第64話 卒業式※日和視点
予定の時間になり、担任の誘導で移動する生徒たち。日和も一緒についていく。式場となる体育館のドアを抜けると、いよいよ卒業するんだという感覚を肌で感じた。
体育館全体を覆う、静かに張りつめた温度。床に並べられたパイプ椅子、白いリボンで飾られた壇上、紅白の幕、正面に掲げられた校章——目に映る景色はどれも見慣れた体育館のものなのに、卒業式の様相に彩られていた。
卒業生は組んでいる各パーティーごとに分かれて、壇に向かって整列する形で席に着く。日和パーティーの六人で一緒の席に固まる形になった。前後左右に同期の顔。緊張で背筋が伸びている子、わざと肩を回して落ち着こうとしている子、まだ目覚めきれなくて眠そうな子——三年間で見慣れた顔ぶれが、最後の整列を組んでいる。
日和は席に着く前に、ほんの一瞬だけ視線を会場全体へ流した。
保護者席は、もうほとんど埋まっている。
その中ほどに、陽子の姿をすぐに見つけた。淡いベージュのスーツに、控えめなコサージュ。きちんと背筋を伸ばして、両手は膝の上で軽く重ねている。視線の先は壇上を向いていたが、ほんの一拍だけ視線が泳いだ瞬間に日和の方を見つけた。
目が合った。
陽子は唇の端だけで、ごくわずかに微笑む。
日和も、表情を大きく動かさないまま頷いて、反応を返した。
それから——視線を、もう一方の側へ動かす。
来賓席。
壇の脇、卒業生の列から見て斜め前。並ぶのは数名。教育委員会の役員らしき年配の男性、おそらく地域の探索士協会の関係者、その他何人かの、いかにも来賓らしい服装の人々。
来賓席の列、その端に近い位置に透がいた。
濃紺のスーツ。きちんと結ばれたネクタイ。普段の少しラフな服装とは違って、襟も袖も全部、まっすぐに整っている。背筋は綺麗に伸びていて、両手は腿の上に置かれている。表情はいつもの透のままだった——穏やかで、力みがなくて、けれど、座っているだけで周囲の空間が一段だけ整っているような、独特の佇まい。
スーツ姿、想像してた通り——というか、想像以上にカッコいい。
参加を要請された、と聞いていた。来賓として正式に招かれている。だから、いるのは知っていた。それでも実際にその姿を視界に収めると、嬉しい気持ちがあった。
席に腰を下ろした日和の隣で、美月が小さく身を寄せて、ほとんど唇の動きだけでささやいた。
「……見た?」
「ん?」
「来賓席」
日和は、努めて何でもないような顔を作って、横目で美月を見た。彼女が何を言っているのか理解して答える。
「うん、見たよ」
「スーツ似合ってるね、凪原さん」
「……うん」
返事を返すのに、ほんの一瞬かかった。美月は満足そうに、それ以上は何も言わずに視線を前へ戻した。
式は、定刻通りに始まった。
「それでは、これより第6回卒業式を――」
司会の教師の声が、マイクを通して体育館に広がる。
起立、国歌斉唱、校歌斉唱、来賓紹介、校長挨拶——式次第は、リハーサルで何度もなぞった通りの順番で予定通りに進行していく。
校長が、壇上の中央へ進み出る。
白い祝辞用の用紙を広げて、落ち着いた声でゆっくりと話し始めた。
卒業生の三年間を労う言葉。社会へ送り出すにあたっての餞の言葉。在校生への激励。保護者への感謝。型通りのフレーズではある。日和は膝の上で軽く手を組んだまま、視線を壇上に固定して話を聞いていた。
「——本年度の卒業生の中には、本校の歴史において特筆すべき活動記録を残した者たちがおります」
日和の耳が、その内容をとらえる。
「在学中の実績、攻略件数、後輩への指導、そして仮資格段階での社会的な貢献——いずれも、本校創設以来、類まれなる数字を残しました。詳しい数字は本日は読み上げませんが、今この場に、その記録の中心にいた者たちが座っている。それは、本校の教職員一同にとって、大きな誇りであります」
