37.
カイル・クラーロはカサンドラが固まったまま見つめている視線の先を目で追ってみた。するとそこには恋人だろうか、黒い服を着た長身の男がまるで大切な宝物を持ち運ぶように、一人の女性を優しくエスコートしていた。
「ん?」
カイルはその女性に目をやった。見覚えのある可愛らしいドレスにふわふわのブラウンの巻き毛……
「……え?まさか、あれはアニスか!?」
いつもと違う妹の姿を目撃してカイルが驚きの声を上げる。母の死後、極度な人間不振に陥ったアニスは、他人を異常なまでに警戒するようになった。この10年間、心を許すのは家族と昔からクラーロ家に仕える数人の使用人だけだった。特に母を殺した野盗が若い男だったことも影響し、人嫌いの上、男嫌いでもあり、まさか若い男と親しげに話している令嬢が、あの、妹だとはにわかには信じられなかった。
「え、どこだい、兄さん?」
サンダートも兄の指差す先を見て、『えっ?』っと声を上げて驚いている。カサンドラは天を仰いだ。これではもう隠しだて出来ない。彼女は覚悟を決めてアニスの兄たちに真実を打ち明けた。
「あれはアニスさんに間違いありません。私が気付いたときには既にお二人で会場から出ていかれるところでした。ルル様に気を取られていて追うことも出来ず、申し訳ありませんでした。」
カサンドラが深々と頭を下げると、クラーロ兄弟は慌てて首を横に振った。
「いえいえ!カサンドラさんが悪いわけではないですよ。どうか頭を上げてください!!」
「兄さんのいう通り、あなたのせいではありません!は、早く頭を上げてください!!」
若い女性に頭を下げさせている、 大の男二人に通りすぎる人々が冷たい視線を送ってくる。いたたまれず兄弟はカサンドラに頭を上げるよう、懇願するのであった。
そして、兄弟の願いを聞き入れて、やっと顔を上げたカサンドラは少し躊躇いがちに
「そして、アニスさんの隣にいらっしゃるお方は……」
彼女が言葉を切った。そして意を決して言った。
「ア、アムダルグ帝国第二皇子、ソルシアン殿下です。」
「「えええーーー!!!」」
会場内に二人の声が響き渡った。その声に何事かと近くにいた人々の視線が兄弟に集まる。その中にはアニスたちもいたのだった。
「お、お兄様……」
アニスは二人の兄たちの姿を認めるとその場に立ち止まった。そして、サッとソルシアンの手を離し、彼から距離を取ろうとした。しかし男はそれを許さなかった。
「ソル、お願い。離して」
「駄目だ。絶対離さない!!」
「お兄様たちが見ているのよ。わ、私、恥ずかしい……」
頬を染め、潤んだ瞳で『イヤイヤ』をするアニスにソルシアンのボルテージがMAXまで跳ね上がる。一気にタガが外れた男は人目も気にせず、いきなり少女を抱き寄せ熱い口づけをしたのだった。
「んーーーー!!」
突然の出来事に少女はなす統べもなく、男に身を任せた。なぜ急にソルシアンが激変したのか、男の劣情が全く理解できない初な少女は、可憐な唇を男に貪り尽くされるのであった。
「おおー!」
あまりにも熱いラブシーンに周囲からは歓声が上がる。すると遠くの方から中年の男が息急き切らして走って来るのが見えた。
「ソ、ソルシアン様っ!!」
呼び止められたソルシアンは仕方なく少女から唇を離し、声のする方を振り向いた。
「ああ、ドルフか。」
ドルフと呼ばれた男は髪を振り乱し、肩で息をしながら充血した目で皇子を睨んだ。
「やっと見つけました!『ああ、ドルフか。』ではありませんぞ!一体貴方様は何をしているのです?ソルシアン様がこんな所で火遊びをしてらしたせいで、アビゲイル女王がラドハルト第三王子を婿として選んでしまわれたではないですかっ!」
「……火遊び」
その言葉にアニスは衝撃を受けた。
「待ってアニス!違う!遊びなんかじゃない!!私は貴女を……」
少女にソルシアンが弁明するのを男が遮る。
「なりませんぞ、皇子!私はお父上から貴方様のことを頼まれているのです。それを、どこの馬の骨とも判らない、得たいの知れない娘にたぶらかされたとなれば、皇帝陛下に合わせる顔がありません!」
ドルフの言葉の棘が胸に突き刺さり、アニスは限界を迎えた。咄嗟にソルシアンの手を力一杯払いのけ、出口に向かって走り出したのだ。
「アニスっ!!」
すぐに少女を追いかけようとしたソルシアンを中年の男が阻止する。男に羽交い締めにされ、ソルシアンは身動きが取れなかった。さすが、軍治国家アムダルグ、男は40を少し超えたとはいえ今回、ソルシアンの護衛の任務につくほどの手練れだ。そう易々とこの若い皇子の思い通りにはならなかったのだった。




