第八話 ビロードの礼服の青年
舞踏会の夜、王宮の大広間は、豪華なシャンデリアと色とりどりのドレスで華やいでいた。
ローズは髪にたくさんの白い小さなリボンをつけ、淡いブルーのドレスに身を包み、緊張した面持ちで立っていた。
「私、おかしくない? リボンは子供っぽくない?」
「よく似合っていますよ、ローズ」
アンリオンは黒い執事の礼服を着て、ローズの少し後ろに控えながら、小声で励ました。
「そうよね、きっと大丈夫よね……」
音楽が始まり、貴族たちがダンスフロアに集まり始めた。
何人かの若い貴族がローズに近づいてきたが、彼女は緊張で硬くなって、会話がうまくいかない。
その時、「失礼、お嬢様」と優雅な声が響いた。
振り向くと、そこにはすらりとした金髪の青年が立っていた。
碧い瞳、整った顔立ち、少し厚めの唇、紫色のビロードの礼服が、彼の気品を際立たせている。まるで絵画から抜け出してきたような完璧な容姿だった。
彼が手を差し出した。
彼はローズが手を出すまで、片方の手を後ろにして待ち、ローズの手を掴まえると、離さなかった。その手は温かく、優しかった。
「美しいお嬢様、もしよろしければ、一曲お願いできますか?」
「え、あ、はい……」
人々の視線が、若いふたりに集まった。ローズは少し浮かれた気分になり、フロアの中央に出ていった。
アンリオンは、二人の後ろ姿をじっと見つめた。
うまく踊れますように。
でも、その瞬間だった。
ぞくり。
アンリオンの背筋を、冷たいものが走り抜けた。変なにおいがする。胃の底が、不快にざわめいた。
彼には、独特の空気感が漂っている。それはアンリオンのカンで、実際に変な臭いがしているわけではないのだが、窃盗団のアジトでよく感じた。悪事をする人には、言葉では説明しがたい独特の目付きと雰囲気があるのだ。
心臓が、警告を発するように激しく打った。
アンリオンは目を細めて、その貴公子風の男を観察した。
美しい姿勢とやさしすぎる笑顔、あまりに完璧すぎるところが、かえって引っかかった。
人間というのは、どんなに取り繕っても、どこかに隙が出るものだ。それが全くないということは、ずっと演じ続けているということではないか。
ローズとダンスをしながら、彼の目が、一瞬だけ広間の出入口に向いた。どこに誰がいるのか、確かめている目だった。
ああいう目は、子供の頃、よく見た、とアンリオンは思った。
窃盗団の仲間たちも、こういう目をしていた。
どこにカモがいて、どこに逃げ道があるか、それを確認した時の目だった。
こいつは危険な男だ、と思ったが、同時に、これは嫉妬というものなのだろうかとも思った。
ローズが他の男と踊ったから、その相手を悪く見ようとしているだけなのだろうか。
自分はおかしくなってしまったのだろうか。
アンリオンは、人々から尊敬されている雰囲気の穏健な老貴族のところへ行って尋ねてみた。
「失礼ですが、質問よろしいですか」
「何なりと、どうぞ」
「あのビロードの服の紳士がどなたかご存知ですか」
「おお、きみは彼のことを、知らないのですか」
「はい。地方から来ましたので」
「彼は第三王子、ビクター殿下ですよ。王子はあまり社交界には姿を見せないのだが、今夜は来られた。どういう風の吹き回しなのだろうか」
「どういうお方なのですか」
「ご自分の目で、ご覧なさい」
「はい。ありがとうございます」
アンリオンはもう一度、ビクターを見た。
彼のことを危険な男だと思ってしまったけれど、第三王子なのだから、そんなことはないだろう。どうも、思い過ごしだったようだ。
自分は七歳まで、窃盗団のアジトで毎日嗅いでいたいやなにおい。
あれを彼から感じたといって、王子がそんな人間なわけがない。
*
ローズの目が、ビクターを見つめている。
ビクターがやさしい顔をして、ローズに何かささやいている。
アンリオンは彼を誤解したことを、ローズに謝りたいと思った。
ごめん、邪推をしてしまって。
ぼくはきみを守りたかっただけなんだ。




