79.
シーザーは屋敷の手伝いに来ていた少女に密かに思いを寄せていた。彼女はロックフォード家の遠縁にあたる、3歳年下の男爵令嬢だった。
ロザリー・ランバート、それが彼女の名前だった。血縁といっても、由緒ある一族の家系図には載ってもいない、枝分かれのずっと先の小枝程度のほとんど他人に近い繋がりだ。親類のつてを頼ってロックフォード家に、行儀見習いという名目で奉公に上がったのが彼女だった。
ランバート家は男爵なんて名ばかりの貧乏貴族だった。父のギャンブル好きが災いして、彼が家督を継いだとたん、先代達が細々と爪に灯をともすように貯めてきた僅かな財産も、母が結婚時に持参した金も幾日と経たないうちに使い果たしてしまったらしく、彼女の物心ついた時には男爵家の家計はすでに火の車だった。今は猫の額ほどの領地からの税収とロザリーから送られてくる毎月の手当てだけが父と母の生命線になっていた。
「私が馬鹿な真似をしなければ、おまえをちゃんと社交界にデビューさせて、良い相手だって見つけてやれたのに…本当にすまない!」
彼女が里帰りをする度に、父はロザリーに頭を下げて詫びた。彼は自分のせいで娘が周囲からつまはじきにされ、茶会や夜会にも呼んでもらない事に気付くと、今までの行いを悔い改め、知り合いに頼み込み、働くようになった。しかし主に力仕事を任されていたので、お坊ちゃん育ちの彼はすぐに体を壊してしまい、結局は一人娘のロザリーが世話するしか道はなかったのだった。
「いいのです、お父様。私はもともとそういった集まりには全く興味はありませんから。」
ロザリーは多くの貴族の令嬢が好むような茶会や夜会などより、静かに読書をしながら、お気に入りの庭の草木を眺める方が好きだった。部屋の外に広がる花の香りが風に乗って彼女の部屋まで運ばれてくる。窓際に座り本を読むロザリーの赤茶の髪がふわりとゆれる。このひと時が少女にとって至極の時間だった。
「それに、持参金もない上にこんなパッとしない女を妻に貰おうなんていう物好きは、どこにもいやしないわ。」
ロザリーは独り言のように自分に言い聞かせ、少しでも本家の役に立てるよう一生懸命働き、父と母を養っていこうと心に決めたのだった。
イール国ではアビゲイル女王がそうであったように、男子でなくても跡目を継ぐ事が出来た。だからロザリーでもそれが可能だった。理想は裕福な男性と結婚し、ランバート家を共に盛り立てて行く事だが、自分にもランバート家にもそんな魅力は皆無だと思っている。自分の代で家が途絶えてしまうのは偲びないが、それはそれで仕方がないことだとロザリーは思っていた。
「シーザー、今日から家の手伝いをしてくれるランバート男爵令嬢のロザリーよ。ロックフォード家とは遠縁にあたるお嬢さんだから、くれぐれも宜しく頼むわね。」
シーザーがロザリーと初めて顔を会わせたのは彼がもうすぐ19になる頃だった。図書室で本を読んでいると、母のターニャが若い娘を連れて入って来た。終始俯き加減の彼女の顔は見てとることは出来なかったが、赤毛に近い赤茶の髪の色に、先ほどの母の言葉の中にあった、遠縁という言葉も頷けた。
ロックフォード家の血筋には、王族の金色に近い琥珀色の瞳と、灰色の髪を持って生まれてくる者が多い。しかし、ロザリーの髪は赤毛に近い赤茶をしており、瞳の色も薄い赤茶色をしていた。これはきっと、ランバート家の小さな領土が、アムダルグ帝国との国境に位置することが原因だと思われた。
おそらく代々続くランバート家の血脈の中の何処かで、アムダルグ人の血が混じったのではないかと推測された。ゆえに外見だけを取ってみれば、シーザーとロザリーにはまるっきり共通点は見受けられなかった。
「初めまして、シーザー様。ロザリー・ランバートと申します。どうぞ宜しくお願いいたします。」
少女が顔を上げ、二人の目があった瞬間、
「ごくん」
シーザーは唾を飲み込んだ。ロザリーの風貌はけして見映えが悪いものではなかったが、十人並みの平凡な容姿で、絶世の美女というわけでもなかった。長い赤茶の髪を後ろでまとめ、日焼けした肌にはそばかすが散りばめられていた。ほとんど化粧をしていない少女からは香水ではなく、お日さまの匂いがした。
シーザーが知っている貴族の令嬢は皆、美しく着飾り、自分より高位の独身男性を捕まえる事に、躍起となっている娘ばかりだった。彼女達は日の光など、いつ浴びたのか分からないほど真っ白な肌をし、その顔にはこれでもかとばかりに白粉を塗り、いつも殿方が喜ぶような香水の甘い香りを撒き散らしていた。
彼自身、化粧臭い女性はどうも苦手で、もとより夜会で人々に愛想よく振る舞うのも苦手だったので、どうしても参加しなければならないもの以外は、茶会、夜会共、ほとんどの会を欠席していた。
しかしそんなシーザーでも年頃になると、人並みに女性に興味を示すようになった。元来が奥手の真面目人間で、面白いこと一つも言えない彼は、女性にモテそうにない要素が満載の男だった。それでも彼には、それを遥かに上回る生家の名と母親に似た美しく容姿があった。そのせいでたまに夜会などに顔を出すと、次期ロックフォード侯爵夫人の座を狙う令嬢達が、彼の周りに群がって来た。
彼とて聖人君子ではない。年頃になれば人並みの性欲だって生まれてくる。だから、あの手この手でシーザーに言い寄ってくる令嬢の中から、何人かの女性と深い関係になった事もあったが、どうしても火遊び止まりで恋愛には発展しなかった。それが……
「あ、ああ、よろしく。ランバート嬢」
「あ、私の事は他のメイドと同様に名前で、ロザリーとお呼びください。ああ!それにしても、素晴らしい書庫ですね。私、本が大好きなんです!」
ロザリーが赤い瞳を輝かせながら、嘘偽りのない笑顔をシーザーに向けてくる。
「ごくん」
シーザーは二度目の唾を飲み込んだ。




