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第51話 地方を巡って

 車窓の景色が、少しずつ田んぼと山の比率を増していく。


 専用車のシートに身を預けたまま、凪原透は流れていく外をぼんやりと眺めていた。出発してから、もう何時間が経っただろう。眠ろうと思えば眠れる距離だったが、仕事とはいえ久しぶりの遠出なので窓から見える景色の変化を楽しんだ。


「凪原さん、まもなく到着です」


 運転手が教えてくれた。


「了解です」


 短く返して、透は背筋を伸ばした。


 古い商店街の一角、商工会と農協と年季の入った定食屋に挟まれて、三階建てのこぢんまりした建物がぽつんと立っている。外壁にかけられた銘板の文字は、探索士協会地方支部、とだけ控えめに記されていた。本部のように立派な看板も、警備員の姿もない。何度か通り過ぎても気づかなさそうなくらい、町並みにすっかり馴染んでいる。


 ——なるほど、現場はこういう感じか。


 車を降りた瞬間、透は猛スピードで接近してくる気配を察知する。その建物の自動ドアの内側からほとんど駆け足で人が二人、転がるように出てきた。


「探索士の凪原さん、ですねっ! わざわざこんな遠くまで、本当に、本当にありがとうございます!」


 深々と頭を下げてきたのは、四十代ぐらいの少しくたびれた男性だった。


「協会長の田所と申します。こちら、調査担当の佐々木です」


 紹介された若い職員も、寸分の遅れもなく九十度のお辞儀を返してくる。


「お、お疲れさまですっ……!」


「いえ。こちらこそ、お出迎えありがとうございます」


 言いながら自分の方も軽く頭を下げると、相手の二人は慌てたように姿勢を戻し、また下げ直そうとする。


 頭の上下運動が三往復ほど続いたあとで、田所がようやく我に返ったように、こちらへどうぞ、と建物の中へ案内してくれた。


 通された会議室は、案の定、こぢんまりとしていた。長机が一つに、パイプ椅子が数脚。窓を背にして座った透の前に、田所が依頼書の束を緊張した手つきで広げる。


「ええっと、こちらが今回、凪原さんにお願いしたい案件の一覧でして……」


 ページをめくる指先が、どこかぎこちない。


「優先順位は上から順に並べてあります。ただ、もしご都合やお時間の問題がありましたら、遠慮なくおっしゃってください。あくまで、その、ご相談ということで……」


 言葉の運びに、透はわずかに目を細めた。


 何らかの指針が下りてきているらしい。命令ではなく相談として受ける——以前、自分が話し合いの場で示した方針が、こうして末端の支部にまできちんと共有されているようだ。


「ありがとうございます。拝見します」


 依頼書を受け取って、ざっと目を通す。


 調査の進んでいないダンジョンの構造把握、モンスターの駆除、魔石の回収、住民からも不安の声が上がっているダンジョンの確認。どれも本来であれば地元の探索士たちで回せそうな種類の仕事。だが、ページの端には「対応保留」「人員調整中」と書き込まれた付箋が大量に貼られていた。


「人手は、足りていない感じですか?」


 顔を上げずに、透はぽつりと尋ねた。


 田所と佐々木が、一瞬、顔を見合わせる。


「ええ。お恥ずかしい話、その通りでして……」


 田所が、苦笑いに似た表情を浮かべながら補足の情報を教えてくれた。


「うちの管轄の探索士さんは、皆さん本当に優秀なんですが、いかんせん絶対数が少なくて。新しく発見されたダンジョンの調査までは、どうしても手が回らないんです。攻略を進めたいと情報の問い合わせをいただいても、協会では出せる情報がなくて困っている状況でして……」


 言葉尻が、申し訳なさそうに沈む。


 地方には地方の事情がある。事前に聞いていたけれど、こうして目の前にされると資料越しに見ていたものとは、やはり手触りが違った。人手不足は深刻そうであり、後回しにされてきた区画に、不安を抱えたままの住民がいて、対処したくてもできない状況があるという。


