第二十話 将軍の訪問
「見ろ、小隊長が戦っている!」
誰かが叫んだ。
「退くな、退くなよ!」
兵士たちの声が重なった。
士気が、折れかけたところから持ち直す。人間とはこういうものだ、とアンリオンは思った。誰かが前にいれば、ついて来られる。
だが、敵はさらに増えていた。第二波が押し寄せてきた。
今度は騎馬だった。
地面が震えた。足の裏から、その振動が伝わってくる。
松明の炎が揺れ、暗闇の中に馬蹄の音が轟いた。
アンリオンは歯を食いしばった。息が切れて、胸が苦しい。腕の傷から力が抜けていくのがわかった。それでも、剣を握る手だけは緩めなかった。
来れるものなら、来い。
僕は、ここで倒れるわけにはいかないんだ。
その時だった。遠くから、角笛の音が響いた。
一度。二度。三度。
その音が何を意味するか、アンリオンは兵士になってすぐに覚えた。援軍だった。
「ハルベルト大将軍が来られた!」
後方から声が上がった。
夜明けの空が、ほんのわずかに白み始めていた。
その薄明かりの中に、大将軍の旗が揺れるのが見えた。
精鋭騎馬隊が、砂埃を上げて突進してくる。
その数、数百は下らない。地響きが大きくなり、アンリオンの立つ地面まで揺らした。
敵の騎馬隊が動揺した。足を止め、やがて、後退を始めた。
ハルベルト大将軍の馬が、戦場を一気に駆け抜けた。
将軍自ら先頭に立ち、敵の隊列に斬り込んだ。その采配は迷いがなく、圧倒的だった。数分もしないうちに、敵は完全に退却し始めた。
「追うな!深追いは罠になる。ここで止まれ!」
アンリオンは残った力を振り絞って叫んだ。喉が張り裂けそうだった。
その瞬間、足に力が入らなくなり、膝が地面についた。全身から、張り詰めていたものが一気に抜けていく感覚があった。
「小隊長!」
マルクが駆け寄った。
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃありません、こんなに血が」
「……大丈夫だ。あとは頼む」
アンリオンは地面に片手をついた。冷たい土の感触だけが、やけにはっきりと伝わってきた。
空を見上げると、東の空の端が、淡い橙色に染まり始めていた。
あの頃、ローズとふたりで丘の上から見た夜明けに、少し似ていた。痛みと疲労の中で、なぜかその光景だけが、くっきりと浮かんだ。
「おまえが、この小隊を持ちこたえさせたのか」
低いが、力強い声が聞こえた。見上げると、馬上にひとりの男が立っていた。
白髪交じりの短い顎髭、鋭い眼光、胸当てに刻まれた将軍の紋章。ハルベルト大将軍だった。
「……援軍が来るまで、持ちこたえられてよかっただけです」
「この状況で、三方を敵に囲まれて踏ん張れる隊長は、そうはいない」
将軍は馬から降りた。そして、地面に膝をついたアンリオンの前に立ち、その傷の具合を確かめた。
「名前は」
「アンリオンと申します」
「覚えておこう」
将軍は振り返り、衛生兵を呼んだ。
「この男の手当てを最優先にしろ」
「はい、将軍閣下」
夜明けの光が、ゆっくりと戦場に差し込んできた。
倒れた者の顔を照らし、残った者の疲労を照らし、そしてアンリオンの流した血を照らした。
彼はその光の中で、意識を失った。




