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その夜、意識を取り戻したパティにアリスンは手短に状況を説明した。
パティの戸惑いは大きいもので、「では、アリスン様はもう王女ではないのですか?」と、自分よりも主の心配をしている。
「そうだけど、リュビサス様のご子息であるグラス様の話し相手をすれば、ここには置いてもらえるようなの」
そうはいっても、今のところアリスンはグラスから『女中』扱いされてしまったが。
あれから、ナスリに相談して動きやすい使用人のお仕着せを用意してもらい、アリスンは脚立と箒と雑巾などを持ってグラスの部屋へと戻った。呆れ顔のグラスから、「使えない女」呼ばわりをされながらもなんとか掃除を終わらせると、二時間以上が経っていた。
「お掃除であれば、私がやります。アリスン様にそんなことをさせられません」
憤るパティに、「まあまあ」とアリスンが笑う。
「パティは休んでいて。初めて来たところじゃ、いくらパティでも自由に動けないでしょ。ナスリさんが、邸宅の内部や外を、明日からゆっくり案内してくれるらしいから」
「でも……」
「大丈夫! もう王女じゃないんだから、これくらい何てことないよ」
ほんとうは、大丈夫なんかじゃなかった。
こわい。
わけがわからない。
そう思っていても、声に出して言ってしまったら終わりだ。この不安に押しつぶされないように、そのために泣きそうな顔でも、アリスンはパティの前では明るい声で「大丈夫」と何回でも口にしないといけなかった。
翌朝、ナスリがアリスンとパティを朝食のために呼びに来た。
「あなたたちの朝食は、使用人棟のホールで準備するように言ってあります。昼と夜も、そこで済ませるようにしてください。食べ終わったら、アリスンはグラス様の部屋に行ってください。パティは、食べ終わった自室に戻って。私が邸宅内を案内するから。仕事も徐々に教えていきます」
ナスリは、アリスンのことを、『アリスン』とだけ、名前で呼んだ。
アリスンはパティの手を握ると、使用人棟へと移動する。
使用人棟には邸宅と行き来をして仕事をこなしやすいように、厨房や洗濯室、パン焼き部屋、貯蔵室や倉庫などが集まっている。朝の五時半、邸宅はひっそりとした雰囲気だったが、使用人棟はすでに人の話し声や活発に歩き回る使用人たちの足音が響き、活気がいい。
使用人棟のホール内におそるおそる足を踏み入れると、そこには長机と長椅子が置かれており、数人の制服姿の女性がパンとスープを食べていた。一人の若い女性が、ちらりとアリスンたちを見て、「おはよう、新入りの二人ね! ナスリから聞いているわよ」と言って隣の空いている席に座るように促してくれる。
「ありがとう、わたしはアリスンよ」
「私はパティです」
二人の挨拶に、テーブルについている他の女性たちも口々に挨拶を返す。
「じゃあ、アリーって呼んでいいかな」と聞いてきたのは、アリスンの右隣のバハルと名乗った若い女性だった。アリスンが頷くと、にこりと笑って「よろしくね」と握手を求められた。
「あなたたち、マガリテから来たんでしょ? 私もマガリテ出身なの。そっちに座っているセダムも、マガリテ出身よ。これからあそこも荒れそうだから、このタイミングで《秘密の森》に越境できてよかったわね」
なんて答えたらいいのか、アリスンは困ってパティの顔を見る。すると、アリスンの斜め前に座っているセダムという少女が、パンとスープの皿をアリスンとパティの前に置きに来てくれた。
「とりあえず、これを食べて元気を出して。ここに来たばかりだと戸惑うことも多いと思うけれど、あんたたちもすぐにわかるはずよ。ここが、マガリテよりも何十倍も素敵な場所だってね」
「マガリテよりも?」
セダムの言葉に、アリスンは反応して聞き返す。セダムは席に座ると、アリスンの目を見ながら話す。
「あんた達も、何か事情があるんでしょ? じゃないと、本宅に住まいを与えられたりはしないもんね。ま、深くは聞かないけどさ。私もね、マガリテの貴族の娘だったの。二回りも年上の男の後妻に選ばれて嫁いだんだけど、毎日のように暴力を受けてね。妊娠中に耐えられなくなって屋敷を抜け出して森に潜んでいたら、リュビサス様の力で《秘密の森》に転移していたの。あの方は、恩人よ。今は、森の側の工業団地からここに通いで働きに来ているの」
次に、バハルが口を開く。
「私は、生まれた時から足が悪かった。マガリテって、わたしみたいな人間に厳しいじゃない? 私の両親は娘の将来を悲観して、私が二歳の時に国境沿いの森に私を捨てたんだ。そんな時に、助けてくれたのがリュビサス様だった。同じような境遇の人間が、ここには沢山いるよ」
パティが、「ここでは、私みたいな人も多く働いているのですね……」と、誰にともなく呟いた。
「マガリテからだけじゃなくて、ガレスからの逃亡奴隷も多いよ。その他の国からの流民たちも受け入れているんだ。最近、マガリテがファライザの自治領に難癖つけてるらしいじゃない。そうなったら、また《秘密の森》にやってくる人間が増えるかもね」
バハルの言葉に、その場にいた女たちが頷く。
ファライザは、マガリテの西側の海を越えた先にある島国だ。じつは、マガリテとファライザの間には小さな島々が点在しており、そこはファライザの自治領として先住民族が暮らしている。
「みなさん、詳しいんですね」
パンをちぎって食べながら、アリスンは驚いていた。王女だった自分よりも、ここにいる人たちの方が世界について見えているようだった。バハルとセダムは、「新聞やラジオの受け売りさ」と言うと、席から立ち上がる。
「じゃあ、私たちは今から持ち場に行くから。またね」
「ありがとう、またね」
アリスンはホールから出ていく二人の後姿を見送り、小さく息を吐く。
己が、マガリテ王国の第二王女だったアリスンだとは気づかれていないようだった。