 透は、依頼書の端に貼られた付箋に視線を落としたまま、軽く頷いた。


「わかりました。順番に、時間のある限りこなしていきます」


 ことさら身構えない、いつも通りの声色で、それだけを返す。


 田所と佐々木が、また同時に頭を下げた。さっきよりも、深々とした角度で。


「よろしくお願いします……!」


 ——ちょっと、集中してやってみようか。


 透は依頼書の束を、ペースを上げて読み込んでいった。



***



 最初の依頼は、山間部にあるダンジョンだった。


 地元の探索士が二度ほど入口付近まで踏み込んで調査を行ったが、そこから先には手が回っていない、という代物。透は単独で潜り、三時間ほどかけて全フロアを記録して、発見したモンスターを通りがかりに駆除し、魔石を回収して戻ってきた。


 協会の小さな受付に成果物を並べると、佐々木が手にしていた記録用の集計表を、二度三度、ぱちぱちと瞬きしながら見直した。


「えっと……、これ、本当に、その、一度の攻略で得た量で合ってますか? まだ、半日も過ぎていないはずですが」


「合っていますよ。指示されたダンジョンの調査を行いながら、ついでに持ち帰った成果です」


「合っている、のですか……」


 復唱した佐々木の声が、半分どこか別の世界へ行きかけていた。


 報告書の様式は、透の知っているものとは少し違っていた。地域ごとで違うのか。モンスター駆除欄が異様に細かくて、海沿いの支部は採取物の重量を一グラム単位で書かせ、別の支部では現地住民からの目撃情報の聞き取り欄が一ページ丸ごと用意されている。書式の癖を毎回、改めて読み解くのが地味に時間を食った。


 ——ええっと、どこの欄に書けばいいんだ、これ。


 ペンを握ったまま、何度かそう思った。ダンジョンの調査よりも、報告書の作成に時間が必要になるかもしれない。とにかく、書き込んで完成させる。


 次は、海沿いのダンジョンに向かった。


 潮風で湿った崖の隙間に口を開けたそこは、湿度が高く、内部の岩肌にびっしりと苔のような薄い藻が広がっている。出てくるモンスターも独特で、地元では古い漁師言葉から取った「シオヒトデ」「ナガレオオウオ」といった呼び名で呼ばれていた。協会の正式分類名とはまるで違う名前で、依頼書と図鑑を行ったり来たりさせる必要がある。


 ——シオヒトデ、というのはつまり、こいつのことでいいのか。


 事前に配布された手書きの一覧表を見ながら、透は静かに首をかしげた。確認しないと分からない名前というのは、その土地の人たちが向き合ってきた証拠なんだろうけれど、困るな。


 駆除と並行して、生態調査の依頼も束ねて処理した。気配を消して観察し、行動パターンを書き留め、巣穴の構造を見て回り、ついでに必要な素材を回収する。この情報を周知すれば、地元で活動する探索士も助かるはず。


 その日の作業を終えて、翌日。


 過疎地域近郊のダンジョンに向かう。


 「対応保留」の付箋がついたまま、一年近く放置されていた区画。地元の住民からは、月に何度かモンスターが溢れ出てきて畑を荒らす、という訴えが上がっていたという。


 透は淡々と潜り、淡々と片付け、淡々と戻った。


 見学に来ていた駐在所の老警官に、農協の役員に、近くに住んでいるという老婆に、それぞれ「もう大丈夫です」と短く伝えると、三人とも一拍置いてから、深々と頭を下げてきた。


 老婆の方は、ありがとうね、ありがとうねえ、と何度も繰り返した。


 何箇所か回るうちに、透はふと思い至る。


 自分が普段活動している協会は中部地方にあるのだが、こうして比較してみると、あちらは思っていた以上に栄えていた方だったのだろう。本部に近いぶんだけ人手も施設も整っており、新しいダンジョンが見つかればそれなりに調査の手も回る。当たり前のように受け取ってきた環境は、よくよく考えれば、ずいぶんと恵まれた部類だったらしい。


