第十一話 手紙
アンリオンが屋敷に戻ったのは、夜が明ける少し前だった。彼は着替えもせずに椅子に座った。
これを誰かに伝えなければならない。
彼は、夜明けの空を見ていた。
窓からは、薄明の中にピンクのバラの花がぼんやりと見えた。何か語りかけているようだった。
リリィ夫人が愛した庭。夫人は娘が笑顔でいることを願って、アンリオンにローズを守ってほしいと頼んだのだ。
アンリオンは机に向かい、便箋を取り出した。そして、今夜、見たことをすべて書いて、便箋を折りたたんだ。
ローズ、僕は、必ず、あなたを守ります。たとえ、あなたに恨まれても。
*
その数日後、ローズのもとに、ビクターから美しい花束と手紙が届いた。
「まあ」
ローズは手紙を愛しいそうに抱きしめた。
「ビクター王子様からよ。今度は、お茶に招かれましたわ!」
「そうですか」
「アンリオンも、一緒に来てくれるわよね?」
「いいのですか」
「もちろんです」
アンリオンは、表情を変えずに答えた。
だが、心の中では決意していた。この機会に、しっかりと、ビクター王子の本性を見極めなければならない、と。
*
王宮の庭園で、ローズとビクターは優雅にお茶を楽しんでいた。
アンリオンは、少し離れた場所で控えていた。
「ローズ、この間の舞踏会以来、あなたのことが頭から離れないのです」
ビクターが魅力的に微笑んだ。
「私も……です」
ローズの頬が赤くなった。
「あなたは、他の多くの令嬢たちとは違います」
「私は田舎者です」
「そうではないですよ。あなたは純粋で、正直で、美しい。都会のどんな令嬢だって、かないません」
「そんな……」
「本当ですよ。だから、もっとあなたのことを知りたい」
ビクターは、立派な紳士のように見えた。
彼はローズの言葉に熱心に耳を傾け、優しく微笑み、時折、さりげなく花の名を教えたりしていた。
ローズがうれしそうに笑うたびに、ビクターも目を細めた。
しかし、アンリオンが見たのは、その隙間だった。
ローズが庭の花に気を取られた一瞬、ビクターの目が鋭くなった。庭の外、塀の向こうを、何かを確かめるように見た。その目は、恋する男の目ではなかった。何かを計算している者の目だった。
その時、庭の茂みの向こうから、二人の男の声が聞こえてきた。
「殿下のご計画、順調のようですな」
アンリオンの耳がぴくりと動いた。腰を曲げて、そっと茂みに近づいた。
「ああ。ソーントン伯爵の領地は、鉱山が豊富だからな。あの令嬢を手に入れれば、資金源が確保できる」
アンリオンの身体は硬直したが、耳のほうはしっかりと集中させて聞いていた。
「しかし、令嬢は本気で殿下に惚れているようですな」
「当然だ。うぶな女など、甘い言葉をかければ簡単に落ちる」
下品な笑い声が聞こえた。
やはり、そうだったか。
アンリオンは、拳を握りしめた。
「しっ、誰かいるぞ」
男たちが気づいた。
アンリオンは腰を曲げたまま素早く移動して、何食わぬ顔で戻った。心臓が、激しく鼓動していた。
やはりローズは騙されている。
このままにはしておけない。でも、どうすればよいのだろうか。
ローズに話したら、信じてくれるだろうか。
ビクターへの気持ちが高まっている今、アンリオンが何を言っても、嫉妬だと思われるだけかもしれない。
ローズには嫌われたくはない。でも、ローズが騙されるのを見過ごすわけにはいかない。
*
屋敷に戻ると、ローズは幸せそうな表情で、贈られたエメラルドのイヤリングを耳につけてみた。
「どう?」
「よくお似合いです」
「アンリオン、ビクター様は本当にすてきなお方よね。私は、ラッキーな星の下に生まれてきたのだわ。きっと、お母さまが見守ってくださっているからでしょうね」
ローズは夢みる瞳をして、幸せでいっぱいなのだった。
「……ローズ」
「なあに?」
「ビクター殿下のことを、どこまで知っていますか?」
「どういうこと?」
ローズが不思議そうに振り向いた。
「殿下の人となり、評判、普段何をされているとか……」
「そういうことは……よく知らないけれど」
ローズが少し考えた。
「でも、私は自分の目を信じます。私は自分の目には、自信があるのよ。ビクター王子は、とてもよい人だって、わかるの。あの澄んだ目を見れば、わかります」
「見た目や言葉だけでは、人の本質はわかりません」
「だから、私は私の目を信じていると言っているでしょ」
「その目が曇っているとしたら」
「ひどいことを言うのね。アンリオン、どうしたの? まるで王子殿下を疑っているみたいじゃないですか?」
「疑っているわけでは……いいえ、僕は疑っています」
アンリオンは、真剣な目でローズを見た。
「もしかしたら、殿下はローズを……この家の資産を目当てに近づいているのかもしれません」
「そんな!ひどい」
ローズはアンリオンの胸を掴んだ。
「王国の王子が、そんなことを考えるわけがないわ。アンリオン、あなたは私たちの恋の邪魔をしようというの?」
「え?」
「私が王子様と仲良くしているのが、気に入らないの? 私に、幸せになってほしくはないの?」
「僕は、いつもローズの幸せだけを願っています」
「それなら、どうして、そんな意地悪なことを言って、私を悲しませるの?」
その言葉が、アンリオンの胸に突き刺さった。
「違います。ただローズのことを心配して……」
「心配なんてありがた迷惑です。いらないわ。私はもう子供じゃないの。何でも、自分で判断できる。私、人生で、こんなに人を愛したのは、初めてなのよ! 邪魔しないで」
ローズの目には涙が光っていた。
「ビクター王子は、本当に優しい方よ。それを疑うなんて……アンリオン、あなたひどいわ!誰に言われてもいい。でも、あなたにだけは、そんなことは言われたくなかった。喜んでほしかったのに」
そう言って、ローズは泣きながら部屋を飛び出していった。
アンリオンは、その背中を呆然と見つめた。
ローズを悲しませたくはないけれど、このままでは、ローズはもっと悲しむことになる。でも、今は何を言ってもローズは信じてくれない。
アンリオンは、深く息をついた。どうすればよいのだ。