日和は膝の上で、指先をほんの少しだけ握り直した。向けられる視線に無表情で対応する。あんまり注目されたくないんだけどな。
隣の美月の肩の動き、その向こうの伊吹の妙にじっとした背筋、神崎の表情のなさ、東郷の小さく息を吸う気配、すずなの俯きかけた首——校長の言葉が、六人それぞれに届いている気配が、空気越しに伝わってくる。
校長の挨拶が終わると、続いて来賓挨拶。
教育委員会の年配の役員が壇上に立つ。透ではない。先に確認していた通り、透は来賓席で挨拶を聞く側だった。
挨拶する役員の話も、よくある祝辞の構成だった。社会に出る皆さんへ、これからの社会の困難を前向きに——という型通りの言葉。日和は耳半分で聞きながら、ふと視線を来賓席の方へ向けた。
透の視線は、卒業生たちの座っている席に向いていた。
日和が見ていることに、透は気づいたらしい。チラッと、視線がこちらへ動いた。
日和と透の目が交差する。
透は、表情をほとんど変えなかった。ただ、目元の温度がほんの一段だけ柔らかくなる。意識が通じ合った。
そして、視線が前へ戻される。
その一瞬が、日和はとっても嬉しかった。
来賓挨拶が終わり、卒業生代表挨拶が行われる。日和が壇上に上がり、用意されていた原稿を読み上げる。練習したことをそのまま出すだけ。何事もなく終わった。
——そして、卒業証書授与が始まった。
「卒業証書授与」
司会の声。
学校で組んだパーティーメンバーごとに、一人ずつ名前が呼ばれていく。
壇上に上がる卒業生、校長から証書を受け取る卒業生、頭を下げて席へ戻る卒業生。日和は背筋を伸ばしたまま、自分が呼ばれる番を待った。
順番が、近づいてくる。
「朝倉日和」
そしてとうとう、名前が呼ばれた。
「はい!」
日和は力強い返事をして、椅子から立ち上がる。
壇上への階段を上がる。
校長の前に立ち、一礼する。
校長が、両手で卒業証書を差し出した。
「朝倉日和。第——号。右は本校の定めた課程を修了したことを証する」
短い読み上げの後、校長は、書類用の声色を一段下ろす。
「——おめでとう」
「ありがとうございます」
両手で証書を受け取って、もう一度、頭を下げる。
「続きまして、探索士資格証書、授与」
卒業式と併催する形で、資格の授与式も行われる。この部分は、普通の高校とは違ったプログラムだろう。
校長が、資格証書を差し出した。今度は読み上げの言葉も少し違って、「正式に探索士として認定された」という旨の短い宣言が添えられる。
日和は、両手で証書を受け取った。
卒業証書と、探索士の資格証書を持って壇上を降りる日和。
その後も淡々と、卒業証書授与と探索士の資格授与は続いた。
伊吹、神崎、東郷、美月、すずな——五人もそれぞれ順番に壇上へ上がっていった。
そして、全員分の授与が終わったところで拍手が湧き起こる。
***
その後の式の進行は穏やかに過ぎていった。在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞が行われてプログラムは無事に終了。
「——これにて、閉式となります」
司会の声が告げる。
卒業生退場の合図。日和たちパーティーメンバーは、隊列の中で、ゆっくりと立ち上がる。
保護者や在校生たちが起こす拍手の中、卒業生が列を作って退場していく。日和は前を向いて歩きながら、両手で抱えた二枚の証書の重みを意識した。卒業証書と、正式探索士資格証書。
体育館の外へ出ると、外光が、少しだけ眩しかった。
ロビーには、保護者たちが既に移動してきていた。卒業生と家族が、それぞれ見つけ合いながら声をかけ合っている。日和は、人波の中に陽子の姿を探した。