 ——地方によっては、ここまで人手が薄い場所もあるのか。


 同じ国の中の話のはずなのに、土地ごとの手触りはずいぶん違う。資料越しに見ていたものと自分の足で立っている現場との距離を、透は静かに測り直した。




***




 他の県にも移動して、そこで問題を処理していく。すると、出迎えの空気が、どんどん過剰に変わっていく。ある県を訪れたときには、協会の入口に職員が五、六人ずらりと並んで待っていた。


 先に回った隣県の支部から、なにやら申し送りが届いていたらしい。


「凪原さん、お噂はかねがね……!」


「いやもう、本当に、来てくださるのを心待ちにしていまして」


 ダンジョンに潜って、片付けて、戻って、報告する。それを繰り返しているだけだったのに、地方の協会員たちの目には、それが少し違うものに映り始めているらしかった。


 仕事は迅速、持ち帰る情報は正確、提出される魔石は地方の通常規模ではちょっと考えられない量。一連の処理を一週間ほど繰り返すと、その地域で「凪原氏が来てくれて、本当に助かった」という呟きが、半ば挨拶のように交わされるようになった。


 ある日の聞き取り調査の途中、畑仕事の手を止めた老人が、両手を合わせて拝むようにこちらを見てきた。


「もう、神様ですわ、あんたは。神様」


 言葉を返す前に、隣にいた地元の駐在員までうんうんと頷いている。


 ——いや、神様は、さすがに。


 透は、内心で軽く息を呑んだ。まさか神様認定されるなんて。


「いえ、仕事ですから」


 短く、しかしどこか棒読みに近い声色で、返事をする。否定の角度が固すぎても、相手の感謝を切ってしまう気がして、加減が地味に難しかった。


 帰り際、専用車の後部座席に乗り込むときには、見送りに出てきた協会員たちの頭の下げ方が、最初の地域とは比べ物にならないくらい深くなっていた。腰から先がほとんど直角に折れている。窓の外で、ずっとその姿勢のまま動かない。


 車は、また次の県へと走り出した。



***



 その日の仕事を終えた頃には、もう日が落ちかけていた。


 訪れていたのは、山と川に挟まれた、こぢんまりとした城下町だ。協会支部の二階で簡単な報告を済ませたところで、田所のような立場——この地域の協会長らしい初老の男性が、いつになく真面目な顔で頭を下げてきた。


「凪原さん、もしよろしければ、今夜ささやかな席を用意させていただきたく」


 地元の料理屋を、地方で活動している探索士たちと一緒に押さえてあるのだという。こういうのにも参加しないといけないだろうな。


 それに地方を回るからには、その地で動いている探索士たちと顔を合わせておくのは、純粋に仕事として必要だと考えていた。


「ありがとうございます。お言葉に甘えます」


 参加すると伝えると、協会長は、ほっとした顔で目尻を緩めた。


 連れて行かれた店は、川沿いの古い民家を改装した造りで、座敷の一番奥に、こちらに向けて空けられた席が一つ。逆側にずらりと並んだのは、土地の協会員と、地方探索士たち。十人ほどの顔ぶれが、揃って透の方を見ていた。


「えー、本日は、凪原透さんが、遠いところ、本当にありがとうございます……」


 協会長の挨拶は途中で早くも詰まり、咳払いと共にどうにか乾杯まで漕ぎ着けた。


「では、いただきます」


 透がいつも通りの調子で杯を口に運ぶと、向かいの席で、地方探索士の一人——三十がらみの大柄な男性が、なぜかきっちり正座で固まっていた。


 ——いや、座敷でも、そこまできっちりしなくても。


「あ、足は崩しても大丈夫ですよ。気を遣わせてしまってすみません」


 なるべく柔らかい声で言うと、大柄な男性は、はっ、と弾かれたように顔を上げ、ぎこちなく胡坐に組み直した。隣にいた女性の探索士が、ぷっと小さく噴き出して、空気が一段、ふっと緩む。


