82.
シーザーは女王陛下を出迎えるために屋敷のエントランスで出迎えの準備をしていた。しかしもうすぐ女王が到着するというのに、彼はロザリーの事だけを考えていた。
あれからというもの、彼女はあからさまにシーザーを避けていた。あれだけ好きだたった図書室にも全く来なければ、シーザーが屋敷にいる時間帯は一体何処にいるのか、姿を見せる事はなかった。ランバート男爵が亡くなり、さぞ心細い思いをしているだろう彼女の側に行って、この腕にかき抱き慰めてやりたかった。
しかし自分にはもう、その資格はない。たとえ理由はどうであれ、彼女を裏切り、捨てた事実は変えようもなかった。それでもシーザーは彼女に会いたかった。一目でいいから彼女が元気でいるのかを確かめたかったのだ。
「ロザリー……君は今、何をしてるんだ……」
ため息をつくように言葉を吐き出し、シーザーは虚ろな目をして空を見上げていると、前方から馬の蹄の音が徐々にこちらに近づいてくる音が聞こえた。それを聞きつけた家令は慌ててこの屋敷の主夫婦を呼びに行く。ほどなくして父も母もエントランスに姿を現した。
「くれぐれも粗相のないように頼む」
父、ガロンの言葉に使用人たちも、緊張ぎみに頷いた。シーザーはその中に見知らぬ令嬢を見つけた。彼女は母の隣に寄り添い、使用人たちとも言葉を交わしている。その美しく横顔を見たシーザーは思わず叫び声を上げそうになった。なんとその女性は、シーザーがどうしても会いたいと思い悩んでいたロザリーだったからだ。
『ロザリー!!』
その女性はモスグリーンのドレスを見事に着こなし、シーザーに気が付くと優雅に会釈をしたのだった。しかしそのしぐさはあくまでも事務的で氷のように冷たいものだった。彼はまるでロザリーと同じ顔の別人に会った気分にさせられた。あれが本当にロザリーなのか?無垢な少女ははにかみながら本が好きだとシーザーに言った。初めて想いが通じた時、瞳を潤ませてこの胸に身を預けてくれた。そっと口づけをすると小鳥のように震え、それでも自分に応えてくれた少女はそこにはいなかった。
無意識のうちに彼の足がロザリーの方に向かおうとしたその時、家令が号令をかけた。
「女王陛下のお越しです!」
ロザリーにばかり気をとられていたシーザーはこの時初めて王家の家紋の入った馬車が自分の前で止まった事に気付いたのだった。
***
ロザリーがターニャと共にエントランスに向かうと、すでにシーザーは出迎えの為に待機していた。久しぶりに見る彼は正装をしており、いつ見ても見目麗しい男だったが、しばらく見ないうちに少し痩せたようだった。『シーザー様、お顔の色が悪いわ。ちゃんとお食事はしているのかしら?』彼が心配で仕方なかったロザリーに顔馴染みの使用人がこっそりと囁く。
「シーザー様も緊張していらっしゃるのね。女王陛下はそれは美しいお方だと伺ったわ。宮中でも仲睦まじいご様子だそうで、本当にお似合いのお二人なのでしょうね。」
「……ええ。きっとそうでしょうね。」
そうだった。彼は美しい女王陛下に夢中なのだ。きっと寝る暇も惜しんで彼女との時間を作っているのだから疲れて見えるのも仕方ないわね。そう思いつつもさりげなく彼の方を見やると、いつからか彼もロザリーを見ていたようで、目と目が合ってしまった。目を見開き驚きの表情を示す彼に、ロザリーは極力動揺した本心を気付かれないように、冷たい態度で会釈をしたのだった。
そうこうしているうちに、女王を乗せた馬車はエントランスに到着してしまった。カチャっと家令が扉を開ける。
「シーザー」
「は、はい!」
父ガロンに促され、慌ててシーザーは馬車に駆け寄り、入り口に向かって手を差しのべた。その手に重ねられたのはほっそりとした小さな手だった。シーザーの手を借り中からゆっくりと降りてきたのは、夕日色のドレスを身に纏った少女だ。だがただの少女ではなかった。プラチナブロンドを肩にたらし、ゴールドの瞳が夕日に光り輝く。その堂々とした表情は齢16歳の成人したての少女には到底見えない、王者としての風格を兼ね揃えていた。
「皆、出迎えご苦労であった。今夜は世話になる。」
凛としたよく通る声がエントランスに響く。女王だというのに、使用人にまで頭を下げる彼女には支配者としての嫌みは全く無かった。ロザリーは自分では太刀打ち出来ないと思った。いくら綺麗に着飾ろうとも、所詮付け焼き刃にすぎない。洗礼された身のこなし、下々への心配り、どれをとっても彼女は完璧だった。彼女の圧倒的な存在感に、ロザリーは女王と自分とでは大輪の薔薇と雑草ほどの違いがある事を思い知らされたのだった。
その事実に気づけば気づくほど、ロザリーは今の自分の姿が恥ずかしくて仕方がなかった。いつもより綺麗なドレスを着た事で自分は美しいのだと勘違いして、無謀にも知らず知らずのうちに女王に張り合おうと思ってしまった。それが、見事に惨敗してこのざまだ。しかしロザリーがこんな状態でも、晩餐はつつがなく進行した。
「……え、ロザリー。」
心ここにあらずのロザリーにターニャが話しかける。
「え?な、なんでしょうか?」
「もう、ロザリーたら、女王陛下の御前で緊張しているのかしら?」
「す、すみません、そのようです。」
なんとか誤魔化したロザリーにターニャが話を続ける。
「今日は本当におめでたい日だわ。こうして女王陛下にお逢いできたし、それに、ロザリーにも先ほど正式にライゼン氏から結婚についてのお返事をもらったわ。ロザリー、おめでとう!」
突然「ガチャン!」とグラスが割れる音がした。皆が音のする方を見やると、シーザーが顔色をなくしロザリーを見つめていた。その手からはガラスで切ったのか、血が滴っていた。
「シーザー、大丈夫!?」
ロザリーが駆け寄ろうと椅子を立つ前に、女王が自らのハンカチで彼の手のひらに出来た傷を覆った。もはや彼にはロザリーは必要なかった。彼の横には女王がいるのだ。誰にも後ろ指を指されることもない、身分の釣り合いのとれた相手が……。ロザリーは浮いていた腰を元に戻したのだった……




