21
翌日からも、アリスンたちは交代で礼拝堂に出入りして、男たちの看病を交代で担った。命を落とした兵士たちは、森の墓地へと送られ荼毘に付されたと、アリスンはグラスから聞かされた。グラスは、兵士たちが荼毘に付される間、ずっと森の墓地の塔の下で祈りを捧げてくれていたらしい。
アリスンが礼を言うと「別に、礼を言われるようなほどのことじゃない」と素っ気なく言われた。そのまま二人で、少しだけ湖のほとりを歩くことにした。グラスは車椅子で器用に石を避けながら、どんどん前へ前へと進んでいく。
「今回の親父のお節介には驚いたな。まさか、こんなにも大量の人間を上から連れて来るなんて。さすがに、力を消耗してぶっ倒れたらしい」
おかげで、ナスリはリュビサスの看病に付きっきりらしい。
「リュビサス様は、いつもは飄々として何を考えているのか分かりづらい方だけれど、こうしてマガリテの国民を見捨てずに助けて下さったのだから、やはり大したものね」
「褒めすぎだろ」
「そんなことない。どれだけ礼を言っても足りないよ」
グラスは、少しの間黙っていた。ちょうど、湖を挟んで真正面に邸宅が見える位置へと移動してきたところで、グラスが言った。
「あのサンカルって男、マガリテの将軍なんだって? 数時間前に意識が戻ったのはいいものの、高熱が出て苦しんでいるらしいな」
「うん……」
どうやら傷口から細菌が入ったらしい。魔女たちが仲間の魔女を招集し、必要な薬品を片っ端から集めさせているが、あまりに病状が深刻になると薬も気休めにしかならない。
「森の魔女っていうくらいだから、もっと万能なんだと思ったけれど、そういうわけでもないんだね」
立ち止まったアリスンに、グラスは言った。
「もともと、《秘密の森》の一族というのは、森と世界の媒介役に他ならない。この場所でなら魔法の力も比較的大きいが、上の世界に介入したり、上の世界から来た人間に対して、大きな力を行使するのは難しいんだろう」
ふと、思った。
「じゃあ、上の世界にも大きな森があれば、魔法を行使できる?」
「は? うん、まあ……、そうなるかな。いや、ただの森じゃだめだ。ここに生えているユズリガの樹のような魔素や胞子を出すような木が生えていないと」
魔素というのは、ユズリガが吐き出す毒のようなもので、《秘密の森》の一族や、元々森で暮らしている生物にとっては、何の危険も及ぼさないものらしい。それが、日頃は魔素に接しない者が触れたり吸ったりすると、とたんに心身に変調をきたす原因となる。
「俺らにとっては、魔素は生きるための力になる。アリーも、その首飾りがあるから魔素や胞子に触れても平気だろ? 昨日、あの負傷した兵士たちが落ちてきたあたりは、魔素も胞子も特別濃い領域だ。本来なら助かるような怪我でも、魔素や胞子を吸ったせいで予後が悪くなる可能性が高い」
アリスンは、グラスの言葉を聞きながら、じっと湖の表面を見ている。
「あのサンカルって男が助からなくても、アリーのせいじゃないからな」
そうなのだろうか。
彼らを直接傷つけたわけではないが、自身にも責任の一端があるのではないだろうか。そのまま、とぼとぼと邸宅に戻ったアリスンはめまいに襲われ、自室で休むことにした。
夢を見た。
真っ黒な闇の中を、小さい何かが駆け抜けていく。目を凝らしてみると、それは小さなリスのように見えた。ヨンジャのリス、ライリーによく似ている。
「待って、ライリー!」
走って追いかけようとするが、まるで空を蹴るように何の手ごたえもない。前に進めなくて落ちていくような感覚に襲われたが、そんなアリスンを支えたのは植物の枝だった。しゅるしゅると音を立てて、ユズリガの樹が枝を伸ばしてくる。その枝につかまると、樹がふわりと浮き上がり、上へ上へとアリスンを連れていく。
真っ黒だった世界が、ふいに明るくなった。
アリスンは森の中にいて、ユズリガの樹の枝に乗っている。地響きの音がして、何かが燃えるような焦げ臭い匂いが鼻をつく。
何?
何の音?
地響きがして、何かが激しく地面に叩きつけられる音がする。生温い、嫌な風が身体にまとわりつくようにして流れ、ぬるりとした汗が吹き出すと額を伝って顎から落ちてきた。ふいに大きな影が迫ってきて、はっと上空を眺めると巨岩がアリスンにのしかかるかのように迫ってくる。
「投石機⁉」
目の端に、巨大な投石機が映っている。一基ではない。複数の投石機が、一斉にアリスン目掛けて巨石を降らせてくる。アリスンの全身は硬直し、その場に足は縫い留められている。どんどん迫ってくる巨岩の隅から隅までが、くっきりとよく見える。
だが、次の瞬間には、アリスンは森の中に一人きりで立ち尽くしていた。急いで自分の手足や、髪や顔を触るが何の怪我もしていない。やがて、どこか近くから聞き覚えのある女の声が聴こえてきた。
リリア?