 料理は、地元の山菜と川魚を中心とした、土地の色がしっかり出た膳だった。中ほどに、得体の知れない真っ黒な煮こごりのようなものが鎮座している。


「あ、それですか、それ。この辺の名物で、まあ、見た目はあれなんですが、味は美味いんで、ぜひ」


 協会長が、嬉しそうに勧めてくる。透は、いただきます、と一礼して、ひと切れ口に運んだ。


 ……確かに、見慣れない料理だけど、しっかり味は美味しかった。


 杯が二、三巡したあたりから、向かいの探索士たちが、少しずつ口を開き始めた。


 地元生まれで地元育ち、都市部の協会で稼ぐ道を選ばずにこの土地に残った若手。ダンジョンが現れたときに活動を始めて、長くこの地域のダンジョンを回してきたベテラン。本職は林業で、必要なときだけ探索士として現場に入る兼業の男性。


 話の合間に、皆、自分たちの暮らしぶりを少しずつ漏らした。冬場の依頼の波、地域の集落との距離感、何かあると駐在所と協会と消防が一緒くたに動く独特の連携。


 透は口を挟まずに、ただ静かに彼らの話を聞いていた。聞いていると、向こうの方から話を広げてくれる。自分の話は、訊かれた分だけ、当たり障りのない範囲で短く返す。


 地方の暮らしには、地方独特の論理がある。外から見ているだけでは見えてこない、地に足のついた事情があった。


 ——なるほど、こういう人たちが地方で活動しているのか。


 宴も終わりに近づいた頃、最初に正座で固まっていた大柄な男性が、すっかり酒の入った赤い顔で、徳利を手にこちらへやってきた。


「凪原さん。また、こっちに活動しに来てくれよ。あんたにしか処理できない仕事が、たんまりあるんだから。お願いしますね」


 言葉は、ずいぶん砕けたものになっていた。


 透は、一拍だけ間を置いてから、短く返した。


「もちろん。時間を作って、来ますよ」


 そう言うと、男性は満足げに何度も頷いて、自分の席へよろよろ戻っていった。


 顔見知りが、また一つ増えたな。


 点と点が、こうして少しずつ、線になっていく。仕事のための関係ではあるけど、その広がり方は自分でも思っていた以上に、悪い気のしないものだった。


 窓の外、川面に、町の灯りが小さく揺れていた。



***



 宴席の終盤、酒で頬を緩めた地方探索士たちが、思い思いに雑談を広げているところへ、透はさりげなく一つ問いを投げかけた。


「この辺で、中央には出ていかないのに、実は凄腕っていう人、いたりしますか」


 ごく軽い口ぶりで、世間話の続きのような形に。


 政府から渡されている、もう一つの任務だった。自分のように実力を隠して活動している者、あるいは資格を持たずに同等の力を持つ者がいないか、情報を拾う——接触禁止、発見次第報告のみ、という条件付きの「ついで」だ。


 探索士たちは、ふむ、と一拍考えた。


「いやー、それらしい話なら、まあ、たまにあるんですけどねぇ」


「ここって人がいないんで、実力ありそうな人材がいれば助かるんで常に調査はしているんですが、やっぱりなかなか上手くいきませんよね」


「あの山の奥に、誰も見たことないけど、夜にモンスターだけがどんどん減ってる区画があるって話とか」


「いやいや、あれはモンスター同士の縄張り争いじゃないのか、っていう説もある」


 話は、それなりに広がりはした。けれど深掘りしていくと、結局は「ただ顔の広い探索士」だったり、「定年退職した元自衛官」だったり、「噂が一人歩きしたローカル伝説」だったりして、自分と同格と呼べる手応えのある話は、最後まで出てこなかった。