ほとんど駆け足のような早歩きで、陽子が、人混みを縫って近づいてきた。
「——卒業おめでとう、日和」
「ありがとう、お母さん」
陽子が、人波の中をひと撫でするように視線を流して——ふと、ある方向で止まった。
日和も、釣られて視線を追う。
ロビーの少し奥、人だかりから一段下がった柱の影あたりに、透がいた。
他の来賓たちと一緒に出てきたのだろう、いつもの表情のまま、こちらに視線を向けて、静かに立っている。近寄ってはこない。母娘の時間に割り込まないでおこう、という距離だ。
目が合うと、透は会釈をした。
陽子も、それを見つけて、丁寧に会釈を返す。
日和も頷きながら、視線に気持ちを込めて、もう一度透に「ありがとう」という思いを送った。
その思いが伝わったのか、透はわずかに口元を緩めて、それから、また平常通りの表情に戻った。それから、集団で離れていく。
「透さんも、来てくれたのね」
「うん。来賓で招待されたんだって」
「卒業の姿を見てもらえて良かったわね、日和」
「うん」
***
卒業生の家族との挨拶がひととおり落ち着いた頃、日和は教師から呼ばれた。
連れて行かれた先には、卒業生対応エリア/報道と書かれた立札があった。動線の手前には、学年主任とその下の若い教師が二人、立ち位置を確認しながら配置に入っていた。
卒業式が近づいた頃から、担任から事前にひととおりの説明を受けていた。報道陣をそのまま招くと現場が混乱しそうだから、対応を希望する卒業生・指定された卒業生を絞って、学校側が場を整理した上で取材の機会を設ける——その「指定された側」に、彼らの注目を集めている日和パーティー六人が含まれる、という話だった。
メディア対応なんて面倒だなと思うけれど、学校が場を整えてくれるだけ、ありがたいか。
急に囲まれるよりも、整理された場で短時間でまとめて答える方が結果として疲労は少ない。担任もたぶん、生徒の負担を最小化する方向で動いてくれたのだろう。日和は内心で感謝しつつ、視線を仲間の方へ戻した。
伊吹は、意気揚々と肩を回している。
神崎は、相変わらずスマートフォンを手元で操作している。
東郷は、周囲を見回して動線を確認している。
美月は、すずなに何か声を掛けて、ぱさついていた前髪を直してあげている。
すずなは、緊張しているのか少し顔が硬い。
日和たちが待機しているロビーから、チラッと見える特別教室の中には、整列した報道陣が待ち構えていた。
校門前に居た顔のいくつかが、ここにも揃っている。ただし校門前と違って、ここはちゃんと整列されていた。マイクの位置は事前に決められ、カメラの三脚も指定の場所に置かれ、レポーターも当てがわれた立ち位置で待機しているようだ。学校側のスタッフが手元の用紙を確認しながら、「ご質問はお一人ずつ、簡潔にお願いします」と短く事前注意を入れた。
入室するように指示があったので、日和たち六人は教室に入った。そして、前方に並んだ長机の前に立たされる。
六人並び立ち、その前に報道陣のマイクが扇形に広がる構図。ちょっとした取材なのかと思ったら、思っていた以上に本格的な記者会見のような光景だった。
日和は背筋を伸ばして、視線をいったん中空に置いた。
学年主任の合図で、最初の挙手が上がる。
「では、最初の質問を——」
学校側のスタッフが指名した記者が、マイクを口元に寄せた。
「朝倉日和さんへ。本日、正式探索士資格証書を授与されました。正式探索士として、今後の活動方針について、お聞かせいただけますか」
日和は質問に対する発言を頭の中で整理してから、口を開いた。
「——正式資格を得たといっても、これまでの活動の延長線上だと思っています」
意識して声のボリュームを調節しながら。なにか変なことを言ったりしないよう、言葉を選んで答える。
