんでしたし。


 結婚だって……それなのに、貴方が、シーザー様が私に叶わぬ夢を見させたのです。こんな気持ち、知りたくはありませんでした。苦しくて悲しくて……だからもう、どうでもいいのです。幸い、ライゼン様はとてもいい方だと伺いました。きっと私を蔑ろにしたりはしないでしょうし、子どもが生まれたら男爵家の跡取りにしてくださるそうです。」


「……君はそいつの子どもを産むつもりなんだな。」


 今まで聞いた事がないシーザーの低く冷たい声にロザリーの体がビクリと跳ねた。


「え、ええ。もちろんです。だってライゼン様とは夫婦になるのですもの。私はよい妻、よい母になる努力をするつもりです。」


「ふっ、努力か……。だかなんと言われても、僕は君が心から幸せにならないなら、この結婚を認めるわけにはいかない。」


「っ!貴方にそんな権利はありません!なぜ私の邪魔をするのですか?なぜそっとしておいてくれないのです!?」


 彼の身勝手な物言いに、とうとうロザリーの感情が爆発した。シーザーに別れを告げられた時でさえ、涙を見せなかったのに、後から後から熱い涙が赤茶色をした瞳から溢れ出した。月明かりにキラキラと光るガーネットのような瞳、シーザーはそれを美しいと思った。そしてその瞳が彼の心に激情を引き起こした。


 男の熱い視線にロザリーははっと我に返ると彼に背を向け走り去ろうとしたが、咄嗟に掴まれた手を引かれ彼の胸に体をあずける形になってしまった。慌てて抗議しようと顔を上げればそこには、男の顔がすぐ近くまで迫って来ており、二人の唇が重なるのに時間はかからなかった。


 シーザーが彼女の唇に自分の唇を押し当てる。


「ああ、ロザリー!!この3ヶ月、僕は君に触れていない。もう無理だ。僕はこのままでは気が狂ってしまう!愛している。君だけなんだ、こんなにいとおしく思える人は。君を誰にも渡したくない!!」


 激しい口づけに翻弄されながら、ロザリーは自分の頬に水滴が落ちてくるのを感じた。ふと目を開けてシーザーの顔を見ると、彼の褐色の瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。


「……シーザー様」


「女王陛下と婚約している身で、こんな不誠実な態度を君にとるなんて……こんな僕をどうか許して。いけない事だと解っている。それでも僕は君を手放してやれないんだ!」


 シーザーのロザリーを抱きしめる腕が震える。ロザリーは躊躇いがちに彼の背に手を這わせた。


「……本当ですか?本当に私だけを愛してくださるのですか?貴方が宮中で陛下ととても親しげにしていると皆が噂していました。」


「陛下と僕の結婚はイール国復興の為の政略結婚にすぎない。だからお互いに男女の感情は全く無いよ。僕が愛しているのは未来永劫君一人だけだ。だから僕を待っていてくれないか?疫病のワクチンは既に完成済みだ。これでイール国民が救われ、女王の地位が安定するまで待っていてほしい。僕は絶対に君のもとに戻るから。」


「ああ、シーザー様。私も貴方を愛しています。だからお願いです。ずっとお傍にいさせてください。貴方と共に生きられるのなら、私はいくらでも待ちます。」


 夜の風は冷たかったが固く抱き合う二人は互いの体温で愛する者を暖め合った。


 しかし翌日、シーザーが公務中に宮中で血を吐き、倒れた。彼は疫病に感染したのだった……


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