23.
城の入り口に到着した時には、既に舞踏会は始まっていた。御者のダンが馬車の扉を開け、『令嬢』に手を差しのべる。
「ルル……アニス様、すみません。早めに出発したつもりでしたが、まさか、これほど馬車渋滞するとは夢にも思いませんでした。パーティーはまだ始まったばかりだそうです。さあ、早く中へ!!」
『アニス嬢』の後からエスコート役の青年、クリストファーが降りてきて、緊張で少し震えている『彼女』の手をしっかりと取り、低い落ち着いた声で話しかける。
「さあ、参りましょう。」
二人はゆっくりと城の中へ入って行く。
「ダンさんと私は控えの間に荷物を運んできます。アニスさん、後はよろしくお願いします。」
カサンドラは小さな声でそう言うと、御者役のダンと荷物を持って奥へと消えていった。父王の情報によると女王の花婿候補は三人。アムダルグのソルシアンとユノールのクライブそして、ルルドールだ。つまり、この大陸の主要国全ての王族がその座を狙っているという事になる。
彼がこの二人と初めて対面したのは、10歳のバースデーパーティーの時だった。ソルシアンは短めの赤毛をわきに流し、やはり赤みの強いブラウンの瞳をした、見るからに気の強そうな男。クライブは長い黒髪を後ろで束ね髪、緑の瞳に縁なしの眼鏡をかけた、物静かな男だ。ソルシアンは自意識過剰の野心家だが、熱血漢でもあった。比べてクライブは冷静沈着で警戒心が強く、何を考えているのかさっぱり解らない。
年齢的にも26歳の女王に対して、ルルドールは16歳、ソルシアンは24歳そして、クライブは女王より唯一年上の32歳。花婿としては一番釣り合いがとれていた。父王に花婿候補の名を聞いた時から、妖精王子にとって、この得たいの知れない男が最大のライバルに成りうることは初めから分かっていた。ルルドールはこの男を出し抜き、アビゲイルを手中に納めるためならば、どんな汚い手段でも構わず使うつもりでいた。
重厚な扉が左右に開かれたると、中からは目映い光と共に華やかな音楽と人々の笑い声が聞こえてきた。ルルドールはアニス・クラーロとして、エスコート役のクリストファーと侍女役である、本物のアニスと共にその中に入って行った。ホール内は着飾った人々で賑わっており、中央奥の壇上にある王座にアビゲイル女王の姿はなかった。
今宵この場にはアニス嬢として参加している。ルルドールははやる気持ちを抑えて、アニスとして振る舞うことに努めた。彼女の美しさに若い男はたちはこぞってダンスに誘おうと群がって来たが、お伴のクリストファーが鋭い目付きをして彼女の側を片時も離れないのを見るや、その場から離れていった。おそらく、彼の発するの殺気に恐れをなしたのだろう。そんな様子を『侍女』はため息をつきながら見つめるのだった。
『アビー様は何処にいるんだろう?』混雑するホールの中、人々をかき分け中央に進んでいく。そんな、アビゲイル女王の事ばかりに気を取られて歩いていたルルドールに突然『ドンッ!』と何かがぶつかった。
「おっと、これはすまない。お嬢さん、お怪我はありませんか?」
ルルドールがその声の方向に顔を向けるとそこにはアムダルグ帝国の黒い礼服を着た赤毛の若い男が立っていた。『ソルシアン!!』不意をつかれたルルドールは思わず声を上げそうになった。6年ぶりの彼はクリストファーに負けず劣らずの長身で、体は細身だが精悍な顔立ちの青年になっていた。当初の驚きをなんとか抑えて、『アニス嬢』は平静を装いお辞儀をした。
「は、はい、大丈夫です。こちらこそ、余所見をしておりました。もうしわ……」
顔を上げ、ソルシアンに目を向けたルルドールは言葉を切った。大きく見開かれた瞳はソルシアンの肩越しの少し奥に見える二人の人物を捉えていたからだ。『アビー様!!!』そこにはルルドールが6年間、恋い焦がれた女性が立っていた。アビゲイルの6年前と全く変わらない美しい姿にルルドールの瞳は輝きを増した。その様子にクリストファーも妖精王子の視線の先にあるものを認識した。
しかし、その輝いていた瞳はすぐに驚愕の色に変化した。アビゲイル女王の隣にはクライブが仲むつまじく寄り添っている。しかも、アビゲイルの手には白薔薇が握られていた。……そして、クライブの胸には一輪の白薔薇が飾られている……グラッ!ルルドールの体が揺れた。すかさずクリストファーは崩れ落ちそうになる彼の体を抱き止めた。
