アウトローに学ぶ異界生存戦略.72
死んでいたのだそうだ。
殺された、というのが正しいのだろうが。
それを彼らが認めることはないのだろう。
異端審問という名のリンチの場で、大王の隣に立っていた高僧は我々が王都に戻ってすぐかその前に死んでいたそうなのである。
上っ面の笑顔を貼り付けていたあの老人が。
濁り淀んだ瞳をくり抜かれ、同じように下種な魂を抜かれてしまったのだ。
なぜ目玉を盗る必要があったのだろう。
薄汚れた魂の宿った瞳。
それは魂と同じく、聖人として葬られる僧には不要の物と思っての慈悲だろうか?
雄弁に己の利のために動くだけの舌はちぎり取られていたらしい。
同じく聖人には不要な物だったから切り取ったのだろうか?
フーガは思う。ヤヌ人のショーイ神官としてではなくタイタニア人のフーガ少尉として思う。
――手口を紐解くべきだ。
彼が若き頃に戦地で見た惨たらしい惨状は思いだすも腹立たしいものばかりである。
兵士の士気を根こそぎ奪うため。
人間であれば戦意が崩れ去ってしまう。
そのような人間の尊厳を貶めるような殺し方はいくらでもある。
オブジェの一部として飾られる人間のパーツ。
いつもその作成者には何か意図があった。とフーガの経験として感じている。
そしてそのような物を作り出す悪魔のような人間は、誰も彼も承認欲求が湧水のようにどんどん増えるものだ。
湧水は適切ではないな。
生活排水や工業廃水による汚水。ドブ川のドブ。飲み過ぎた酔っぱらいのゲロ。
などなど例えようは色々あるが一番言いたいのは鼻がもげるような異臭を放っているという点である。
健常な精神の人間では到底耐えられないような悪臭を振り撒くことで悦に浸る人間はいるものなのだ。
そして、そいつらの行動はエスカレートする。
初めは作戦として認めていたであろう軍人でさえ異常者を野放しにするなと言い出す。
そして狂人は世間から姿を消すのだ。
だが今のヤーラカーン教のように悪魔の存在を不問にしたり、悪魔の自己表現を見なかったことにするとアレ等はどのような行動に移るのだろうか?
顔を歪めながら歯をむき出しにし怒り狂っているだろうか?
自己を否定されたとむせび泣きながらべそをかいているだろうか?
言えることはこれで終わる訳がない、ということである。
無視しても非難しても奴らにどの程度意味があるのか分からない。
もちろんこの『まだ被害者が出る』という私の感想は、老いた高僧を殺害したのが集団ではなく個人の偏執狂であった場合の何の確証もない話であるのだが……。
カーマが魔法に強く興味を示してきたので何故そのように求めるのかと聞いて分かったことなのだが、ヤヌ人の魔力への過敏性は幻聴や幻覚までも伴うようであると考える。
"それ"が真理へと至る道であるとは思いたくないので"幻聴"、"幻覚"と私は断言する。
確かに現存しなかった魔法を初めて使った者たちの記録だと、それは神からのお告げじみていると言っていいが、それはあくまで掴んだ成功に対する精神の異様な高ぶりからくるのであろう。
意識の拡張、世界との融合などといったことがたかが魔法一つ習得するだけで起こるなどとは安っぽすぎる。
だが、このヤーラカーンの神官たちはどう考えるだろうか?
天啓だと感じている者がほとんどであるとしたら、私の言うような頭のネジが飛んだ狂信者もいたとしてもおかしくはない。
「そんなこと考えても仕方がないだろう?」
カーマにそう言われても私の頭から遺体を玩具にする者への怒りは静まらず、ふつふつと煮えたぎるのだ。
そうだったな。
カーマは私の部下を見世物にするような奴であった。
私達が王都へと来たときには既に彼らの晒されていた広場は綺麗さっぱり片づけられていた。
こいつがやったとしてもおかしくはない……か。
私はカーマから、カーマ自身が会得した魔法の力について聞いてはいない。
部下の肉体を、その仲間たちに損壊させる様な奴なのだコイツは。
私とカーマの意識の違いと言って終わりに出来るほど問題は単純ではない。
私の心の中の撃鉄は起き上がったままである。
その標的はもちろん帝国に仇を成す者に対してである。
これは建前だな……。
言い直そう。標的は私の気に入らない奴だ。私の道を邪魔する者だ。
私が我慢ならなくなったらどうなるか私にも分からない。
私は仇討ちするほど部下思いではない。
だがそんな私でさえ邪悪は滅ぼさねばならんと思い至るときもあるかもしれないだろう?
そういう事である。




