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グラスとアリスンが共に晩御飯を食べ始めたということは、あっという間に使用人棟の者たちにも知れ渡った。しかも、グラスの誕生日の夜から、ということで勘ぐってくる者も一人や二人ではない。今まで話したことがない厨房の連中や、若い男性使用人からもアリスンは声を掛けられることが増えた。そんな現状に、パティは不満を漏らしている。
「若い男性と二人で、夕食をお取りになるなんて軽はずみですよ」
就寝前に訪ねて来て、口をとがらせるパティにアリスンは「まあまあ」と笑う。
「みんな、すぐに噂しなくなるよ。別に男女の仲ってわけじゃないんだし。それに給仕の人も出たり入ったりするから、厳密には二人っきりってわけでもないし」
「そうでなくとも、ですよ。お相手は《秘密の森》の一族の当主のご子息じゃあないですか。以前は使用人に当たり散らしたりして、感情の起伏が激しい我が儘お坊ちゃまと言われていたようですが、アリスン様と一緒に過ごされるようになってから落ち着いていると、ナスリさんも言っているんですから」
「ナスリさんが?」
たしかに、グラスの当たりは以前よりはきつくない。
が、アリスンは以前のグラスを知らないので「アリスンと過ごすようになってから、グラスの様子が変わった」と言われても、にわかに信じられなかった。
「最近は、朝から晩までどこにいくのも一緒ですよね?」
「うーん、そう言われてもなあ。グラスがダムの設計図を描いているのを手伝ったり、資料の該当ページをまとめるように言われたりして、仕事を手伝っているわけだし」
嘘ではない。
ただ、森の墓地を訪れたあの日から、二人の間には言葉にできない親密さが漂っていた。邸宅の者たちも、その空気を感じているのだろう。
「それより、明日のスケートなんだけど楽しみだね」
アリスンは、強引に話題を変えた。十二月に入り、グラスの言う通り邸宅横の湖がようやく凍った。使用人だけでなく、近所に住む者たちも待ちに待っていたスケートの季節だった。
パティは、スケートの話を聞いただけで、「私は、別に滑らなくてもいいと断ったのですが……」と、自分には氷の上で滑るなどできるはずがないと、頑なに拒否していた。
「せっかく、ハリカさんが娘さんのスケート靴を貸してくれるんだから、一回だけ滑ってみようよ」
邸宅の洗濯室で働くハリカは、住み込みではなく近所の工業団地に娘夫婦と暮らしているらしく、よく家族の話をホールで同僚にも話している。目が見えないので、と言って同僚からのスケートの誘いを断っているパティに、「もしかして、スケート靴がないから遠慮してるのかい? それなら、うちの子が履かなくなったやつを貸すよ!」と申し出てくれたらしい。
「てっきり、目が見えないのならスケートは止めておいたほうがいい、と言われるかと思っていたのですが……、ここに住む人たちは私が予想するようなことは言ってくれないから困りますよ」
困ると言いながらも、パティの顔は嬉しそうにも見える。最近は、ナスリとではなく、邸宅の掃除チーム数人と邸宅内を掃除したり、庭を囲む礼拝堂の掃除も任されていた。
翌朝、使用人たちはホールで朝食を食べると、邸宅を出て連れ立って湖まで歩いた。この日は、冬の休息日で森に感謝を捧げる日であり、最低限の仕事を終わらせれば自由に過ごしてもいい、という事になっていた。
この日、森の中の凍ったリンクの上に、恐る恐るスケート靴姿のアリスンとパティは乗った。他の面々はさすがに慣れているのか、次々に湖の中央へと滑り出していく。
「二人とも、早く!」
セダムが、幼い娘を連れてリンク中央から手を振っている。
分厚いコートを着ていても、足元から冷気が上がってくる。野鳥の鳴き声が響き、遥か上空から彼らに見下ろされているような気がして、アリスンは一時空を見上げた。