「おい、しっかりしろ!」
「で、でもアビー様が、白薔薇を……は、早くアビー様のところに行かないとっ!!」
ルルドールはクリストファーの腕を振り払い、アビゲイル目指して走り出した。『アビー様、アビー様、アビー様っ!!!』しかし、溢れ返る人々に何度もぶつかり、中々前に進めない。クリストファーは後を追っていく。
「ル、アニス様!!」
ルルドールがソルシアンと話すあたりから、少し後ろの方で待機していたアニスも慌てて追いかける。『ドンッ!』だが今度はアニスが呆気にとられているソルシアンにぶつかってしまった。アニスが倒れたその拍子に、変装用の眼鏡とメイド用のキャップが外れ、サラリとブラウンの巻き毛と美しいエメラルドの瞳が姿を現した。
ソルシアンはアニスがぶつかった衝撃で正気に戻り、倒れた少女に手を差しのべた。
「大丈夫か?怪我は?」
「も、申し訳ありません!なんともありません、ありがとうございます。」
俯いたメイドが顔をソルシアンの方にと向ける。二人の瞳が合わさった瞬間、ソルシアンの動きが止まった。
「ごくんっ!!」
ソルシアンが唾を飲む。差し出された掌に少女の白い小さな手がのる。そっと引き寄せるつもりだったが思わず力が入ってしまう。
「きゃっ」
急に引き寄せられた少女から思わず声が漏れ、そのまま男の胸の中に包まれた。ふわりっと少女の髪から良いにおいがする。ソルシアンは少女の髪に顔を埋めてその香りを堪能し、今まで感じたことのない気分に酔いしれた。
「な、何をするんです?離してください!!早く行かないと!」
「……いやだ!離したくない……」
「あ、あなた、一体どういうつもりです?こんな場所でメイドに不埒な真似をするなんて、許されるものではありませんよ!」
睨み付けるアニスをうっとりとした赤茶色の瞳が見つめる。兄たち以外の若い男に触れられるのは生まれて初めての少女は、顔を真っ赤にしながら叫ぶが全く効果はない。
「私はアムダルグ帝国の第二皇子、ソルシアン。あなたの名前を教えて欲しい。」
「え!?ソルシアン皇子?」
「ええ、そうです。で、あなたの名前はなんというのですか?」
アニスは瞬時に考えた。ソルシアンはルルドールのライバルの一人だ。しかもこの男、何故か逢ったばかりの自分に興味があるらしい。この男をたぶらかす事が出来れば、ライバルが一人減る事になる。さて、どうするか?
「私はクラーロ家の者ですが、今この場で名乗る名前はございません。どうしても私に興味がおありでしたら、後程改めてお話いたします。だから今はその手を離し、私を行かせてくださいませ。いいですね?」
アニスは冷静に話をして、最後にルルドールを真似て首を傾げながら尋ねてみた。すると、効果抜群!みるみるソルシアンの頬は朱に染まり、コクコクと頷いて見せるのであった。
ルルドールの方はといえば、もはや冷静ではいられない。胸の中はどろどろとした気持ちで一杯だ。『やはりアビー様は僕の事なんてなんとも思っていなかったんだ!酷いよ、アビー様!!』裏切られた怒りと苦しみ、そして悲しみが彼を支配する。
「落ち着け、ルル!!」
やっとの思いで追い付いたクリストファーに肩を掴まれてルルドールは止まった。耳元で囁かれ、少年は息を吐き、何度も気持ちを落ち着かせようとしたが、駄目だった。彼自身もこの激情をどうにも出来ないでいる。クリストファーは少年を自分の方に振り向かせた。その瞬間、男は目を見開いたがすぐにルルドールを自分の胸に抱きしめた。止めどなくクリストファーの胸が涙で濡れていく。
「……ねえ、クリス…あの男を殺して!」
クリストファーの胸に顔を埋めルルドールが命令した。男はいとおしそうに妖精王子を抱きしめる手に力を込めた。
「……それは、出来ない……」
「ふふっ、だよね……」
まるで自嘲するようにルルドールは応えた。クリストファーは素早く上着を脱いで彼に被せると横抱きにして叫んだ。
「アニス嬢の具合が悪くなった。すまないが、道を開けてくれ。」
その声に出入り口までの道が出来ていく。クリストファーは早足でその場を後にする。遅れて駆けつけたメイドも慌てて後を追う。そしてそれを遠目にアビゲイルとクライブが見ていたことを三人は知るよしもなかったのだった。




