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 この日の夕方、アリスンとパティは王妃によって城内の地下にある《隠しの間》へと呼ばれた。このような部屋があるという事を、アリスンもパティも今の今まで知らなかった。牢獄と貯蔵庫の間を抜け、細長く暗い路を抜けた先にその部屋はあった。ひんやりとした冷気が漂い、部屋は床も壁も天井も暗い赤で塗られている。

 アリスンとパティは、先に部屋に入っていた王妃に向かって頭を下げる。今まで感じたことのないような寒気に襲われ、アリスンは身震いした。

「なぜ、このような部屋にお呼びになられたのですか」

王妃が静かに告げる。

「私の勘違いかもしれないのだけれど、お前が首から下げているのは王の首飾りではないの? いつの間に、それを王から授けられたのかしら」

 王妃の声は優しげだったが、その瞳は笑っていない。

「娘よ、それを母に見せてちょうだい」

 王妃が一歩、また一歩とアリスンの方へと歩いてくる。

「さあ、よく見せて」

 逃げ出したい気持ちを抑え、アリスンは姿勢を正した。

「これは、お父様から昨日いただきました」

 アリスンの言葉に被せるように、王妃が言い放った。

「この、盗っ人!」


 いま、なんて?


 王妃の形のよい眉が、恐ろしいほど吊り上がっている。

「それは、お前のような者が持っていていいものではありません。すぐに、こちらに渡しなさい!」

「いっ、嫌です!」

 表立って王妃に反抗したことなどなかったアリスンが、母に逆らったのはこれが初めてだった。

アリスンはじりじりと後退(あとずさ)る。

王妃は怒りを露わにして、いきなり掴みかかってきた。

「よこしなさい! それがないと、エミールが即位できないのよ! 次代の王のしるしですよ!」

 アリスンと王妃はもみ合い、その拍子に王妃の爪がアリスンの頬を傷つけた。痛みに顔を歪めた娘にはかまわず、母は首飾りに手を伸ばす。だが、首飾りに手をかけた王妃は、次の瞬間に醜く低い声を出すと、床に倒れ込んでしまった。

 後ろで見ていることしかできなかったパティが、恐る恐るアリスンに近づいてくる。

「アリスン様! お怪我を?」

「わたしなら大丈夫。パティ、急いで逃げよう」

「外は、武器を持った近衛だらけです。逃げられません」

 パティは、自分たちが包囲されていることにとっくに気がついていた。

 王妃は上半身を起こすと、「近衛たち! 反逆者どもを捕らえよ!」と、扉の外の者たちに聞こえるように叫んだ。途端に、雪崩(なだれ)を打って近衛たちが室内に駆け込んでくる。彼らは躊躇なくアリスンたちに銃剣を向け、反対側の壁にじりじりと追い詰める。

「国の宝を盗んだ重罪人です。殺しなさい」

 近衛たちが銃剣を構え、狙いを定めた。

 アリスンとパティは、互いの手を握りしめ壁を背にして立つしかなかった。この時、アリスンは、自分の背がゴツゴツとした突起物に当たっていることに気がついた。前を向いたまま、空いている右の手で、その突起物を掴む。

 それは、ドアのノブのようだった。

(なぜ、こんなところにドアが?)

 そもそも、そんなところにドアがあったことすら、認識してしなかった。

王妃が、「何をしているの、撃ちなさい!」と、声を発したその時に、アリスンは後ろ手にドアノブを回していた。

 スルリ、と音もなくドアは開く。

「あぁ……」と、声を上げる間もなく、アリスンとパティはドアの内側に飲み込まれた。


 ドアの向こう側がどうなっていたかって?

