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 邸宅から三キロほど離れた森の中に、アリスンは紺色のフード付きマントを(ひるがえ)して立っている。もちろん一人ではない。サンカルをはじめとした、マガリテの兵士七十人弱とヨンジャとリュビサスとグラス。そして、キラズ、ラレ、ベイザを筆頭に紺のマントに身を包んだ《秘密の森》の一族の血を引くものたちが数十人。

ヨンジャがアリスンの隣に立ち、「それじゃあ、全員でドアを開こう。この子と、サンカル将軍たちをマガリテの森に移動させる。でっかい仕事になりそうだから、私も一緒にあっちに行く」と告げると、キラズとラレとベイザの三人が「私らも行くよ。乗り掛かった舟だからね」と口々に言いだし、アリスンに目配せをした。

逆に、不貞腐れていたのはグラスだ。不機嫌丸出しの態度で車椅子に座っている。

「兵士だけ送り返せばいいんじゃないの? なんでアリーまで一緒に行くことになってんだよ!」

「ごめん、グラス。わたしが決めたの」

「ふん、もう顔も見たくない。俺の前からとっとと消えやがれ」

 そう言いながらも、ここまで来ているわけだから本心ではないとアリスンは思いたかった。彼女はグラスの正面に回り込むと視線を合わせるために腰を落とした。

「わたしはグラスの友達だから、絶対ここにまた帰ってくるつもり。その時には、また沢山話したいし、二人で出かけよう」

 グラスがねめつけるように、アリスンの顔を見る。

「絶対ここに帰ってくるだと? アリー、嘘をついたら承知しないからな!」

「うん」

「……死ぬなよ」

 ぼそりと吐き出された言葉に、アリスンは思わずまじまじとグラスの顔を見てしまう。

「わたし、死なないよ。そんなつもり、まったくないから」

 あっけらかんとした様子のアリスンに、その場の張りつめていた空気が柔らかくなる。

そんな時、グラスの後ろから走ってきたのがセダムだった。

「待って、待って! アリー!」と、全速力で掛けて来る。

「どうしたの、セダム?」

「アリー、あんた……私は! あんたが誰なのか、本当は知ってた!」

 ごくり、と唾をのんだのはアリスンだった。

「うちの家は貴族の端くれで、お城にも何回か招かれたことがあったし、アリーの顔を見てピンと来てたよ。名前だって偽ってないし、パティはいつだってあんたのことを主として扱っていたから」

「うん」

「でも、事情があって逃げて来たんだと思ったら、あんたの正体のこととか触れちゃダメなんだと思ってた」

話している途中で、セダムの表情が大きく歪む。

「そっか、あえて黙ってくれていたんだ。ありがとう、セダム」

「お礼なんていらないよ! 私、マガリテが大嫌いなんだ! あんな国、亡くなっちゃえばいいって思ってるんだから! でも、あそこには、もう会うことはない母親とか、親しかった人たちも暮らしてる。もし戦になったら、そんなことになったら……」

 アリスンはセダムの肩に手を置いて答えた。

「そうさせないために、あっちに行くんだよ。ごめんね、ずっと知らないふりをさせていて。私の顔を見るだけでも、本当は嫌だったらしい」

「アリー、あんた本当に帰ってくるよね」

「大丈夫。さっき、ヨンジャさん達と作戦会議したからね」

 ヨンジャが近寄ってきて、アリスンの肩を叩いた。

「さあ、行くよ」

 森のざわめきが、ざわざわと煩くなってきた。森の上空に小さな竜巻のようなものが発生して、どんどんと大きくなっていく。どうやら、リュビサスたちが魔素の力を集めた魔力で発生させたものらしい。どんどん大きくなった風の渦の中心から、大きな茶色のドアが出現する。そのドアに引き寄せられるようにして、アリスンの身体がふわりと空に浮き上がった。

 グラスが下から、声を張り上げている。

「絶対に帰ってこいよ!」

 返事をしようとしたところで、急激な風に下から煽られてアリスンは舞い上がる。そんな彼女の手を、ヨンジャが掴んだ。

「ぼーっとするんじゃないよ。あっちに着いたら、首尾よく動くんだ。わかったね!」

「はい!」

 ヨンジャのマントの下に隠れていたらしいライリーが出て来て、素早くアリスンに飛び移る。開いたドアが頭上に迫って来ていた。

 身体がねじ切れるような、奇妙な感覚に襲われたかと思うと眩しい光が迫ってくる。やがて、その光が収束していくとアリスンはたった一人、マガリテの国境沿いに立っていた。

 突然現れた一人の少女に、マガリテの兵士たちがざわつく。そこでは、今まさにマガリテとガレスの両軍が高い塀越しに対峙し、睨みあっている最中だった。ガレスの兵士の姿の姿は見えないが、野営をしているようで、その音が漏れ聞こえてくる。

 アリスンは、一歩一歩足を進めながら名乗りをあげた。

「わたしは、マガリテのアリスンです。先王ブラゴジの第二王女だといえばわかりますか」

 アリスンが名乗りを上げると、その場にいる者たちがざわざわと騒がしくなる。

「アリスン王女といえば、お亡くなりになられたのでは?」「自死と言われていたが、生きておられたのか?」「あのお顔、見覚えがあるぞ、たしかにご本人で間違いないだろうが……」

 皆、どう対処していいのかわからず困惑するばかりだ。

「イヴァン将軍と話がしたい。案内してくれませんか」

 はきはきと話すアリスンに、一人の兵士が近寄って来た。彼は、周囲の兵士とはやや甲冑の色が違う。

「王女殿下、わたくしはメッツ中尉です。この場での指揮を任されています。失礼を承知で尋ねますが、マガリテの第二王女であらせられたアリスン様でお間違いないでしょうか?」