「アリスン様、どうされました」
「ううん、なんでもない。鳥がこちらを見ている気がしたの」
アリスンが動き出さなければ、パティは一人では動けない。そろそろと足を動かしアリスンは一歩一歩前へ前へと踏み出していく。スケート靴の刃が氷を削る音がして、アリスンの太ももがガクガクと震えた。
アリスンたちを心配して、バハリがリンク中央から戻ってきてパティの手を握るとゆっくりと滑り出す。バハリは、リンクの上で足の悪さをまったく感じさせない。
「最初に説明しておくけれど、こうして両のかかとをくっつけて、爪先を九十度くらい開くと、氷の上で立っているときに安定するからね」
氷の上で棒立ちになっているアリスンに、バハリが言う。
「そのままの角度で、右足と左足を交互に外側にして歩くんだけど、わかる?」
バハリの動きをアリスンはそのまま真似してみる。バハリは、パティがうまく歩けるように、彼女の足には手袋をした手を添えて動かしてやった。
「そうそう、いい感じだ」
ぎこちないが、パティが少しずつ氷上を前に進んでいく。
「爪先じゃなくて、足の側面を使って。片足ずつだよ」
バハルのアドバイスに従い、アリスンも足の動きを真似する。頭ではわかっていても、なかなか氷上では思い通りに身体が動かない。それでも、何度か挑戦するうちに、コツが掴めてきた。
「アリーは、そのまま中央まで滑ってみて。あたしがパティをそっちまで連れていくよ」
振り向くと、へっぴり腰のパティがバハルにつかまっているのが見えた。だが、その顔は笑顔だ。
アリスンは「あっちで待ってるよ!」と、二人に手を振ると進行方向に顔を向けてみる。前に出した足のエッジの上に体重を乗せるようにすると、先ほどよりも強く身体が前進していくのがわかった。ひんやりとした風が頬に当たって気持ちがいい。
湖の中央には、セダム以外にも厨房で働いている使用人や本邸の使用人たちが集まっていた。やっとそこにたどり着き、ブレーキをかけたアリスンにセダムが笑いかける。
「うちの娘も昨年おっかなびっくりだったんだけどさ、もう今年は全然怖がらないよ」
セダムの娘は今年六歳になったばかりらしい。あまり人見知りしない質のようで、アリスンにも「こんにちは」と挨拶をしてニコリと笑いかけてくれる。
「ママが生まれた国と同じ国から来たんですよね? わたしの名前はマクブレ。わたしの名前には、愛された子、という意味があるの」
「素敵な名前だね。わたしの名前はアリスン。アリーでいいよ。よろしくね」
「うん、よろしく。アリー」
マクブレは、大きく口を開けて笑うと、母親であるセダムにまとわりつく。
「スケートが終わったら、みんなでご飯を食べに行って花火を見るんだ」
「みんなって?」
マクブレが、湖の北側に立っている男女のグループを指差す。
「同じ団地の人たちなんだ」
ここの近くの工業団地に住んでいるマクブレには、知人や友人が沢山いるようだ。
「アリーとパティも、私たちと一緒に花火を見に行く?」
セダムの提案に、アリスンは首を振る。
「誘ってくれてありがとう。でも、グラス様とご飯の予定だし、やめておくよ。わたし、これが終わったら筋肉痛に襲われそうだしね。もしかしたら、パティは行きたいって言うかもしれないから、声をかけてみて。見えなくても、雰囲気だけ知りたいかもしれないし」
「うん、わかった。じゃあ、誘ってみるわ。実はさ、あたしも初めてスケートに挑戦した時体中が痛かったからね。内腿とか、背中まで痛くて朝起き上がるのも大変だった」
アリスンがセダムと顔を見合わせて笑っていると、ようやくバハルとパティがやってきた。
「見てよ、パティ滑れるようになったよ!」
バハルと手を繋ぎながら、パティがスケート靴に体重を乗せて前に進んで来る。アリスンが「こっち!」と手を振ると、パティも笑ってこちらに手を振り返した。




