逃走二日目・午前 四季遅れの地
羽後本荘駅にたどり着いたときには、午前1時であった。何とかして始発が動き出すまでには秋田まで行きたい。
秋田から秋田新幹線で岩手の盛岡まで行ければ、あとは東北新幹線で青森まではひとっ飛びだ。
元の計画ではこのまま羽越本線を北上していくつもりだったが、追手がここまでたどり着いている可能性も考慮して、別のルートで秋田を目指すことにした。私はここまでお世話になったタクシーから別のタクシーに乗り換えた。
「お客さん、こんな遅くにどこまでだい。」
「あ、矢島駅までお願いします。」
「矢島!矢島って言ったら鳥海山ろく線だろ?なんでそんなとこに…。」
運転手は私のことを不審にみている。まあ、馬鹿正直に追手から逃げているなんて言って信じてもらえるわけないし、適当に嘘つくか……。
「矢島に自宅があるんですけど、帰りのバスが大幅に遅延してしまって、なんとか新潟から羽後本荘まで来れたんですね。」
「はあ、そりゃ大変だなあ。わざわざそうするってことは、路銀もあまりないだろ。安くしといてやるよ。」
本当は路銀は多少ある。ただ高校生は1人で宿に泊まれないからこうしてるのだ。この運転手も私が高校生であることには気づいていないらしい。その後、私はしばらくタクシーに揺られながら真っ暗になっている由利高原鉄道鳥海山ろく線の線路をたどっていった。
しばらくは田んぼと思しき場所を進んでいく。4月にもなったばかりなうえ、北国秋田はまだまだ寒いのだから、春の田起こしが始まったばかりで代かきはまだまだだ。暗くて全然見えないが、おそらく土がむき出しになっているはずだ。
しばらく田園地帯を走ると、山が目立つようになってきた。そして、そんな山々も越えると、少し開けた場所に出て、由利高原鉄道矢島駅が見えてきた。
1時間ほどかかっただろう。今の時刻は午前2時半だ。
いつの間にか、初日に家を出たときに近い時刻になってしまった。豊橋のときは町中だったため徒歩で駅まで行けたが、夜の山道を進むのは危険すぎるため、しばらくは矢島駅で立ち往生になりそうだ。
木造の駅舎の前で少し待つこと30分。私はもう1度タクシーを呼んだ。念のため、先ほどまで乗ってきたタクシーとナンバーが違うことを確認した。
1度降りてまた乗り込むというのは、さすがに怪しまれるためだ。
「珍しいねですねこんな夜遅くに。どこまで乗られます?」
「JRの湯沢までお願いします。」
「湯沢駅ですね。」
運転士はそう言って、そのまま車を出した。
何かしら事情があることを、向こうも察したのだろう。干渉されないのはありがたいけど。
少し走った後、タクシーは鳥海山ろく線を辿るときにも通った国道108号線に入った。出羽山地をまさに峠越えの要領でまたぐため、かなり時間はかかるだろう。うまい具合に始発に接続できたら万々歳。そうでなくとも、湯沢駅にたどり着ければ、青森到着への希望が見えてくる。
時刻は午前3時。さすがに限界が来た私は、車内で眠りについた。
「お客さん、湯沢駅に着きましたよ。」
「…あ、着きましたか?ありがとうございます…。」
いつの間にかガッツリ寝てしまっていた。
時計で確認すると、時刻は午前6時20分。始発の快速秋田行きに乗るにはバッチリな時間だ。
私は決して安くはない料金を払って、タクシーから降りた。
久しぶりに大きな駅にやってきた気がする…。
…駅内のコンビニはまだ開かない様子…。あいにく今のところ食べ物の持ち合わせがない。仕方がないので、乗り換えの大曲までは我慢しなければならないか…。
「…遠くまで来たなぁ…。」
湯沢市は、秋田県にある。故郷愛知から見れば、異国にすら見えるほど遠くの存在のように見える。
そんな大地に、今いるのだ。
私は、ふと駅前の通りに目をやった。
もちろんただの道路が広がっているだけである。
しかし、故郷なら、この道の真ん中を、小さな車体を揺らしながら走る路面電車が通るはずなのだ。
…ホームシックだろうか、この気持ちは…。
ここまで何度か感じた気持ちに、ようやく耳を傾けることができたらしい。…自分でもよくわかっていない。
しかし、何のためにここまで来たのかといえば、当然、自分の心を守るためである。
始発の快速列車の出発時間が近づいてきた。
私は、あとほんの少し北へ行くために、改札内に入った。
やってきた列車は、このあたりの主力車両の701系だ。長野でこの車両のそっくりさんを見たことがあるが、今はそんな悠長にしていられない。
私は寒さでかじかんだ手を何とか温めながら、
列車に乗り込んだ。
追手が今どこにいるのかは定かではない。が、前日に大宮でまいたことから、近くにいるということはないだろう。
…このまま新幹線に乗ってもいいのだろうか…。
普通、追うのに失敗したら、先回りする。相手の行き先がわからなくとも、逃走者の動きから予測して行動することもできなくはない。現に、昨日それで先回りされたこともある。