「間違いない。私はアリスンよ。早くイヴァン将軍のもとへ連れて行ってくれる。時間がないの」

 アリスンは王から譲られた首飾りをメッツ中尉にも見えやすいように、胸元に掲げるようにして見せた。それを見て、メッツ中尉は頷く。

「まことに、申し上げにくいのですが、イヴァン将軍は軍営のテントの中から、いなくなってしまわれました。馬と側近も消えているので、都に逃げ帰ったのではないかと思われます」

「そのことを、ここにいる兵士たちは知っているの?」

「噂が広まりつつあります……」

「そうなの。では、ガレス側と話をする必要があるわね」

 アリスンはそう言うと、落ち着いた様子で国境沿いの塀に向かって歩き出す。塀の前で一度立ち止まると、アリスンは両の掌を塀にピタリと重ねた。びりびりと弱い電流が体中に駆け抜けたかと思うと、地鳴りがして大地が大きく揺れる。

「なんだ、この音は?」

「地震か?」

 兵士たちが動揺して、地面に這いつくばる。

「王女殿下!」

 叫んだのはメッツだった。彼が叫んだのも無理はない。アリスンの足元がぱっくりと割れている。このままでは、その裂け目に落ちてしまうだろう。だが、そうはならなかった。その地面の裂け目から、ズルズルと大樹の枝が伸びてきたのだ。いや、枝だけではない。ユズリガの巨木が束のようになって、何本も地中から地上へと突き上がってくる。すでに、アリスンはその樹の枝につかまり、遥か上の方にまで移動していた。

ユズリガの樹は塀の高さを悠々と追い越し、それでも止まらない。あまりに異様な光景に、壁の向こうのガレス側でも異変を感じたようで騒ぎが大きくなる。そこへ向かって、アリスンは言った。

「わたしはマガリテのアリスン! そこにいるであろう、姉のリリアと話がしたい」

 風が、拡声器のようにアリスンの声をガレス側の兵士たちに届ける。兵たちの野営テントから男たちが出て来て、いきなり現れた巨木に目を奪われている。設営されているテントの中に、ひと際目立つ美しいテントがある。アリスンが夢で見たテントと同じものだ。

「リリア! そこにいるのはわかっている。出てきてちょうだい。話をしましょう」

 そのテントから、赤いマントを羽織った女が出て来るのがアリスンには見えた。

「リリア!」

 アリスンの叫びに、リリアは反応した。呆気に取られて、巨木の枝の上に乗っている一人の少女を見ている。

 アリスンは、大仰(おおぎょう)な動きでリリアを指差す。

 すると、ユズリガの樹が大きく左右に揺れて、今度は枝を長く伸ばし始めた。枝はまるで地面を這い、エサを狙う蛇のようにしゅるしゅると進むと、あっというまにリリアの足元へと到達した。そのまま枝はリリアの身体に巻きつき、彼女を拘束してアリスンの元へと運んでいく。

「あ、あんた……生きていたの……」

 アリスンと対面したリリアは、目を見開いた。アリスンが口笛を吹くと、リリアを拘束していた枝は彼女から離れてた。

「生きてるよ。わたし、ずっと《秘密の森》にいたの。そこで、姉さんたちが何をしようとしているのか知ったんだ」

「秘密の森、ですって? 本当に、そんな場所が存在しているというの?」

 信じられないといった表情のリリアだったが、この状況下で信じるほかない。

「今さら、何をしにきたのよ。あんたも、王になるつもりなの?」

「わたしは、王の椅子には興味はないよ。でも、どうしてこんなことになっているのか、それが知りたい。リリアがやっていることにも、お母様がやっていることにも賛同できないから。戦を止めたいの」

 アリスンの言葉に、リリアの顔が歪んだ。

「だから、あんたは甘ちゃんなのよ。私はね、あの母親(オンナ)に売られたのよ! 持参金付きで、ガレスの後宮に押し込められて、屈辱的な扱いを受けた! 私はマガリテの女王になってもおかしくなかった。それなのに、ガレスの後宮では煽情的なドレスを着せられて、その他大勢の女たちと一緒の部屋に押し込められ、あの男(スヴェト)に奉仕するように言われたの。地面に這いつくばって、抱いて欲しいと懇願してようやくここまで来たの。ここで引き下がれるものか!」

「それでも、両軍を衝突させていい理由にはならない。そういうことなら、ちゃんとわたしたちの母親に、どうしてこんなことをしたのか聞きに行こう。話したくないって言われても、無理やりにでも聞き出してやろうよ」

 アリスンは右手をリリアに差し出す。リリアは下唇を噛むと、渋々といった風情で妹の手を取った。アリスンは、その手を強く握ると反対の腕を大きく頭上へと振り上げる。ふたたび、大きな地鳴りがしたかと思うと、今度は森全体が揺れ、至る所から樹が生えてくる。もともと自生していた木に巻きつき、飲み込むようにして、森が浸食されていく。

まるで、アリスンが特別な力を操っているようにも見えるが、種明かしをしてしまうとそうではない。アリスンも少しの魔法は使えるようにはなったものの、こんな芸当は難しい。

地上にいるヨンジャと、下の世界にいる一族が連携して魔力を操り、《秘密の森》の樹々を上の世界へと浸食させているのだ。地中から突き出してきた木々は、容赦なく両軍の投石機や武器庫を目掛けて襲い掛かった。土埃が起こり、地が割れ、何もかもが飲み込まれていく。その場にいる人間は、その場になすすべもなく立ち尽くすか、混乱の渦に巻き込まれ、武器を捨てて逃げ惑うしかない。

これでは戦どころではない。

アリスンは大きく伸びた樹の上から、マガリテの王城のある方角を眺めた。

お母さま(あの人)に、会いに行こう」


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