33.
その頃、ソルシアンは先程の女性の後をこっそり尾行していた。このまま別れてしまったら二度と彼女に会えない気がしたからだ。なぜなのか、彼はあの少女を逃がす気は全くなかった。
しばらくすると彼らは招待客用に設けられた一室に入って行った。そこは一番奥にある特等室で普通の一般人はけして立ち入る事の出来ない場所だった。
イール国民ではないソルシアンでさえ、クラーロの名前はよく知っていた。クラーロ商会はイール国で五本の指どころか、世界中で五本の指に入るほど、有名な財閥だった。そして先ほどの少女も身なりこそメイド服を着ていたが、その洗礼された優雅な立ち居振る舞いは、きちんとした家で教育された娘であることは間違いなかった。
皇子は考えた。父であるアムド2世と約束したからには手ぶらで帰る訳にはいかない。しかし彼は運命の女性と巡り逢ってしまったのだった。もともとイールの女王には全く興味が無かった。だが彼は意に沿わぬ婚姻でも皇子として生まれたからには、それを受け入れるしかない思っていた。
ソルシアンは妻が自分以外に愛人を作ることに抵抗はなかった。そして自身も結婚後には妻以外に愛人を囲うつもりでいた。しかし、彼女と出逢ってその考えは無くなった。あの純粋そうな少女を日陰者にする気はない。というより、アビゲイルとの婚姻も、もうどうでもよくなってきていた。今はあの出逢ったばかりの少女をどう口説き落とすか、その事だけで頭が一杯だった。
しかしそうこう考えていた時、部屋のドアが急に開いた。慌てたソルシアンはすかさず廊下の角まで走り、身を潜めた。そして中から初めに出てきたのは……
ソルシアンは目を見張った。中からは 得も言われぬ美しい少年が出てきたからだ。『ルルドール!!』ソルシアンは6年前にこの少年に逢っていた。確かに美しい少年だったが、当時のソルシアンはそれほど関心を示さなかった。そればかりか、彼がアビゲイルにベッタリ貼り付いていたこともあり、『少女のようにひ弱な少年』と心の中で蔑んでさえいたのだった。
それが、今はどうだろう。小さくひ弱そうだった子どもは容姿はそのままに、背丈も伸び、体型も随分としっかりとしてきている。男のソルシアンですら見とれてしまうほど、今のルルドールは輝いていた。そしてそのすぐ後ろを大柄の男がついていく。 おそらくは護衛であろう男の瞳は、油断無く周囲を見据えていた。続いて色違いのお揃いのドレスを着た二人の美しい女性が後を追う。ソルシアンは一目でその内の一人が彼女だと解った。彼らは尾行を続ける男に気づく様子もなく、前だけを向き舞踏会の会場に入って行った。
彼らが会場内に入るやいなや、中央に続く道が出来る。いつの間にか音楽は止み、皆がこの美しい一行を見守った。途中からはルルドールだけが、その道を進んでいく。ただ一人の女性を見つめながら……
あの少女が両手を合わせて祈るようにその様子を見守っている。ソルシアンは少女の側まで移動すると咄嗟にその小さな手を握りしめ、その場から連れ出した。男は無我夢中だった。そして外の庭園まで来た時、乱暴にその手が振り払われ、やっと我に返った彼は歩みを止めたのだった。
振り向くとそこには怒りで震える緑色の瞳が輝いていた。それを見た男はあまりの美しさに息を飲む。
「一体、どういうつもりですか?ソルシアン様!」
名前を呼ばれた男はうっとりとした顔で少女に応えた。
「ああ、初めて貴女に名を呼んでもらえた。それに怒っている貴女の瞳は美しいエメラルドそのものだ!」
「もう!何を言ってるんですか!これから大事なところだったのに!!」
少女の瞳がますます怒りの炎でギラギラと燃える。しかし男はまたしてもうっとりとした顔で返してくる。
「先程の約束を果たしてくださいますか?さあ、貴女の名前を私に教えてください!」
いつの間にか壁際に押し込められた少女は逃げ場をなくして仕方なく名前を告げた。
「……先ほどは訳あって身分を偽っておりましたが、私がアニス・クラーロです。」
その名を聞いた男の目が喜びでみるみるうちに輝きだした。
「クラーロ家のご令嬢は貴女なのですね。……アニス。ああ、なんていい名前なんだ!アニス……」
彼女を見つめるソルシアンの瞳が妖しく光る。アニスがその視線を外そうと目をそむけようとした時、いきなり少女は男に唇を奪われた。




