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68.

 ソルシアンとアニスは早朝から支度を済ませ、昨日通された貴賓室でジェイルが来るのを待っていた。ドルフはひと足先に帰路の安全を確認しに行っている。華麗に乗馬服を身に付けている少女は、無言のままソファーに座り、両手を固く握り合わせていた。彼女は朝からずっとこんな状態で、昨日とは様子が違う事はソルシアンにも判っていた。


「アニス、どこか具合でも悪いのかい?」

 

 ソルシアンの心配そうな問いかけに、アニスは黙ったまま首を横に振った。彼は少女の隣に腰かけて、向かい合うように彼女の方を向いた。骨ばった大きな手がアニスの頬を大切に包み込む。そして赤みを帯びた瞳で少女見つめた。  


「アニス?」


 その赤い瞳はまるで冷たくなった体を優しく温めてくれる暖炉の炎のようにゆらゆらと輝き、アニスの強ばった心を溶かしていった。


「怖いの……」


 アニスが震える声で小さく答えた。


「ああ。」


 ソルシアンはそっとアニスの体をすっぽりと包み込んだ。少女は彼の胸に顔を埋め、安心したかのように息を吐く。


「……夢を見たの。…お母様が殺された時の夢を…ソル、私、怖いの。外に出たらお母様のように私も殺されてしまいそうで」


「大丈夫だよ。私が君を死なせない。何があっても必ず!」


 ぎゅっと少女を抱きしめる腕に力が入る。


「それに、アムダルグに行ったところで私との結婚なんて、皇帝陛下は絶対にお認めにならないわ。それどころか捕らえられて一生、ソルにもお父様たちにも会えなくなりそうで……」


「ああ。アニスが不安がる気持ち、解るよ。でも、大丈夫だよ。私を信じて。どんなことがあっても私が君を守るから。たとえ祖国に刃を向けることになっても…」


「それは駄目!そんなのイヤよ!私のせいでソルが不幸になるなんて、イヤっ!!お願いよソルっ!!」


 アニスが逞しい胸から顔を上げて怒ったように抗議する。それを見たソルシアンの頬が緩む。そして、顔を紅潮させ必死に彼を説得する少女の頭をぽすん。とまた自分の胸に囲い込んだ。


「私も君が不幸になるのは嫌だ。じゃあ、一緒に幸せになるしかないな。アニス、私と二人で幸せになろう。」


「二人で?」


「そうさ。君が私を幸せにして、私が君を幸せにするんだよ。」


「ソルシアン……」


「それで、返事は?」


「…ええ。私、貴方と幸せになります。まだなにもしないうちから弱音を吐いてごめんなさい。貴方が一緒なら私は負けないわ。」


「それでこそ私のアニスだ。」


 ソルシアンはアニスの柔らかな巻き毛にそっとキスをした。


「それにしてもジェイルのやつ、遅いな。ったく、相変わらず自分勝手なやつだ!だからあいつを連れて行くのは嫌なんだ!」


 ソルシアンがブツブツと文句を言っていると、部屋の扉が開き、ジェイルとルルドールが入って来た。


「待たせて悪かったね。さあ、出発しようか。」


「遅いぞ、ジェイル!一体何をしていたんだっ!」


「ソルシアン、ごめんよ。僕が原因でちょっとね。」


「ルル様。何かあったの?大丈夫!?」


「おはよー、アニス。心配かけてごめんね。とりあえず問題は解決したから大丈夫だよ。」


「問題?女王様との間に問題があるの?」


「うーんと…問題というかー」


「アニス嬢、ルルはアビゲイル女王と上手くいっているから大丈夫だよ。それより、君たちの方が心配だよ。早くモードン殿と合流しなくては。」


 ジェイルの助け船にルルドールもほっとする。


「そうだよ、アニス。次は君たちの番だ。頑張ってね!」


「ええ。ありがとう!私、頑張るわ!」 


 四人が建物から外に出てみると、既にカサンドラとダンやカイル、サンダート……そしてザックが二人を待ち構えていた。


「アニスさん、気を付けて。これはこちらの薬師さんたちに頂いた常備薬です。怪我などせず、無事に帰って来てください!」


 涙目のカサンドラから小さな小袋を渡され、アニスは礼を言った。


「ありがとう、カサンドラさん!気を付けて行ってくるわ。貴女の彼を少しお借りするわね。」


 アニスの言葉に彼女は頬を染め、恥ずかしそうに頷いた。


「アニス、気をつけて行ってくるんだぞ。ソルシアン様は頼りになる方だ。きっと大丈夫だ。」


 ダンがアニスの肩に手を置いた。よほど昨夜の『兄上』が効いたのか、クラーロ家の中でダンはソルシアンの最大の味方になった。


「ほら、父さんからもアニスに何か言ってあげて!」


 カイルに言われ、ザックが二人の前に進み出る。父は今にも泣き出しそうな顔をしている。


「…お父様」


「アニス……ほ、本当に行ってしまうのかっ!?」


「ええ。私、必ず結果を出して帰ってくるから。だから心配しないで、私を信じて待っていて。」


「……アニス。」  


 感極まったザックはアニスを抱きしめる。一見、感動的な父娘の場面に見えたが


「アニス、アニス!行かないでくれ。私を置いてかないでくれー!!」


 父ザックが、まるでフラれた男がすがり付くようにアニスを離さないでいると、すかさず息子たちが寄ってきて、父は娘から無理やり引き剥がされたのだった。




「それでは行って参ります。」


「うん、気をつけてね、アニス。ソルシアン、兄上、彼女をたのんだよ。」


「言われずともアニスは私が命に代えても守る。」


「ソルシアンがそう言っているから大丈夫だよ。じゃあ、ルル。ちょっと行って持って帰ってくるよ。」


 ジェイルの言葉の最後の意味に皆首をひねったが、ルルドールだけはこの意味が充分すぎるほど理解できた。ぶるぶるっと身震いをして走り去る馬を見送ったのだった。


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