表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/102

73.

 クライブはアビゲイルの婚約者候補として、イール国を訪れていた。子供の頃から彼女の事はよく知っていた。亡くなってしまった、イール国の王子とは無二の親友だったし、二人ともクライブの幼馴染みだったからだ。彼はアビゲイルが生まれた時から彼女を見ていた。少しずつ時を重ねて行くうちに、この愛らしい少女に彼は特別な感情を持ち始めたのだった。


 彼と少女には6歳の年の差があった。王子とは同い年でとても気の合う者同士だったのでよく遊んだが、赤ん坊だった少女が4、5歳になった頃から、彼らの後を追いかけて来るようになった。妹想いの王子は困った顔をしていても、いつもこの幼い少女言うことを聞き入れてやっていた。しかし正直、末っ子のクライブには少女の存在が鬱陶しくて仕方なかった。


 ある日クライブは、母と二人で遊びに来ていた少女に少し意地悪をしてみようと思い付いた。少女はいつものように、クライブの後を追いかけて来る。しかし、いつもと違う事に少女は気付かない。それは自分の味方になってくれる心優しい兄が、今日はここにはいないという事。


 クライブは迷路のような庭園までわざとゆっくり走り、少女をおびき寄せた。当時から中庭などを迷路のように造る迷路園が貴族や富豪たちの間で流行っており、ユノール城の迷路園は、大人でも初めて訪れた者は必ず迷うと有名な庭園だった。 


 そしてこの庭はクライブのたっての遊び場で、彼はこの場所を隅々まで記憶しており、どこをどう通れば反対側に出られるかも熟知していた。少年は迷路の中程まで進むと突然猛ダッシュで三叉路を右に曲がり張り出した垣根に身を隠した。


「あれっ?クライブー、どこー?」


 いきなり姿を消してしまった少年を幼いアビゲイルは必死で探した。途中、道が三つにも四つにも増えたが、少女は迷いながらもひたすら走った。


「ねえ、クライブー!どこなの?」


 しかし、いくら呼んでも少年の返事は返って来なかった。少女が不安にかられ、半べそをかきながら少年の姿を求め無我夢中で走っていると、走り疲れた足がもつれ、盛大に転んだのだった。


「きゃあ!」


 ずざざざー。咄嗟に手をついたお陰で愛らしい顔に傷は付かなかったものの、手のひらも膝小僧も擦りむけて血が滲んでいた。


「く、くらいぶぅぅー、いたいよぉー!!」


 痛みと心細さから、とうとう少女は泣き出してしまった。


「アビゲイルっ!!」


 実はクライブは少女の後ろからこっそりと彼女をつけていたのだった。必死に自分を探す少女をからかい半分で、いつ後ろから驚かしてやろうかと思っていた矢先、少女が転んでしまったのだ。クライブは慌てて側まで行き、彼女を抱き起こした。


「…クライブ…どこにいたの?ヒック…私、探してたのよ……グスン………………うえーん!」


「ごめんよアビゲイル。ほらっ、僕に見せてごらん。」


 白く美しい華奢な手足は汚れて血が出ている。それを見たクライブの胸はズキリ痛んだ。彼は持っていたハンカチを歯で引きちぎり、少女の傷ついた両手両足に巻き付けた。


「もう大丈夫だよ。僕が城までおぶっていってあげる。さあ、おいで。」


「うん!もう痛くない。ありがとう、クライブー!」


 少女は涙に濡れた瞳のままクライブに笑って見せ、礼を言うと素直に彼に背負われた。クライブが城に向かって歩き始めるとすぐに、耳元から健やかな寝息が聞こえてきた。


「…アビゲイル?」


 クライブが小さな声で尋ねてみても返事はない。どうもクライブに会えた事で緊張の糸が切れたのか、少女は眠ってしまったようだった。規則正しい小さな寝息が、クライブの耳をくすぐるように一定の間隔で届けられる。


「うーん、くらいぶぅ…んふふっ」


「ふふ。一体どんな夢を見ているんだ」


 すっかり安心しきった少女の、甘えるような愛らしい寝言を聞いたクライブは、彼女に対する庇護欲が急激に掻き立てられるのを感じた。しかしまだそれがなぜなのかは、少年には理解できなかったが、それからというもの、彼はアビゲイルを無視することはなくなった。だがその代わりにクライブのアビゲイルへの関心は違う形となって現れることとなった。


 少女に逢う度に、クライブは彼女をあの手この手を使って窮地に立たせ、途方にくれて泣き出すまで追い込んだ。そしてアビゲイルが涙を流すと、手のひらを返したように少女を擁護し、優しく抱きしめるのだった。彼にとってアビゲイルの涙は己の庇護欲を最大限に引き出してくれる、最高のスパイスだったのだ。



 だが、そんな歪んだ感情に終止符が打たれたのは、彼女が12歳の時だった。その年、イール国の王妃、つまりアビゲイルの母が帰らぬ人になったのだ。クライブは訃報を聞いてすぐに母と共にイール国に向かった。親友の王子も心配だったが、アビゲイルが一人で泣いているのかと思うと、居ても立ってもいられなくなったのだ。『もし、彼女が泣いていたら必ず僕が慰めて、うんと甘えさせてやるんだ!』クライブははやる気持ちを抑えてイール国に向けて馬車を急がせた。



 「アビゲイル、大丈夫かい?」


 クライブは城に着くと国王への挨拶もそこそこにアビゲイルがいるであろう、王妃の間に誰よりも早く向かい、扉を開けてた。亡くなってしまった王妃はベッドの上に横たえられていた。そのもう二度と動くことのない体は白く透き通り、まるで精巧に造られたビスク・ドールの様に美しく、女神像の様に神聖なものに見えた。そして少女はその傍に立っていた。


 少女はその聞き覚えのある声の持ち主の方に小さな体をゆっくりと向ける。『きっとまた泣いていたのだろう。』クライブは少女の涙に濡れた顔を想像していたのだが、振り向いた彼女の表情に彼は驚き、目を見開いた。


 そこには儚げに微笑む美しい少女が佇んでいたのだった。


「……クライブ?来てくれたのね。ありがとう。」


 落ち着いて話すアビゲイルに近寄り彼は少女の肩をそっと抱きしめた。


「アビゲイル、可哀想に…。僕の胸を貸してあげるから、泣いてもいいんだよ。」


 その言葉に少女の肩は一瞬震えたが、ゆっくりと顔を上げると黄金に輝く瞳でクライブを見つめた。そして柔らかく微笑んでみせた。


「大丈夫よ、クライブ。私はもう泣かないわ。これからはお母様の代わりに父と兄を支えていかなくてはならないもの。」


 力強く応える彼女は、もはやクライブが知っている泣き虫な幼い少女ではなかった。最愛の母の死がアビゲイルを少しだけ早く大人にしたのだった。


……そしてこの瞬間、クライブは自分たちの子供時代が終わった事を確信したのだった。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