私は、暖かい車内で必死に時刻表をめくった。
昨日の追手の動きから、こちらも向こう側の行動パターンを予測するのだ。
昨日、私が上越新幹線に乗り込んだとき、時刻は18時半を回っていた。その後に新潟へ行く新幹線は少ないが、それでも越後湯沢や新潟まで、終電が終わる前にたどり着く。
追手3人が全員この動きをしているのがベストだが、物事においてはベストな状態などまずあり得ず、なんなら最悪の事態になる確率のほうが高い。今まで作戦がうまくいっていたのは、まぐれでしかない。はっきり言って、ただ、運が良かっただけなのだ。
そして、その最悪の事態というのは、新潟方面と仙台・盛岡方面で分かれて、私を追い詰めようとするというものである。
これだと、新潟方面に逆戻りはできない。そして、私の新幹線利用がより難しくなる。
私が今目指しているルートは、快速で大曲まで行き、そこで秋田新幹線に乗り換えて盛岡を目指す。盛岡で青森方面行きの東北新幹線に乗り換えて、新青森を目指すというものだ。
しかし、必ず盛岡で乗り換えが発生する上、誰でも思いつくありきたりな作戦だ。
無謀…。私の頭の中では、この2文字が巡り続けている。
その間も、快速は奥羽本線を北上し、醍醐を過ぎた。
次の停車駅は、横手駅である。
…横手…?私は、時刻表の巻末についている路線図を広げた。…横手駅から北上線という路線が伸びていて、東北新幹線北上駅に繋がっている…。
すぐさま北上線横手駅の時刻表のページを開けた。が、僅かな希望も簡単に打ち砕けた。
本数があまりにも少なすぎる。
走る列車は、1日僅か4本だけであり、私が横手駅で降りて北上線に乗り換える場合、1時間近くにわたる空白時間が発生する。
しかも、北上駅の東北新幹線青森方面に行く列車は、全て盛岡止まり。青森まで行けない。
…いや、そうか…。私は、無謀ではあるものの敵の裏を突く作戦を思いついた。先ほどの”無謀”は”不可能”になり、今、現れた”無謀”が、風前の灯火となった”希望”となってしまった。
そうと決まれば、横手駅で下車である。
1時間ほど時間ほど、横手市内をタクシーで周っていた。
追手との遭遇を避けたかったのもあるが、単純に暇すぎた。
そうして適当に時間を潰していたら、7時55分になった。やってきた列車は、東北気動車の代表格である110系である。
すぐさまそれに乗り込み、北上駅を目指す。
あとは、計画を正しく実行するのみ。私は北上駅に着くやいなや、すぐさま新幹線ホームにのぼる。
しかし、私がやってきたのは、仙台・福島方面の上り列車ホーム。
私が考えた作戦、それは、Uターン作戦。東北新幹線はやぶさ号を用いて一度仙台まで戻り、そこで新青森行きの新幹線に乗り換えてUターン。
私は追手の位置を知らないが、敵もまた私の位置を知らない。盛岡でうまく隠れることができれば、私の勝利である。
だが、懸念するべき点は、やはり仙台駅。
何度も言う通り、追手の合計人数が何人か分からない以上、どこにいてもおかしくない。
仙台にいても何も不思議ではないのだ。
しかし、北上線でここまで来てしまった以上、もう後には引けない。
私はやってきた東京行きのはやぶさに乗り込んだ。
さすがにここまでくると、路銀にも余裕がなくなってくるので、以前のようにグリーン車に乗ってやり過ごすということもできなくなってくる。半分運任せだ。
そうこうしているうちに、列車は仙台に到着してしまった。
ここから最短の乗り継ぎで12分後。そう、12分もこの駅にいないといけない。
そして、わたしの予想とは裏腹に、仙台駅には追手と思しき人は現れなかった。
すぐに10分が経過して、さてホームに上がろうとしたところで、今日最大の危機が訪れた。
私がホームへ上がるためのエスカレーターに足を踏み入れようとしたところで、思いっきり後ろ側に引っ張られた。
振り返ると、そこにいたのは、岡山の2人組でも、上野原カーダッシュマンでもなかった。岡山の2人組に似たような服を着た、痩せた男がそこに立っていた。
だ、誰…この人!!まさか、新たな追手がこんなところで現れたの…!?
「来なさい、木村真見。」
「い、いやだ…嫌だ!だ、誰か…!」
そう叫んでも、周りの人はこの男を恐れてか、誰も助けてはくれない。そりゃそうだ。関わったら、自分も恐ろしい目に遭うかもしれない。ここまでか…。
そうして、私は改札口の前まで連れてこられた。そして、ここまでこちらが無抵抗でいたために油断している男の手を、どうにかして振りほどいた。
「あ、君!!待ちなさい!!」
「!!!」
私は次の瞬間、まさに命を燃やしてホームまで走った。すでに発車ベルは鳴り終わっている。停まっているE5系新幹線は、もうすぐ発車しようとしていた。お願い、間に合って…!
