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第四話 ローズの涙


リリィの葬儀の日、ローズは、鼻を真っ赤にしてずっと泣いていた。


お棺の前で、小さな体を震わせながら、声を上げて泣いていた。黒いドレスを着た小さな体が、悲しみで震えている。


「お母さま……お母さま……」


その姿を見て、アンリオンの胸は張り裂けそうになった。

葬儀が終わり、人々が去った後も、ローズは庭で一人、泣き続けていた。


「お母さま……どうして……どうして私をおいていっちゃったの……」


アンリオンが、そっと近づいた。


「ローズさま……」


「アンリオン……」


ローズが振り向くと、その顔は涙でぐしゃぐしゃだった。


「お母さまが……お母さまが……いなくなっちゃった……」


そう言って、ローズがまた泣き出した。アンリオンが、ローズを抱きしめた。


「ローズさま、泣いていいですよ。涙が出なくなるまで、僕はずっとそばにいますから」


「アンリオン……」


ローズはアンリオンの胸で、声を上げて泣いた。アンリオンも、涙を流しながら、ローズを強く抱きしめた。


リリィ奥さま、僕は約束します。どんなことがあっても、ローズを守ります。悲しみから、苦しみから、すべての危険から。


*


葬儀の後、屋敷は急に静かになった。


泊っていた弔問客達は次々と帰り、召使たちは足音を立てないように歩き、誰もが声を低くして話していた。リリィ夫人がいなくなった屋敷では、夫人の存在の大きさが前よりも重く感じられた。


一ヵ月経っても、ローズは自分の部屋にこもっていた。


アンリオンは廊下をそっと歩き、ローズの部屋の前で立ち止まった。扉の向こうから、物音はしなかった。泣いているわけでもなさそうだった。


「ローズ」


返事がなかった。


「入りますよ」


扉を開けると、ローズは窓際に座っていた。膝の上に何かを抱えていた。葡萄色のビロードのショールだった。


アンリオンは、そのショールを知っていた。忘れるはずがない。


あの冬の日、血を流してうずくまっていた自分に、リリィ夫人がかけてくれたものだった。冷え切った体を、あのショールが初めて温めてくれた。あの瞬間が、アンリオンにとって、この世界に自分の居場所があるかもしれないと初めて思えた瞬間だった。


「このショール、お母さまのお部屋で見つけたの」


ローズが静かに言った。


「箪笥の一番上の引き出しに、大切にたたんであったわ。ラベンダーの香り袋と一緒に」


「……」


アンリオンはローズの傍らに座った。


「お母さまに会った日のこと、覚えている?」


「よく覚えています」


「教えてくれる?」


アンリオンは少し考えてから、話し始めた。


あの冬の日のことを。三日間、何も食べていなかったこと。仲間に殴られて、もう立てないと思っていたこと。そこに馬車が止まって、綺麗な服を着た女の人が降りてきたこと。その人が、自分の肩に、温かいショールをかけてくれたこと。


「お腹、空いているでしょう、って言ってくれました」


アンリオンはそこで一度止まった。


「僕は死ぬほど腹が空いていたから、その言葉を聞いた時、泣きそうになりました。でも泣けなかった。長いこと、誰にも優しくされていなかったから、どうすればいいのかわからなかったのです」


ローズは、ショールをぎゅっと抱きしめた。


「お母さまはね、あなたを見た時、目が似ていると思ったって、私に話してくれたことがあるの。亡くなった兄上さまの目に、似ているって」


「知りませんでした」


「だから馬車を止めたのですって。でもね」


ローズはアンリオンを見た。その青い瞳が、涙で光っていた。


「お母さまはあなたを連れてきてから、私に言ったの。あの子の目は兄上さまに似ているけれど、あの子の目の中には、諦めと悲しみがあるって」


アンリオンは、何も言えなかった。


「アンリオンには諦めと悲しみがあったの?」


「自分では、わかりません。でも、僕はこの屋敷に来て、変わりました」


「何が変ったの?」


「前は人間を信じていなかった。ずっと疑ってみる癖がついていたけど、今は違います」


「人を信じるということ? 誰でも信じちゃだめよ。世の中、こわいんだから」


「ローズさま、あなたから、それを聞くとは思っていなかったです」


「お父さまが言っていたことよ」



風が窓を揺らした。カーテンがふわりと動いた。


ローズがショールをそっと広げて、アンリオンの肩にかけた。葡萄色のビロードは、三年前と変わらず柔らかかった。


「お母さまの代わりに、私がかけてあげる。これは、あなたのものよ」


アンリオンは泣くまいと思ったが、目が熱くなった。


そうかもしれない。


路地で暮らしている時には、何も信じられない日々が続いていて希望がなかったけれど、それでも、何かを信じたかった。


でも、それは無理だった。あの境遇から逃れる方法がわからなかった。


あの時、リリィ夫人が目を止めてくれて、この屋敷に来た日から、どれほど夫人に救われてきたことだろうか。その夫人はもういない。


でも、このショールがここにあって、ローズがここにいる。


「ありがとうございます。ショールを大切にします」


声が、少し掠れた。


「アンリオン」


「はい」


「もう諦めたり、悲しんだりしないでね」


慰めに来たつもりなのに、逆に慰められた。


「もうしません」


「お母さまがいなくなっても、私たちはここにいる。ふたりで、ここにいる。だから、私も諦めたり、いつまでも、悲しんでばかりいないようにしようと思うのよ。がんばりましょう」


アンリオンは言葉が出なかったから、ただ頷いた。


ショールは、リリィ夫人の香りがした。ラベンダーと、少しだけ、あの馬車の中の温かさの記憶がした。


ふたりはしばらく、そのまま窓の外を見ていた。


庭では、バラがまだ咲いていた。リリィ夫人が愛したバラが、風に揺れていた。


アンリオンは、そのバラを見ながら思った。リリィ夫人がいなくなっても、バラは咲き続けている。夫人が愛したものは、ここに残っている。ローズも、このバラも、このショールも。



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