逃走一日目・午後その一 山のぼる変則紀行
普通列車に揺られ、すでに終点の辰野までたどり着いた。しかし、列車はここから中央本線の支線を通り、韮崎まで行く。が、私が下りるのは、そのはるか手前にある岡谷だ。
岡谷では、東京方面に行く特急あずさに乗り換えることができる。
早く青森までに到達したいため、特急料金も惜しみなく注ぐ。ちなみに、辰野から岡谷は結構すぐ向かうことができる。
JR東海の主力車両、313系も、ここから先の区間で会うことはまずないだろう。
これからは、再び異郷の地を踏み続けなければならないのだ。そう思うと、なんだかんだ言って静岡遠州地域や岐阜美濃地域、三重や、ここ長野南信地域は、ご近所なのだと思う。
この一件が片付いたら、再び故郷豊橋の地を踏むことができるのだろうか…。
突然襲ってきた故郷を懐かしむ気持ちを何とか振り払い、入線してきた特急あずさに乗り込んだ。
さすが2017年生まれのE353系。車内はまだまだ新しさを感じられて、非の打ち所がないほど快適である。もちろん、レトロな車両も大歓迎なのだが。
「…サンライズ号、香川上陸に加え、特急あずさもこの旅で初なんだよねえ…。なんだかなあ…。」
数日前、家を出るときは"近場の鉄道の初乗車は経験したくない"とだけ思っていたが、いざほかの地域の列車も乗ると、ついつい普通の旅で乗りたかったと思ってしまう。
そういう考えがよぎるということは、心に余裕ができてきた証拠だ。でも、油断するわけには行かない。やはりまだまだ相手が何者なのかわからないため、下手に接触したらまずいことになりかねない。
…とはいえ、本当にあいつらは何なのだろうか…。
仮に誘拐犯だとしても、私だけをこんなに執拗に追いかける必要もないし、やはり警察官なわけでもない。
そして、そんな警察を頼ることもできないのも本当に面倒だ。
前、述べたかもしれないが、私が保護されたとしても、結局は親権者である母が引き取りに来るはずだ。
何のために、今こうして中央高地を駆けているんだ。母が怪しいからだろう。
そうやって無駄な思考を巡らせるうちに、列車は上諏訪や芽野、小渕沢などの駅を通って行った。
甲府を発車したあたりから、雲行きが怪しくなってきた。中央線の高尾から相模湖の間の踏切で人身事故が発生し、私の乗る特急あずさは大月駅までの運転になってしまった。
時間を無駄にできない私にとっては、致命的なトラブルだ。
なんとかしてまたタクシーを捕まえる必要がありそうだ。
時計を確認すると、もう14時になっていた。ここからは日が沈む一方だ。逃げやすくなる一方で、追手がどこにいるかわからなくなってしまう。スマホで地図を開いて、八王子までの経路を確認していたところ、とうとう大月駅に到着した。
大月はそこまで大きい駅ではないが、今回はここで止められた特急利用者が右往左往していた。
その雰囲気は、さながら1日目の熱海駅なのだが、今回の私は特定の列車の運転再開を待つ必要がない。
私は駅前に停まっていたタクシーを呼び、乗り込んだ。
「どちらまで?」
「八王子駅までお願いします。」
「ほう、八王子。例の運転見合わせの影響か。」
「そうなんですよ。大宮まで帰らないといけないのに、こんな遠いところで1泊なんてごめんですよ。」
人身事故なんて、数時間でどうこうなるわけがないので、列車を待つなんて無意味なことするわけがない。そもそも、飯田まで追ってきたわけだから、消去法で東京方面に行くとわかってしまう。
逆側に向かって名古屋方面や松本・長野方面に行っても無意味なのだ。名古屋方面はスタート位置に逆戻りするわけだし、長野方面に向かう列車、主に長野行き特急しなのだったり松本行き特急あずさは、一時間に一本。接続が悪すぎてすぐに捕まってしまう。
タクシーが出発した。見たことのない山々も、ほんの少しだけ黄色く染まってきた。
四月はまだまだ日が沈むのは早いため、八王子につく頃に空がどうなっているのか不安ではある。
私は何となく怖くなって後ろ側を見た。だが、特に怪しい車や人は見当たらなかった。特についてくるようなものもない。
いまだあわただしく人が渦巻く大月駅を出発した。
「…。」
「…気になるの?」
「うん…。そりゃあ…。」
私の名前は雪村籾治。友人の木村真見の逃走に協力した人物である。豊橋駅で彼女を見送ったまではよかったのだが、やはり不安だ。
私が真見ちゃんと友達になったのは最近だが、どんどん表情が暗くなっているのはよくわかっていた。
だから、あの家から逃げ出すと本人が言った時、内心安心したんだ。
しばらくは傷つくことがなくなるんじゃないかって…。
しかし、どうやら真見ちゃんは旅先で変な輩に目をつけられたらしく、遠方の親族のもとへ行くと言って、再び豊橋を出た。
