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第57話 最奥の気配

 外の光が、背中で途切れた。


 乾いた砂と日差しの匂いを、入口の一歩手前で完全に置いてくる。代わりに透の肌へ触れてきたのは、ひんやりとした岩の匂いと、奥に沈んだ静けさだった。


 暗がりが奥へ向かって続いていた。天井までの高さは、外から見た口の印象よりも、ずっと高い。


 感じる空気の質が、ダンジョン内に入った瞬間から変わっていた。


 日本のダンジョンとも、自分が毎晩通っている異空間のものとも、やっぱり違う。けれど、根っこにある手触りは同じだった。空間がほんの少しだけ歪んでいる、皮膚の奥がじわりと粟立つ、あの違和感。


 透は走り続けたまま、意識を奥へと向けた。


 気配を察知するために。


 自分の体を使って裏付けを取る感覚。耳でも目でもなく、肌のさらに内側で感じ取る。その感じ取った情報から、世界の輪郭を捉える。


 手応えが、感覚で踏み込んで一拍も置かないうちに、はっきりと返ってきた。


 遠くに強い人間の気配がある。


 ダンジョンの深い場所——音も、光も、たぶん届かないだろう距離の向こうから、ひとつの気配が確かな密度で感じ取れた。


 透がこれまでに感じてきたあらゆる強者とは、明らかに別の格を持っている。政府が紹介してくれた日本のトップ層とも、一握りの実力者たちとも、まるで違う。


 これが、アメリカのナンバーワン——間違いなく、そうだ。


 会ったことはない人間の存在が、気配の手応えだけで、頭の中にぴたりと収まる。

その気配を察知すると同時に、透はそれを確信した。


 ——まだ生きている。


 感じ取ったのは、弱っている気配ではない。途切れそうな気配でもない。むしろ、こんな状況のなかでなお、確かな密度で立ち続けている気配だ。剣を握り、足を踏ん張り、戦っている——そういう種類の気配が、遠くから真っ直ぐに伝わってきた。


 希望はある。


 透は、そう短く心の中で頷いた。


 最悪の想定は、外してよさそうだ。


 ただし。


 強い気配の周りに、別の大きな気配も感じ取っていた。こっちは、人間のものではない。透も、よく知っている。強力なモンスターの異質な気配。


 時間との勝負ということが、はっきりした。急がなければ。


 全体の見通しは、まだ立たない。中で何が起きたのか。なぜ今も戦っているのか。それらは、近づいてからでないと確認できない。


 今ここで掴めるものは、最低限の情報だけ。


 この奥にナンバーワンがいる。生きている。今も戦っている。


 肺の奥まで、ダンジョンの冷気が滑り込んでくる。透にとっては、馴染みのある種類の冷たさだった。毎晩のように味わってきた、あの空気の温度。場所が変わっても、根っこの感触は変わらない。


 どんどん加速していく。あの気配に近づくため、最短距離を突き進んでいく。


 透の足は一度も止まることなく、奥の暗がりへ向けて、滑らかに速度を上げ続けた。



***



 前方の暗がりの奥で、空気が小さく波打ったのを透は感じ取った。


 モンスターの気配だ。けれど、目的の気配まではまだ遠い。


 透は、足を止めずに走り続ける。


 立ち塞がろうとするモンスターが、暗がりから滲み出るように姿を見せた瞬間——透の足は、気にもせずに次の一歩を踏み出していた。


 走りながら武器を抜く動作と、最初の一振りが、ほぼ同時に起こった。手首を返した一回の動きで、最初の一匹が音もなく崩れ落ちる。続く二匹目が反応をする前に、すれ違いざまの返しで斬りつける。


 倒した相手を振り返って確認する間も置かない。必要ないから。


 残った魔石が背後で転がる音を、透の耳は拾ったが、足は止めなかった。回収など不要だ。今は奥へ向かうことが最優先。


 武器を鞘に滑り込ませる手だけを動かして、視線はずっと前を向いていた。


 散発的なモンスターの湧きは、その後も何度か続いた。


 二匹、三匹、今度は一匹。


 立ちふさがる敵を、透は走り抜けながら処理し続けた。立ち止まる時間すら、惜しい。武器を抜いて、振って、納める——その一連の動作の前後で、足の運びは止まらない。


 奥へ進むにつれて、透の感じ取っている気配の強さが、より大きくなっていく。それだけでないことも察知した。


 最初は、ただひとつの強い気配があるだけだった。いま、その輪郭の中には、別の存在を感じ取り始めていた。


 いまにも消えそう、と言うほどではないが、それでも、弱っている様子。たぶん、十名にも満たない数。地面に倒れていたり、座り込んでいたり——とにかく、まともに動ける状態ではない人間の気配が、強い一つの周りに寄り集まっている。


 強い気配の人間が、それらを背中に庇って立っている。位置の関係が、はっきりとそう告げていた。


 なるほど、彼らを守って戦い続けているのか。


 透の頭の中で、彼らの状況の絵が一段だけ解像度を上げる。


 気配の表面にある、特有の張り。攻撃と防御を切れ目なく繰り返している人間の、息の詰まり方。敵を倒そうと、武器を振り続けている人間の気配。それらが、奥から真っ直ぐに伝わってくる。


 守るべきものを背中に背負ったままの戦闘は、消耗が桁違いに早なりそうだ。自分の戦い方のスタイルも、敵に対する踏み込みの角度も、攻撃と防御の選択も——全部、後ろに気を配るぶんだけ制約が掛かる。一人で戦う何倍も、体力と集中力を削られるだろう。