私は、今までに類を見ないほどの速度で走り、閉まろうとしていたドアに滑り込んだ。
間一髪。私は新函館北斗行きはやぶさ号に乗り込むことに成功したのだ。
「せ、セーフ…。ゼエ…、ゼエ…。」
私は極度の疲れから、その場で座り込んだ。だが、こんなところにいると邪魔になるので、すぐに移動しようとした。
そして、私が5号車に入ろうとしたその瞬間、見えた。上野原カーダッシュマンだ。やつもこの駅にいたのだ。そして、私を追うために、この列車に乗った。私はとっさに後退して、5号車のデッキにあるトイレに入った。
どうする…?このまま青森まで行くのはまずい…。なにせ、ここから最低でも2時間は車内にいないといけない。その間に何駅停まる…?私は、この旅で何度も治っては再び傷つくを繰り返してきたキズなんて気にせず、使い慣れてきた時刻表をめくる。私の乗る列車は、この先盛岡と八戸、新青森に停まり、新函館北斗に至る。さて、ここからどうするか。脱出のチャンスは2回ということになるのだが、ここまでくると、向こうも総力戦に突入したのだろう。1つの駅に2人も人材を配置している。一見無駄に見えるのだが、ようするにそれさえ可能なほど人がいるという可能性もある。盛岡駅にも八戸駅にも、はてには新青森駅にさえいる可能性もある。
他の客か、はたまた追手かは定かではないが、外から歩く音が聞こえてくる。もし追手なら、私を探していることになる。
と、そんなとき、私のスマホに電話がかかった。父からである。トイレの中なので、私は構わず電話に応じた。
「もしもし、お父さん…?」
「もしもし。真見。電話に出れるってことは、まだ大丈夫なようだな。」
「いや、私が今乗ってる新幹線に、追手も乗ってる…。」
「…なるほどな。」
しばらく沈黙が続いた。私も何も言えず、数分経った。車内には新幹線特有の走行音が響く。
そうして、ようやく父が話し始めた。
「もし危険な状況なら、お父さんがそっちまで行こうか?」
「…できるの…?」
「できなくても、娘がピンチなら行くさ。今から向かえば、八戸までは行けるぞ。」
私は、考えた。これは、願ってもみないチャンスである。危機が減るわけだから。
そして、私は身に巣食う恐怖と疲れから、父に八戸まで来てもらうよう頼み込んだ。
八戸まで行くにあたって、まずはこの状況をどうにかしなければ…。
ずっとここにいると、怪しまれてこじ開けられかねない。それ以前に、ほかの利用者に迷惑がかかる。
だが、この状況を打破するための作戦がないのもまた事実。
そうして考えがまとまらずに、部屋の中をぐるぐる回っていた。
「…外に出ることが出来たら…。」
私はあきらめまじりにそうつぶやいた。しかし、その言葉が、思いもよらない作戦を思いつかせる。
「…トイレ伝いに行くか…?」
このE5系新幹線には、いくつかトイレがある。追手がいない間にトイレからトイレに移動して、追手からうまく逃れようという作戦である。だが、当然問題だらけだ。まず、追手が今、この車内のどこにいるのかわからない。おまけに、全てのトイレを周ったら、あとは戻るしかない。それすら不審に思われる。
しかし、これをやらなかったら、先に死ぬのは私なのだ。
今回も変装が必要らしい。私はカバンから別の服を取り出し、すぐに着替えた。今回は帽子と白マスク付きの本気版である。準備ができた私は、トイレの戸をそっと開けた。
いったん顔だけ外に出して、周りをうかがう。特に人がいるという感じはない。これだけの時間が経てば、上野原カーダッシュマンだって全ての号車の捜索を終えたはずだ。
私は、恐る恐る外に出た。10号車方面はグリーン車と最高級座席のグランクラスなので、私が向かうのは3号車だ。
できるだけ不自然に見えないように歩く。そして、私は5号車に立ち入った。
なかには先ほど見えた上野原カーダッシュマンは見当たらない。
雑談していたり、ノートパソコンを開いて仕事をしていたりと、ごく普通の人々しかいない。
私は特に何もなく、5号車を通過した。次は4号車。ここを通れば3号車のトイレだ。
先ほどの5号車立ち入りで抵抗感がなくなったので、さきほどよりかは恐れずに戸を開けることができた。まあ、少しは怖いけど…。
しかし、そこに上野原カーダッシュマンはいた。やはり、私の額には冷や汗がにじむ。
だが、ここを通るしか生き残る道はない。私は意を決して歩き始めた。
上野原カーダッシュマンは前から6番目の列に座っている。私は進行方向に歩いているので、やつは私の背中しか見えない。それでも不安だ。
前から10列目を通過。だんだんと冷や汗の量が増す。前から9列目を通過。手に力がこもる。前から8列目を通過。歩く速度が少しだけ早くなる。前から7列目を通過。次がやつの列だ!
そして、私は前から6列目を通過した。
…何も起きない。誰も私に声をかけない。私はそのまま、戸を開けて、3号車デッキにあるトイレにかけこんだ。う、うまくいった…らしい…。私はそのひどく緊張した体から力を抜いた。
心臓がもったことが奇跡だ。そうこうしているうちに、列車は先ほどまでいた北上駅を通過。
時刻は12時をまわった。