鉄道好きの私を認め、共に共通の話題で笑いあった初めての相手だからこそ、心配してしまうのだ。
空は黄色く染まり、そのうち橙に染まるはずである。それくらい、時間がたった。
どうにか気を紛らわすため、適当に交通ニュースを開いた。
すると、そこには”中央東線 高尾↔相模湖間の踏切で人身事故 大月↔高尾間で運転見合わせ”の文字が躍っていた。
…確か、真見ちゃんは飯田線から中央線を経て、大宮まで出ると言っていた。
下手にニュースを見たせいで、余計に心配になってきた。
すると、そんな私の心境を察してか、スマホに電話がかかった。真見ちゃんからである。
「もしもし?籾治?」
「あ、真見ちゃん!列車停まったみたいだけど、大丈夫なの!?」
「ああ、平気平気。タクシー捕まえたからね。今は大月から八王子に向かってるよ。」
「よかった…。本当に心配してたからね…。」
「いやー、迷惑かけちゃったね…。」
電話の内容は、ただの現状報告だった。それを聞いて安心した。
「でもね、別の問題が浮上してきたよ…。」
「…え…?」
急に向こうの声のトーンが変わった。よほどのことらしい。
「タクシーの後ろをついて走る車がいてね…。ずっとナンバーが変わらないんだよ。」
「え、それって…。」
「うん。追手だね。」
私は、なぜか少しの間だけ言葉が出なかった。しかし、すぐに頭が思考を開始する。
真見ちゃんがわざわざタクシーの中でもかまわず電話をするほどだ。
対処法が見当たらないのだろう。私はすぐさま質問を始めた。
「今、どのあたりにいる?」
「今は上野原だね。もうすぐその駅が見えてくると思う。」
上野原…。なら、あれが使えるか…。
「上野原駅から…」
私は、籾治からの助言通り、上野原駅でタクシーを降りた。とうぜん、列車は人身事故の影響を受けて停まったままだ。
私はタクシーから降りた後、一目散に駅前に停まっていたバスに乗り込んだ。それは富士急バス。ここから山の中を走っていく。ここから奥牧野というバス停まで乗る。ぎりぎりの時間で発車する便を、籾治が教えてくれた。私は、本当の計画では大月駅から路線バスを乗り継いで追手をかく乱するつもりだったが、始めてきた土地なため、それは断念したのだ。忘れていた。籾治は鉄道以外の交通も詳しいのだ。
私がバスに乗り込むと、少ししてすぐにドアが閉まった。
私が上野原駅で降りたことを知らずに道を突っ走っていった怪しげな車は、少し進んだところで気が付いて、Uターンしてきたがもう遅い。バスは発車した。
こういう時のため、あらかじめタクシーの運転手には高速道路を使わずにした道を通るようお願いしたわけだ。
この上野原を出れば、とうとう首都圏・神奈川だ。…まあ、地図でいう北の先っぽを通るだけなんだけど…。その後、怪しい車は私が乗っているバスを見失ったらしい。
路線バスなため、当然行き先表示はある。が、それすら見逃したらしく、ついてくる気配はなかった。
こんなところで強運を発揮するとは…。しかし、このまま奥牧野まではなんとか行けそうだ。
そこから神奈川中央交通にのりかえて、藤野駅まで向かうのだ。
その後もいくつかのバス路線、まあ、神奈川中央交通で一貫しているのだが、複数回乗り換えることで足がつかないようにして、どうにか列車が動いている高尾駅まで行ければ万々歳だ。
もちろんデメリットは理解している。八王子到着の時刻が大幅に遅れることになる。
私の目的地は八王子でも大宮でもなく、父との集合場所である青森なわけだ。
最悪、新幹線で向かうしかない。別に新幹線とか飛行機を使ってはいけないというルールはない。あくまでも、見つかる危険性が高いというだけだ。まあ、その危険性がとてつもなく高いから、今こうしてバスに揺られているわけだが…。
おっと、もうすぐ奥牧野か。降りる準備をしなければ。
高尾駅にたどり着いたときには、すでに17時を回っていた。
もちろん八王子方面の列車はまだまだ出るわけだが、正直不思議なのだ。うまく事が進みすぎている。
だが、ここ高尾駅は今まで通ってきた大月や藤野と同じく、そこまで大きな駅ではない。
京王に乗り換えるという方法もあるにはあるが、本来の計画である”東京駅周辺を通らない”というものが実現しない。ここまで来たなら、ふつうは東京に向かうと考えてしまうはずだ。
ぼんやりした不安を抱えながらも、私はやってきた列車に乗り込んだ。とうとうJR東日本のE233系が走る区間に来てしまった。
八王子まであと少し。ここから八高線と川越線を経由すれば、とりあえず東京に次ぐ大ターミナル大宮にたどり着く。だが、今までの逃走劇は、正直のところ、前座に過ぎなかったのだと、今さらに思う。