「資格を取得したといっても、ダンジョンでの立ち居振る舞いを急に変えるわけでも、組むメンバーが変わるわけでもありません。一件一件、確実に成果を積み重ねていく——その姿勢は、これまでと同じです。ただ、責任の重さが少し変わる分、慎重さを忘れずにやっていきたいと思っています」
マイクが下げられる。納得の行く答えを得たのか、記者が短く頷いた。別の記者が次の挙手を上げる。
「同じく朝倉さんへ。今、お話の中で『組むメンバーは変わらない』とありましたが——卒業後も、現在のパーティーは継続されるのでしょうか。今後の目標についても、お聞かせください」
日和は、横を一度だけ見た。
五人の視線が、自然と日和の方に集まっていて、それぞれが、わずかに頷いていた。返答はあなたに任せる、という顔。
日和は、視線を正面に戻した。
「学校で出会って組んだ、このパーティーは継続します」
迷いのない声で、まずそれだけを置いた。
「仲間と一緒に、ここまで来ましたので。ここからも、同じメンバーで活動していくつもりです。目標、というと大きな話に聞こえるかもしれませんが、まずは、今までの延長で、自分たちにできる範囲を少しずつ広げていく——それを丁寧に続けたいと思います」
「『最初から大きな目標を掲げる』というよりは、足元から、ということでしょうか」
別の記者からの確認。
「はい。私たちのやり方は今までと大きく変えず、学校で習ってきたことを発揮して活動を続けていくつもりです」
三番目の挙手。
今度は別の記者が、より踏み込んだ角度で来た。
「朝倉さんの在学中の活動記録は、本校創設以来とも聞いております。ご自身では、その評価をどのように受け止めていらっしゃいますか」
記者からのそんな質問に日和は、ほんの一拍だけ答えをためらった。
ためらった、というよりは、どう言葉に乗せるかを選んでいた。
「正直なところ、自分では、そんなに特別なことをしてきたつもりはないです」
マイクを越えて、声を届ける意識で、抑揚を抑えて答えていく。
「ただ、毎日できることを積み重ねてきただけ、というのが、本人としては一番近い感覚で。それだけの実績を残せたというのは、一人でやってきたわけじゃなくて、仲間と一緒にやってきたからこそ、だと思っています」
「ご自身の力ではない、ということでしょうか?」
「いえ、自分の力『だけ』ではない、ということです」
日和は、はっきりと訂正した。
「私も努力しました。それは、ちゃんと、自分でも認めています。ただ、その頑張りが結果に変わったのは、隣に頑張ってくれている仲間がいたからで。だから、私一人の記録、というふうには、私の中では受け取っていない、という、それだけのことです」
記者が、もう一度、ペン先を動かす。
「『学校創設以来』と言われても、まだ、実感がぜんぜん湧かないんです。けど——そう言われるぐらいの三年間だったのは、たぶん間違いないと思います」
記者の質問に対して、答えたいことは答えられた。ここまでで、日和への質問はひと区切りとなった。
次に、記者たちの視線が他のパーティーメンバーへ移っていく。
最初に当てられたのは、伊吹だった。
「伊吹颯太さんへ質問を。正式探索士として、ご自身が一番楽しみにしていることは何でしょうか」
伊吹は、即答した。
「強い相手に、どんどん挑んでいきたいです!」
胸を張って、にっこりと。その堂々とした答えに、質問した記者は少しだけ戸惑う。
「えー、神崎蓮さんに質問です。冷静な分析が定評と伺っていますが、ご自身の役割と評価について、どう思われますか」
「自分の役割は、観察と情報の整理です。その役目を、しっかり果たしてパーティーに貢献できていると、自分では思っています」