姉のリリアの声に違いない。
「今なら、国境にサンカル将軍はいないはずよ。スヴェト皇太子が動かせる軍で、正面から叩けば、マガリテの国境軍に大打撃を与えられるわ」
間違いなく、リリアの声だ。
アリスンの目の前には、いつの間にか防水加工された豪奢なテントが現れていた。テントは見渡す限り等間隔に設置されており、その中のひとつからリリアの声が漏れて来る。
その声を追うように、アリスンは速足でテントの中に入っていった。
テントの内側は外よりも遥かに豪華で、金銀の糸で美しい文様が刺されていた。床には深い深紅の絨毯が敷かれ、その中央には一人の若い男が甲冑姿で座っている。その男の正面に、女が一人立っていた。リリアだった。
リリアは、鎖帷子の上に膝まであるサーコートを身に着け、その上から真っ赤なマントを羽織っていた。彼女のほんの隣にまで近寄っても、リリアはアリスンに少しも注意を払おうともしない。アリスンのことなど、見えていないようだった。
「ねえ、偉大なる日の昇る国、ガレスの皇太子であるスヴェト様。私に、その名を呼ぶことをお許しください。私に、お慈悲を」
リリアは地面に這いつくばり、若い男の足元に縋っている。男は笑みを浮かべているが、その笑みは非常に狡猾そうなものだった。
「お前がのような女が余に何を与えてくれるっていうんだ? おばあさまに頼んで、一万の兵を動かしたのはいいだろう。だが、お前の愚かな母親は脅しには屈しないと言って、こちらにサンカルを差し向けようとしているんだぞ。我が父トドルはマガリテと事を構えるのには、消極的だ。もしサンカルの指揮する軍と真っ向からやりあうことになったら、撤退するしかない」
「偉大なるトドル様の第一の皇太子であるスヴェト様ともあろう方が、なぜそのように弱気になるのか、私にはまったくわかりかねます。サンカルは有能ですが、その真直ぐな性格が災いとなり、身内に敵も多い。我々が手を下す必要などございません」
「どういうことだ?」
リリアの口角がぐっと上がり、その目に光が浮かんだ。スヴェトの顔が興味深けなものになる。
「サンカルは先王ブラゴジの寵愛を受けた君臣です。清廉潔白で身分も高く申し分ない。そういう男が、他の者からどのような目で見られるかおわかりでしょう。彼がいつまでも軍のトップにいては、他の者の芽が出ることは一生ないのです。現在、この国境沿いでガレスの歩兵隊と睨みあっているのは、イヴァンという将軍です。私も、よく知る男です」
「ほう、続けろ」
「サンカルが国境に到着したら、イヴァンはせっかく授かった虎符をサンカルに受け渡し、サンカルの指揮下に入ることになるでしょう。しかし、サンカルがこの世からいなくなれば、イヴァンはせっかくの将軍職を手放す必要はなくなるのです」
「そんなに簡単にいくのか?」
「イヴァンという男は蓄財が好きで、都の邸宅の地下に金銀を貯めておくための部屋を作っているそうです。この世で、銭帛珠玉だけを頼りに生きていると言っても過言ではありませんから、非常に信用できます」
「ふん、そういうことか」
スヴェトはそう言うと、両手を打った。乾いた音がして、どこに潜んでいたのか黒服の男が音もなくテントの中に入ってくる。
「日没後にマガリテのイヴァン将軍と接触しろ。都で豪邸が二つほど建つ金を用意してやれ」
黒服の男は、異様に大きな目の玉でぎょろりとリリアの顔を一瞥すると、イヴァンに恭しく頭を下げてテントから出て行った。
「偉大なるスヴェト様、マガリテを手中に収めた暁には、どうか私との約束を守ってくださいね」
リリアは、椅子に座っている若き皇太子に近寄ると膝を折る。スヴェトは鼻を鳴らすと乱暴に立ち上がり、リリアの腕を掴んだ。
「余とお前は対等ではない。約束、などと軽々しく口にするでないわ。余の情けでお前は生きているのだからな」
さっとリリアの白い顔に朱が走る。
「マガリテの女王になりたいのなら即位させてやる。お前の母親といい、お前といい、あの国には変な女が多すぎる。余は賢しい女は好きじゃない。寝台の上で寝首をかかれたんじゃ、たまらないからな」
スヴェトは荒々しくリリアの腕を締め上げると、圧し掛かるようにして彼女の唇に吸いついた。
「リリア!」
おもわず、アリスンは声を上げたが、その声は虚しく響くだけだ。
「なあ、マガリテのリリア。そなたが余の子を孕めば、その子は次代のマガリテ統治者だ。余の后の座は既に埋まっているが、これが上手くいけばそなたは女王となり王の母にもなれるんだ。幸せだろう」
「えぇ、そうね。とても幸せよ」
床に圧し掛かられたリリアがどんな顔をしているのか、アリスンからは見えなかった。
一陣の風が吹き、テントが揺れる。
まただ。目を瞑って開いた時には、アリスンは森の樹の上に立っていた。ライリーがいつの間にかアリスンの肩の上に乗っている。
「チッチッチッ」
そんな鳴き声を出して、ライリーが二本の脚で肩の上に立った。その瞬間、激しい風が真下から吹きあがりアリスンとライリーは樹から落下していた。激しい衝撃がくると身構えたが、身体は何も感じない。どこまでも、どこまでも、どこまでも落ちていく。底のない穴の中に身体が吸い込まれていく。
「ライリー! こっちへおいで!」
アリスンは、何とか腕を伸ばして空中をくるくると落ちていくライリーをつかんだ。
「チッチッチッ」
ライリーの鳴き声に重なるようにして、小さな声が聴こえてくる。
『アリスン、アリスン、聞こえるかい? アリスン、返事をしなさい』
だれだろう。
『アリスン様、アリスン様』
この声はわかる。パティの声だ。
あぁ、そうか。みんなの声だ。
それが分かった時には、急に視界が開けて光に包まれていた。