 それはもう、命がいくつあっても足りないくらいの目にアリスンとパティは陥った。二人は真っ暗の闇の中に投げ出されたかと思ったら、勢いよく落下する羽目になったのだ。天地もわからないような暗い中を、びゅんびゅんと加速しながら落下していくと思ったら、強烈な光が二人を包み込む。

 気がついた時には、アリスンとパティは見知らぬ森の中に横たわっていた。

 

生暖かい息が、アリスンの耳や目元に吹きかけられた。チロチロと何かがアリスンの指に刺激を与える。

「うっ……」

 目を開けたアリスンの視界に移ったのは、小さな生き物。リスと灰色ネズミだった。

「どう、して…?」

 ゆっくりと身を起こしたアリスンは、すぐ南の方向を見て悲鳴を上げた。

「パティ!」

 パティが倒れている。

パティの上には、大きな熊が圧し掛かっていた。

「パティから離れて!」

 手近なところに落ちていた小石を拾うと、アリスンは熊へ向かって投げる。だが、熊はヒョイと石を避けてしまった。もう一度、手近な石を投げてやろうと思ったところでアリスンを制止する声が響いた。

「おやめなさい。森の生き物たちを故意に傷つけてはいけません」

 いつからそこにいたのだろう。

 振り返ったアリスンの目の前に、黒のワンピース姿の女性が立っていた。

年齢は王妃ローザと同じくらいかもしれない。肩までの黒い髪と黒い瞳で、じっとアリスンを見据えている。

「アリスンとパティですね。《秘密の森》へ、ようこそ。旦那様が屋敷であなたたちを待っています。私たちに付いてきてください」

「私たちのことを知っているの? ここは、《秘密の森》なのですか?」

 本当に、あの? 伝説上の《秘密の森》がここだっていうの?

 その質問に、女性が頷く。

「詳しいことは、《秘密の森》の一族の当主である、リュビサス様から直接伺ってください。私はリュビサス様にお仕えしています。ナスリ、とお呼びください」

 倒れているパティの側へ進んだナスリは、おとなしくしている熊の背にパティを抱え上げて乗せようとする。その際に、ナスリの左手の中指、薬指、小指の三本が欠損しているのを目にして、アリスンは慌てて「わたしがやりますから!」と、声を掛けた。

「この指は生まれつきです。ご心配にはおよびません」

「いえ、そんな……」

 そのまま熊が歩き出し、ナスリとアリスンは後に続く。マツや白樺などの針葉樹林の森を、熊もナスリも危なげなく進んでいく。

「ここの森は風通しがよいでしょう。時間帯によっては、ユズガの大樹が毒をまき、毒の胞子を森中へとばらまきます。今がそういう時間ではなくて良かった」

「毒をまく大樹? それは、ジエトのことですか?」

 アリスンの言葉に、ナスリは頷いた。

「あなたが首から下げているその首飾りは、ユズガの樹が炭化したものです。特別な製法で作られ、選ばれたものしか持つことを許されない」

 選ばれたものしか、持つことを許されない。

その言葉に、アリスンは震えた。首飾りを奪おうとした王妃の姿が脳裏をよぎった。

ナスリが立ち止まって、視線を遠くへ投げかける。

「あの美しい湖畔が見えますか」

森が途切れ、その先に大きな湖畔が見えている。湖畔は陽の光を受けてキラキラと光っていた。

「湖畔の隣に立つのが、《秘密の森》の一族の邸宅です」

 外観はシンプルなログハウスのようだったが、ナスリに案内されて邸宅内に入ると、思っていたような内装ではないことにアリスンは驚く。天然石と明るい色のタイルが多用され、陽の光を取り込みやすいように随所に明かり窓がある。

「ここは本棟で、リュビサス様は三階の書斎でお待ちです。あとで案内しますが、中庭を囲むようにして使用人棟と礼拝堂があります。礼拝堂の真裏は、今は誰も手入れをしていませんが庭になっています」

 邸宅の一階玄関左には、ガラスの壁や天井で囲われたサンルームがあった。パティを運んできた熊は、そのサンルーム入り口に置かれていた長椅子に彼女を下ろすと、ゆったりとした動きで玄関から出て行ってしまう。アリスンは、目を閉じたままのパティを見て心配そうに、「いつ意識が戻るんでしょう。お医者様を呼んでもらえませんか」とナスリにお願いをした。だが、ナスリは医者を呼ぶ必要はないと言う。

()()から急に転移したので、酔ってしまったのでしょう。あと一時間もすれば意識を取り戻しますよ。その間に、リュビサス様と話をなさってください」

 ナスリは落ち着いた様子で、三階の奥にある書斎へとアリスンを連れて行った。


ルビなど、後日訂正予定です。

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