続いて、東郷。
「東郷拓人さんに質問です。あなたが主に、戦略立案を担っていると伺っています。そんなあなたの、これからの活動の目標についてお聞かせください」
質問内容を聞いた東郷は頷いて、落ち着いた声で答えた。
「チーム全体として、安定した活動を続けていきたいと思っています。派手さよりも、無理のない継続性を優先するつもりです。一人で結果を出すことよりも、六人で結果を出すこと——そのために、自分の役割は、これからも事前準備を怠らないことを目標に置きたいと考えています」
意見をしっかりまとめ、過不足のない返答。
次は、美月。
「桐谷美月さんへ。お仲間との関係性が良いと見受けられますが、ご自身が大切にしてきたことを教えてください」
美月は、いつも通り柔らかく微笑んだ。
「大切にしてきたこと、というと少し大げさかもしれませんけど——仲間たちが、無理してないか、ちゃんと見ること、でしょうか」
「ほう」
「ダンジョンでも、生活でも。誰か一人だけが頑張りすぎないように、というのは、自分の中ではずっと意識してきたつもりです」
マイクから少しだけ視線を離して、ふっと笑い添える。
「私自身、それで助けられた経験が多いので。受け取った分を、ちゃんと、返したかった、という気持ちもあります」
穏やかで、当たり障りがなく、それでいて芯のある答え。
そして、すずな。
「橘すずなさんへ。あなたが主にパーティーに貢献できていると思う部分は、どこですか?」
マイクが向けられた瞬間、すずなの肩が、ほんの一瞬だけ硬くなる。
「は、はい! 私は、戦闘の部分で、貢献できている、と思います!」
記者からの質疑は、その後もしばらく続いた。
ダンジョン攻略の中で印象に残った場面、後輩への助言、地方で困っている探索士への呼びかけ——いくつかの質問が、順々に六人へ振られていく。日和も、発言に注意しながら淡々と答え続けた。
質疑応答が、二十分ほど続いたところで、学校側のスタッフが「あと一問でお願いします」と告げた。
最後の一問は、再び日和に振られた。
「最後に、朝倉さんへ。本日、卒業を迎えられたお気持ちを、改めてひと言、お願いします」
日和は、その質問に答えるまでに少しだけ時間をかけて、どう答えるか考えた。
胸の中の言葉を、一度、ざっと並べてみる。仲間のこと、母のこと、透のこと、後輩のこと、三年間のこと、これから始まること——どれも、今日のひと言として置きたい言葉だった。けれど、どれも、ここで全部口に出すには、似合わない気がした。
日和は、選び抜いて、短く言った。
「——準備の期間が、今日で終わったな、と」
日和の決意。その雰囲気に会場の空気が、わずかに、ふっと静まった。
「これからは、自分の足で、自分の責任で、歩いていく日々が始まると思います。怖くないかと言われたら、嘘になりますけど——隣に、ちゃんと、一緒に歩いてくれる仲間がいるので、大丈夫です」
短いけれど、芯のある言葉だった。
日和自身、口にしながら、その言葉を自分でもう一度受け取り直した気がした。
学校側のスタッフが、頷いて、「これにて、質疑応答を終了いたします」と告げる。
拍手が起こる。
日和たちは、メディア対応を終えて部屋から退出した。
***
取材が行われた教室を離れた六人は、いったん本校舎の方へ戻る。
渡り廊下の窓越しに、グラウンドの方からまだ報道陣のざわめきが微かに届いてくる。陽は南へ少し傾いて、廊下の床に窓枠の影をくっきり落としていた。
六人で並んで本校舎の昇降口を抜け、廊下を曲がる。
活動室前の廊下に出た瞬間——日和は、足を止めかけた。
廊下の奥、活動室の入口あたりから、その手前の壁際まで。
後輩たちが、並んで待っていた。
