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パティと別れたアリスンは、グラスの部屋へと向かった。
「アリスンです。入ります」
ノックをして部屋へと入ると、まだグラスはベッドルームの寝台の上にいた。
「おい、遅いぞ! 早くこっちに来て、俺を起こせ」
グラスの態度は、とても人に何かを頼む態度ではない。そうは思ったが、アリスンは急いで手すりのついた寝台へと駆け寄った。グラスは寝間着姿で、寝台の上で脂汗を浮かべて歯を食いしばっている。
「どうしたの? どこか痛むの?」
「背骨が痛むんだよ! いつものことだから、いちいち騒ぐな。とりあえず、手を貸してくれ」
グラスの背に手を添えて、クッションを背もたれにするとアリスンは彼の身体を起こす。
「水、持ってこい!」
ベット脇の水差しから、コップに水を入れて差し出す。グラスはそれをひったくるようにしてアリスンの手から取ると、水を飲み干した。
「くそっ、今日は色々とやることがあるっていうのに……」
グラスはぼやきながら寝台の上で、おもむろに寝間着を脱ぎ始める。思っていたよりも引き締まった筋肉が見え、アリスンは思わず目を逸らせた。
「おい、おい! 聞いてるのか、アリー? 着替えを持ってきてくれ。棚の一番上にシャツと下着が入っていて、一番下にズボンが入っている」
アリスンは言われたとおりに、すぐにすっ飛んで行って棚から言われたものを取り出すとグラスに渡していく。彼は一人で脱ぎ着することに慣れているようで、手早く服を身に着けていく。ブルーのシャツに灰色のズボンを合わせると、ゆっくりと寝台から降りて車椅子にゆっくりと座った。
どうやら、完全に足が動かないというわけではなく、少しは動かせるようだ。
「今から発電所の建設予定に行く。お前も来るか?」
「わたしも一緒に行っていいの?」
むすっとした顔でグラスは首を縦に振った。
「机の上に、丸い筒が二本置いてあるだろ。それと、隣に置いてある黒い鞄を持ってついてこい。今日、お前は俺の荷物持ちだからな」
そう言って、グラスは車椅子を動かしてさっさと部屋から出ていく。
これじゃあ、話し相手ではなくて本当に『女中』扱いじゃないの、とアリスンは思ったが、他に選択肢はない。黙って荷物を持つと、アリスンはグラスを追いかけた。
その場所は、邸宅から一時間半以上離れたところにあった。
山の中の細い道を、『自動車』という鉄でできた便利な箱型の乗り物に乗って進む。自動車には専門の運転手がいて、彼の運転のおかげでグラスとアリスンは目的地まで問題なく到着することができた。邸宅から持ってきた筒状の入れ物から、グラスは設計図を取り出し、それを眺めながら車椅子で山林の道をどんどん進む。
アリスンは、グラスの手元を見ながら「それは何の設計図なの?」と質問してみる。
「言ってもわかんないだろ」
人を小馬鹿にするようなグラスの口調にイラッとしたが、「さっき発電所って言ってたじゃないの。だから、何かの発電所ってことでしょ」と反論してみる。
「教えてくれないのなら、わたしはあなたの荷物をどこかに落としちゃうかも」
「はあ⁉ お前、ふざけるなよ……」
唸るような声を出したグラスだったが、諦めるように「水力発電所の設計図だよ」と答えた。
「水力発電って何? 教えてよ」
アリスンは段々とグラスとの付き合い方が分かってきた気がした。あっちが不遜なら、こちらもそれ以上に不遜でいいのだ。それに、不勉強でわからないことは教えてもらったり自分で勉強していけばいい。
「アリー、本当に何も知らないんだな」
呆れながらも、グラスは教えてくれる。
「水力発電っていうのは、水の循環する力を利用してエネルギーにして発電する技術なんだよ。えーと、簡単に言うと……」
水はこの世界を絶えず循環している。
海や湖、池や川の水が蒸発し、水蒸気が雲や霧を形成して雨となって地表へと降り注ぐ。このとき、水の落差や流れを利用して発電する技術が水力発電なのだという。
「ここの近くに流れるヤムザン急流の落差を利用して、川沿いに十以上の発電所を作る。優秀な技術者を集めているが、これから着工しても最低五年はかかるだろうな」
「その発電所の設計を、あなたがしているの?」
「そうだ。もともとは親父がやっていたが、今は俺が受け継いだ。あの人は、他国へのスパイ行為で忙しくしているからな」
父親に対して、突き放した言い方をする。
「おかげで、俺が車椅子でこんなところまで視察に来ることになった」
「じゃあ、わたしがいて助かったでしょ? こんな山で車椅子を操作するのは大変よ」
「ふん、どうだかな。足手まといが一人増えても、邪魔になるだけな気もするが」
ああ言えば、こう言う。
遠慮なく会話をしながら、二人は三十分ほどかけて山林の道を進む。緑の匂いが、どんどんと濃くなり、やがて何かが叩きつけられるような重低音の音が周囲に響くと、その正体をグラスが指差した。
「ほら、あれだ。滝があるだろ。下の谷に流れ込んでいるんだよ」
車椅子では、その先へは行けないのだろう。グラスはその場で止まった。アリスンは、そのままゆっくりと前に進み、荘厳な滝の姿を見上げた。水しぶきが霧になり、二人を包み込む。
グラスは、その場で設計図を見ながら、ぐるりと周囲の風景を見回す。ダムができると、付近一帯はダム湖となり水に沈むだろう。自然の姿を人間が変えてしまうことになり、その影響は決して小さくはない。なるべく、最小限に抑えたいが人口がじりじりと増え続けるこの地では、電力需要は逼迫してきている。
「おい、アリー。そこに突っ立ってないで戻って来てくれ。もう少し確認したい場所があるんだ」
「わかった。今行くよ」
アリスンは軽い足取りでグラスの元へと走り寄ると、彼の車椅子の方向を転換させる。頭上でまとめた髪が重たく感じられ、首を捻る。グラスがアリスンを見上げた。
「ここにもユズガの樹が自生している。時間帯によっては毒を撒くが……、お前は首飾りをしているし安全だろう」
「首飾り?」
山林を下りながら、グラスが話し続ける。
「親父から聞いていないのか? それを身につけていると、ユズガの毒の影響を受けないで済むんだ。《秘密の森》の一族である俺たちは、そんなものがなくても毒を受け付けない血を面々と受け継いでいるが、普通の人間は毒に侵されると命を落とす。その首飾りは、マガリテ建国の際に《秘密の森》の一族の者が、初代の王に贈ったものらしい」
「えっ、この首飾りが?」
「そうだ。その時に、俺たちの一族は誓ったんだ。その首飾りを持った人間が助けを求めてきたら、必ず助けるってね」
「だから、リュビサス様は私とパティを助けてくれたんだ……」
「まあ、それはそうだろうけど」
グラスは、歯切れが悪い。
「あの親父は、そんな義侠心や親切だけで動くような人じゃない。何か、面白いと思える要素がない限りは、ここまでしないだろ」
「面白いと思える要素? どういう意味?」
アリスンの問いに、グラスは答えなかった。彼は黙々と設計図を開き、アリスンを伴って山林を一日かけて動き回った。




