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疫病は城内にも蔓延し、平民だろうが貴族だろうが関係なく、その命を奪っていった。新王は日々政務に追われたが、登城する家臣はいつもの半数にも満たなかった。一部の家臣からはその事について非難する声も上がったが、女王はそれを責めたりはしなかった。いつ死ぬか判らない状況なら誰だって愛する家族と過ごしたいと思うだろう。大切な家族を失った彼女だからこそ、その気持ちは理解できた。
一方で、この厳しい状況の中、共に城内に留まり、この国のために心血を注いでくれる家臣たちに女王は心の中で手を合わせた。そしてその家臣の中に侯爵であり、この国の宰相でもある、ガロン・ロックフォードがいたのだった。
ロックフォード家はこの国で最も力のある貴族で、ローダスをも上回る権力を持っていた。そして先祖代々、国の中枢を担う役職に就き、王家と共にこの国を守って来た。切れ者の彼は先代の王を脇から支え、この国に尽くしてきた。なによりガロンは国民を、この国を愛していた。だからこそ、あの王弟に好き勝手され、イール国を退廃させるわけにはいかなかった。
「女王陛下、あの王弟殿下の野望を挫くには、陛下が我が息子と結婚するほか、手だてはありません。我が一族と共に、この国を守ってまいりましょう。」
新王の婚姻は疫病により、大打撃を受けた国民に希望を与え、この国の復興の為の布石となるとガロンは考えた。そして、ガロンの申し出は後ろ楯を必要とするアビゲイルにとっては、またとない話だった。この婚姻が成立すれば、ローダスを牽制できる上、彼女の地位も磐石なものとなる。
「判った。その話、是非とも進めて欲しい。しかし、私としては願ってもない話だが、ご子息に相談もなく決めてしまっていいのか?もしかしたら、誰か心に決めた女性がいるかもしれないぞ。」
「いいえ、息子、シーザーにそのような者はおりません。なにより今は国のために最良の策を講じなければならない時。たとえ心を通わせる者があろうが、それを許すわけにはまいりません。それがロックフォード家に生まれてきた者の宿命です。」
そう、栄華を誇る王族や貴族でも己の婚姻だけは自由にはならないのが現実だった。アビゲイルだとてそれは変わらなかった。それでも彼女は父母のような愛のある関係を夫となるべき男と作りたいと思うのであった。
女王は自身の成人の祝いのパーティーで一度、シーザー・ロックフォードに逢った事があった。父、ガロンと共に参加した彼は物静かで穏やかそうな青年だった。ガロンは王の片腕である宰相だったが、実は剣を扱わせれば騎士並の腕前の持ち主で、グレーの髪に琥珀色の瞳、がっしりとした体つきは知らない人が見たら宰相だとはにわかに信じられない風体だった。対して、シーザーは瞳こそ父と同じ琥珀色をしていたが、髪は母譲りの美しい金髪で到底剣士には程遠い細身の体をしていた。
イール国は『武』の国であり、多くの者が剣を扱う事が出来た。しかし、皆がみな武術に秀でていたわけではない。シーザー・ロックフォードもそのひとりで、彼は馬で野山を駆けるより、野の花を愛でることを好み、その手に剣を握るより、本を手に取り読むことを好む青年だった。それに頭脳明晰で誰よりも優秀な青年だったが、純粋過ぎて父のような策士にもなれそうもなかった。国王に次ぐ権力を持つ宰相は、いつもこの一人息子のことを歯痒く思っていたのだった。
しかし、そんな息子に最適なお役目が見つかった。それが女王との結婚だった。女王アビゲイルは先代の王をも凌ぐ賢王になれる逸材だ。政務の補佐ならいくらでもガロンが出来る。聡明で心優しいシーザーは政務で疲れた女王の心の支えになりさえすればそれでよかった。正に適材適所の配置といえよう。父子二人で新王を支え、イール国を繁栄させる、そんな夢がもうすぐ現実となる。ガロン・ロックフォードは胸の高鳴りをなんとか抑え、二人の婚約の準備を進めるのだった。
女王の婚約話が瞬く間に国中に広がってイール国民が歓喜に沸く中、幸いにも隣国と協力して研究を進めていたワクチンの生成が成功し、疫病の猛威も鎮静化に向かっていった。二人の婚儀は前王の喪が明ける一年後に予定された。しかしその矢先、シーザーがこの伝染病に罹患している事が判明したのだった。すぐにワクチンを投与したので死に至る事はなかったが、元来あまり健康ではない彼の体への負担は大きく、それ以来シーザーは寝たり起きたりを繰り返す生活を余儀なくされた。
それでも二人の婚約が破棄される事はなかった。シーザーが生きてさえいれば、ロックフォード家との絆は永久に切れる事はない。しかし喪が明けた後も、シーザーの体力は以前のように戻ることはなかった。結局、婚約をして4年が経つ冬の寒い日に、シーザーは還らぬ人となったのだった。
アビゲイルが思い出すシーザー・ロックフォードの顔は、彼の家に招待された時、彼が見せた表情だった。婚約が発表されてからシーザーとは何度か話す機会があった。いつもは笑みを浮かべて穏やかな顔をしている彼が、その日だけは悲壮感の漂う、とても悲しげな顔をしていたからだ。そして時折目が合うと何か言いたげに口を開くが、結局なにも言えず俯いたのだった。その後すぐに彼は病床の身となり、4年後に亡くなってしまった。あの時、シーザーは何を言おうとしたのだろう?彼を思い浮かべる時、女王はいつも考えるのだった。