ぱっと見ただけでも、二十人を超える。一年生らしい顔と二年生らしい顔が混じっていて、男子も女子も同じくらい。普段の活動時間ではないのに、皆、揃って制服姿で、活動室の周りを取り囲むようにして立っていた。
後輩たちの中の一人、一年生の女子が最初に気づいた。
「——朝倉先輩!」
日和の名を呼ぶ声。その声をきっかけに、廊下の空気が一気にひらいた。
他の後輩たちが、振り向き、立ち上がり、こちらへ向き直り、それから、一斉に近づいてくる。一人、二人と先頭が崩れて、その後ろの群れがゆっくりと押し出されてくる。日和の他メンバーの名前も順番に呼ばれる。
一年生の女子が、日和を真正面から見上げて、口を開いた瞬間に、ぽろりと一粒、頬を滑り落とした。
「先輩……っ、卒業、おめでとう、ございますっ……」
日和は、一拍だけ言葉を選んで、それから、できるだけ柔らかい声で返した。
「うん。ありがとう」
「先輩が学校からいなくなるの、嫌だし、寂しいけれど見送ります!」
その隣に立っていた別の後輩。二年生の女子が、おずおずと、続いた。
「あの、先輩」
「うん」
「もう……本当に、学校で会えなく、なるんですよね……」
「うん。でも、もしかしたら指導官として呼ばれるかも? そしたらまた、学校には来るから」
「先輩! 私、先輩から教えてもらったこと絶対に忘れません! ちゃんと頑張って強くなります!」
「うん。私たち、卒業してもちゃんとこの街にはいるし、みんなが連絡してくれたら、いつでも返すよ。遠慮なく、連絡してくれていいから」
「……はい」
目の前の輪が、もう一段、広がる。
一人、また一人と、後輩が言葉を重ねていく。
「先輩に、最初の隊列指示、教わったの、ちゃんと覚えて活用してます!」
「合同訓練で、私が転んだとき、すぐ駆け寄ってくれて」
「課題のレポート、見てくださって、ありがとうございました」
「夏の合宿のとき、私の班に入ってくれて、めちゃくちゃ嬉しかったです」
日和は、後輩たちの気持ちがこもった言葉ひとつひとつに頷きながら、応えた。
「先輩」
「うん」
「私、先輩みたいに、強くなります!」
まっすぐな声だった。
涙を堪えながら、しかし目線だけは逸らさずに、ちゃんと決意を示す。日和の目を見てそう告げた。
その瞬間、隣の後輩も、後ろの後輩も、次々と続いた。
「私も。朝倉先輩を目標にして、頑張ります」
「今度は、私たちが、後輩を引っ張ります」
「先輩が三年間でやってきたこと、ちゃんと私たちが受け継ぎます!」
ひとつ、またひとつ。
決意の声が、波のように、日和の前に重なっていく。
日和は、一度ゆっくりと息を整えてから、できるだけ落ち着いた声で言った。
「うん。みんななら、できるよ」
「……」
目の前の後輩たちが、こくこくと同時に頷いていた。
涙を浮かべたままの子も、まだ口元を固く結んでいる子も、皆、その頷きだけは、ちゃんと自分の動きで返してくれた。
日和は、その様子をしばらく眺めて、それから、視線を廊下の他の場所へ向けた。
廊下のあちこちで、自分と同じような後輩たちの円が、いくつもできていた。
美月の周りにも、後輩女子が寄り集まっていた。
その中の一人が涙を流しながらも、はっきりとした声の言葉が聞こえてくる。
「美月先輩、優しかったです……ずっと優しくて……」
「ありがとう」
美月は、ほんの少しだけ膝を曲げて目線を下げて、その子と視線を合わせていた。指先で、その子の二の腕の少し下のあたりを、軽くひと撫でする。
「大丈夫。これからも、頑張ろうね」
「はい……」
「私は今日卒業するけれど、急にいなくなるわけじゃないからね。困ったら、ちゃんと連絡してきていいから」
「……はい」
もう一人の後輩の肩にも、美月は同じように手を置いて、同じ言葉を繰り返した。一人ひとり、ちゃんと、別の人として扱う触れ方。
