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リュビサスと亡き奥方の間には、今年十四歳になったばかりのグラスという息子がおり、学校には通わずに家庭教師から勉強を教わっているらしい。ナスリが言うには、リュビサスの息子は「非常に繊細で、難しいお方」ということだった。
「そのため、同年代の友人もいらっしゃいません。リュビサス様は、そのことを心配なさって、アリスン様が話し相手に相応しいのではないかと考えたようですね」
「ご子息の話し相手を務めさせるために、わたしをここに招いてくださったのですか?」
ナスリは「まさか!」と声を上げた。
「リュビサス様は、一族の力を使って複数国の情勢を垣間見るのがお好きなのですよ。マガリテ王国で政変があるのではないかと、数年前から危惧して城内を探っておられました。その頃から、我々は何かあればアリスン様を保護したいと考えていたのです」
「そうなの?」
なんだが、含みのある言い方だった。嘘をつかれているわけではないのだろうが、本当のことは隠されているような。
ナスリは邸宅左翼の二階突き当りの黒いドアの前にまで進むと、「こちらがグラス様のお部屋です」と告げた。
「あなたとパティの部屋は一階に準備します。私は下に戻り、パティの様子を見て来るので、あとはよろしくお願いしますね」
てっきりグラスの部屋の中にまで付いてきてくれると思っていたのに、アリスンはナスリと、ここで別れることになってしまった。
「あなたなら大丈夫ですよ。頑張ってくださいね」
穏やかに微笑んで、ナスリは去って行く。
残されたアリスンは深呼吸をして、ドアを二度ノックした。
何の反応もない。
アリスンは再度、ドアをノックする。今度は意識して、さきほどよりも強めにノックしてみる。
「グラス様、中に入ってもいいでしょうか?」
かすかに、室内から音がしたような気がしてアリスンはごくりと唾をのんだ。そのままぐっと重たいドアノブを回して、ゆっくりとアリスンは室内に足を踏み入れた。
部屋の中は、思っていたよりも薄暗い。まだ夜ではないのに、なぜこんなにも暗いのだろうと見渡すと、室内灯がちかちかと点滅している。その頼りない光に照らされて、部屋の奥の大きな木製の机に向かって座っている、一人の少年の後姿が見えた。
アリスンは、もう一度呼びかけてみる。
「グラス様?」
「なんだ? 新しい女中か? 掃除だったら勝手に入ってきて済ましてくれとナスリには伝えてあるだろ。いちいち話しかけて来るな。気が散る!」
投げつけるような、乱暴な言葉だった。
「それと、室内灯が昨日から切れそうなんだ。新しいものに変えてくれ」
グラスはこちらをちらりとも見ないで言い捨てると、机に向かって何か作業をしている。アリスンはどうしたらいいのかわからず、結局言われたとおりに掃除をすることにした。床に散らばった大小入り混じった紙を拾ってまとめていく。そこに記されているのは、何か建物の設計図のようでグラスの試行錯誤が見て取れる。
「おい、お前。そんな服で掃除なんてできるのか?」
思っていたよりも、近くから声が聴こえて、アリスンは驚いた。
「えっ、あっ、あの……!」
アリスンが顔を上げると、車椅子に座った少年がこちらを見ていた。
今まで見たことがない、洗練された黒光りのする車椅子で、タイヤ部分のカーブが美しく光っている。アリスンは、グラスの琥珀色の瞳に吸い込まれそうになって、一時だけ息を止めた。グラスの眉間の皺が深くなる。
「お前、誰だ? 女中じゃないな」
「ごめんなさい、わたしはアリスンといいます。実はマガリテ王国の……」
第二王女、と名乗ろうとしてアリスンは黙った。
もう、彼女は王女ではなかった。だが、グラスはアリスンの首飾りに目をやると、合点がいったのか「あぁ、お前がアリスンか」と言ったのだ。
「わたしのこと、知っているのですか?」
「知ってる。マガリテの王女だろ」
そう言って、グラスは方向転換をして机の前に戻っていく。
「俺は親父に反対したけどね。マガリテに関わるのなんかやめろって。でも、あの人は俺の言う事なんて聞きやしない」
「わたし、あなたの話し相手になるようにリュビサス様から言われたの」
ふん、とグラスが鼻で笑った。
「お前なんかに、俺の話し相手が務まるもんか。とりあえず、女中の代わりに使ってやってもいいけど」
「それでもいいわ……」
なぜなら、ここに置いてもらう条件が彼の話し相手になることなのだから。
「だったら、とりあえず着替えてこい。その、ごてごてしたドレスじゃ、部屋の掃除なんかできないだろ」
「わかった! 着替えてきます」
勢いよく頭を下げて、ドアから出て行ったアリスンの後姿を、グラスは面白くなさそうに見ていた。