 ソロで戦ってきた透だが、それぐらいの想像はできる。そして、その厳しさも。



***



 通路の角を、もう一つ抜けた。


 籠もったような、けれど広い空間特有の反響。岩肌に跳ね返って、何度も折り重なった音が、透の耳にまで届いてくる。


 金属が岩を叩く音。剣が肉の手応えのある何かを断つ音。


 咆哮、地響き、そして、人間たちの呼吸、荒い擦過音。


 通路の出口の向こうが、ぼんやりと明るかった。岩肌に埋め込まれた発光体が、それまでよりも密度を増している。そこが、ダンジョンの中の広間に当たることが、足を踏み入れる前から分かった。


 透の靴底が、何か硬いものを踏みかけて、わずかに角度をずらす。


 魔石だった。


 通路の手前から、地面に散らばっている。ひとつ、ふたつではない。光の粒が、点々と続いていて、その先の広間の方へと、まるで道しるべのように敷き詰められていた。


 これだけ大量の魔石が落ちている。どれほどの数を倒してきたのか。それだけ戦い続けているということか。その問いは、頭の中で立ち上がる前に消えた。今はそれを確かめる場面ではない。


 透は、通路の口を抜けた。視界が一気に広がる。


 天井の高い、円形に近い広間だった。発光体の光が壁面のあちこちに散らばって、その薄明かりの中に輪郭のはっきりとした影が、いくつも蠢いていた。


 超巨大なモンスター。


 それが複数。片手では足りない。


 大きいもの、それより一回り小さいもの、地を這うもの、二本足で立ち上がるもの。同じ種類ではなさそうな個体が、入り乱れるように広間の中央付近を埋めていた。戦いの気配を察知して、今もモンスターが殺到している。


 その群れの只中に、一人の男が立っていた。


 長身の影。


 ひと振りの剣を、片手に握っている。もう片方には、鉄製の盾を構えている。


 装備は、明らかに使い込まれていた。胸当ての縁に複数の傷。肩当ての一部は欠け、表面の塗装は剥げ落ちている。盾もボロボロ。それでもなお、その装備が本来「上等な代物」であったことだけは、形の整い方で透にも分かった。


 男の肩が、激しく上下している。息が、明らかに荒い。それでも、その荒さは、剣の振りに乗り移っていなかった。剣筋は、まだ崩れていない。


 彼の背後——広間の岩壁を背にした位置に、人の集まりがあった。


 地面に伏している者、座り込んでいる者、辛うじて壁にもたれて顔を上げている者。十人強。装備の様子から、全員が探索士であることは、すぐに知れた。


 多くの負傷者たち。男は、その全員を背中に庇うように、半円を描く位置を取って剣を振っていた。一歩も、後ろへは下がらない。前のモンスターを一体捌ききると、すぐに横の一体へ剣先を向け直す。一秒の油断もない、徹底した防衛の構えだった。


 敵は絶対に通させない、という意志が、立ち姿の全部に表れていた。


 透の足は、止まらなかった。通路の出口を抜けた勢いのまま広間の中へ、そのまま踏み込んだ。


 男が、剣を一振り抜いた、その振り切りの軌道の途中で——視界の端に、自分とは違う動く影を捉えただろう。


 はっと、負傷者を守って戦っていた彼の肩が反応する。


 息を呑む音が、遠目にもわかった。


 彼の頭が、ほんの一瞬、こちらへ向く。意識は敵に向けたまま。剣を握ったままの姿勢で、振り抜いた勢いを殺さずに、上体だけが透の方を向いた。


 目の中に、明らかな驚愕。


 乱戦のなかで、明らかに想定外のものを見た、という顔だった。


「You——!?(君は——!?)」


 声は、剣の振りと同時に絞り出されていた。次の一体へ剣先を返す動作の、わずかな合間に押し込んだ一言だった。短く、鋭く、けれど隠しきれない驚きの色。そして、僅かな希望も。もしかして。


 彼に近づきながら、透も武器を手に取る。近くに立っていたモンスター、側面から彼の死角に回り込もうとしていた一体へ、動きの流れのまま体の向きを合わせ始めていた。


 言葉も、短く返す。


「Here to help!(助けに来た!)」


 透はあっという間に敵を一体倒しながら、彼に視線を向けて言葉を投げた。


 男の目が、ほんの一拍、瞬く。


 その一拍だけで、男はすべてを理解してくれたらしい。


 誰なのか、どこから来たのか、どういう経路で許可が下りて、ここまで辿り着いたのか。その種の問いを、彼は一切挟まなかった。挟む必要を感じていなかったみたいだ。


 そんな状況だからこその、最短の通じ合いだった。


 自分と同じ側の人間が、戦力として駆けつけてくれた。それが誰なのか。今、確認すべきことではない。今はただ、生き残るために。


 彼は、即座に、必要なことだけを言った。


「OK. Help me kill these guys.(わかった。コイツラを倒すのを手伝ってくれ)」


 自己紹介、なし。


 状況確認、なし。


 手順の打ち合わせも、互いの能力の擦り合わせも、なし。


 いま、必要なことだけ。


 話が早くて助かる、と素直に思った。さすがはアメリカのナンバーワンと言われている人物。


 頷きの代わりに、透は最初の一歩を、すでに次の敵に向かって踏み出していた。


 即席で協力することになった男の死角を狙っていた個体に対して、透はまっすぐ武器を向ける。低い位置から斜めへ振り上げる。


 返事は言葉にしない。透の動きが、手伝ってくれと求めてきた彼に対する返答だった。

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