その美月の少し後ろ、廊下の柱の脇——すずなの周りにも、後輩が集まっていた。
寡黙なすずなの周囲に、五、六人。男子も女子も混ざっている。普段から目立つ立ち位置ではないすずなが、実はこれだけの後輩たちに慕われていた——というのが、可視化された瞬間だった。
その中の女子の一人が、すずなの前で、ぼそぼそと——しかし、ちゃんと自分の言葉で——告げていた。
「すずな先輩」
「……うん」
「私、刀を、始めようと思ってます」
「……」
「先輩みたいに……なれるか、わからないですけど」
すずなは、しばらく、何も言わなかった。
いつも通り、口を半分開けかけて、閉じて——けれど今度は、ちゃんと、後輩の目を見ていた。視線を、逸らさなかった。
それから、短く頷いた。
「……うん」
「……」
「頑張って」
短い応援の言葉。だけど、その後輩の心には、しっかりと届いた。後輩は、深く、深く、頷いた。
廊下の反対側に視線を流す。
昇降口寄りの少し広いスペース——そこには、男子組三人が立っていた。
伊吹の周りが、いちばん人数が多い。
男子の後輩が、ぐるりと伊吹を囲むように円を作っていた。真っ向勝負型の伊吹は、こういう熱量の伝わり方をする後輩男子からの人気が高いようだ。
「伊吹先輩!」
「おう」
「卒業しても、たまには学校に手合わせ来てくださいよ!」
「もちろん来てやるから、いつでも挑戦してこい。受けて立つ」
即答。
伊吹は、両手を腰に当てて、いつものストレートな声で答えた。
後輩男子たちが、苦笑しながらも、満足そうに頷いている。
その隣——神崎の周りには、もう少し落ち着いたタイプの後輩男子が輪を作っていた。
「神崎先輩」
「ん」
「戦闘ログのまとめ方、教わった通りやってます」
「テンプレ、最新版にしたか」
「はい。先輩が共有してくださった様式の、二回目改訂版で」
そんな会話を続けている。
その更に隣、東郷の周りには、リーダー候補と思しき後輩男子が集まっていた。
「東郷先輩」
「ん」
「チームのまとめ方、先輩から学んだことを、ちゃんと活かしていきたいです」
「うん」
「俺、今のチームで、後衛全体の指示、任されることになって」
「ああ、聞いた」
「うまく、できるか、ちょっと不安で」
東郷は迷いなく頷いて、それから、いつも通りの声で言った。
「焦るな。ゆっくりでいい」
「……はい」
「最初から完璧にやろうとすると、必ずどこかで詰まる。今のお前なら、半分でも回せれば、それで十分だろう。残りの半分は、半年かけて埋めればいい」
「半年、ですか」
「半年あれば、十分動ける形になる」
東郷の声には、励まし、というよりは、見通しを示す温度があった。
後輩男子が、ふっと、肩の力を抜いた。
日和は、廊下のあちこちで起こっているそれらの場面を、ぐるりと一度、視界に収めた。
あちこちで、慕ってくれる後輩たちの円ができている。
それぞれが先輩として、それぞれの形で、後輩たちと別れの挨拶を交わす。伊吹は熱量で、神崎は技術の継承で、東郷は準備や見通しで、美月は穏やかな安心で、すずなは気持ちを込めた応援で。それから日和も。
みんな、それぞれの形で後輩たちに何かを残していった。
***
後輩との挨拶を終えて、今日はもう解散となる。それぞれの家族と合流して、帰宅することになった。
「じゃあ」
「うん」
「また、来週な」
「うん、また」
「お疲れさま」
「お疲れさま」
短い別れの挨拶になった。
大袈裟な握手も、抱擁もなかった。学校は卒業したけれど、探索士の活動をするのだから月曜にまた集まる、ということ。いつもの解散の温度で別れることができた。
日和は母親の陽子と合流して、自宅のアパートに帰宅した。