 結局、今回も確かな手がかりは何一つ集まらなかった。


 本音を言えば、自分と同じような存在がいるのかどうか、透自身も半信半疑だった。それでも、もし隠れているのなら、無理に暴き出したりせず、そのままにしておいたほうがいいとは思う。自分がそうだったように、何かのきっかけで表に出てくる日が来るのなら、そのときは全力で手助けする。それで充分だと思っていた。


 なので、積極的に探し出そうとは考えていない。透の活動のメインは、あくまでこの地域のダンジョン問題解決だ。「ついで」は、ついでの域を出ない。それで構わなかった。


 もう一つの「ついで」は、宴の後、宿に戻る車中で、ふと思い出すように頭の中で転がす類のものだった。


 各地のダンジョンを潜るたびに、透はこっそり比較していた。フロアの構造、モンスターの傾向、ドロップする素材の性質、空気の重さ、壁の手触り——自分が長年、毎晩一人で潜り続けている、あの終わらない異空間ダンジョンと、何か共通する情報を掴めないか。


 結論から言えば、こちらに関しても何も見つかってはいない。


 驚くほどに、関連性らしきものが見当たらない。こちらのダンジョンは、こちらのダンジョンとして、ごく自然な顔をしてそこにあった。あちらは、相変わらず、あちらにしかない景色を見せ続けている。


 ——やっぱり、俺の特殊な現象は、俺だけの話なのかもしれない。


 宿泊施設へ向かっている車の窓から見える夜の景色。それを眺めながら、透はぼんやりそう思った。


 これからも諦めはしない。ただ、急いでもいない。気の長い話になるだろうな、と結論づける。たぶん、こちらで何かを見つけて答えが出る種類の問いではないのだろう、という感覚だけが濃くなった。


 二つの「ついで」を、頭の隅で軽く畳んでしまうと、透はシートに体を預け直した。


 窓の外、街灯がぽつ、ぽつ、と途切れがちに後ろへ流れていった。


 車が止まったのは、しっとりと灯りを落とした、いかにも老舗らしい構えの旅館の前だった。


 移動に使っている専用車と同じく、宿泊先までずいぶん気を配って手配されているらしい。それだけ自分の活躍を期待されている、ということなのだろうと、政府の考えがうっすらと透けて見える。


 手入れの行き届いた前庭、磨き込まれた廊下、玄関先で迎えてくれる女将のやわらかな所作——仕事の合間に一泊だけで通り過ぎるには、いささかもったいない造りだった。本来であれば、腰を据えて二泊三泊と味わうべき種類の宿だろう。


 ——また今度、日和と一緒に旅行で来てみるのも、いいかもしれないな。


 ふと、そんな考えが頭をよぎる。仕事を抜きにして、ゆっくり過ごせる時間が取れるようになったら、土産話の延長として連れて来てもいい。そう思える宿が、巡業の途中で一つ、また一つと頭の中に候補として加えていく。



***



 翌朝、専用車はまた、次の県へ向かって走り出した。


 透の乗る車のトランクルームには、紙袋が一つ、また一つと、ささやかに積み重なっている。前の地域で見つけた地元の銘菓、その前で買った染め物の小物、さらに前で頼まれて買い足したご当地の漬物。出張先で時間ができるたびに、一袋ずつ増やしている、日和への土産だった。


 表の任務は、順調と言っていい。秘密任務と個人調査の方は、相変わらず、手がかりは何一つ集まっていない。それでも、巡業はまだしばらく続く。


 仕事を終わらせて、早くあの場所に帰りたいな。


 車窓を流れる朝の田園を眺めながら、透は、ふっと小さく口の端を緩めた。


 アパートの方は、日和と陽子に任せてある。何かあれば、すぐにでも戻れる準備はしてある。戻る先で待ってくれている人がいる、というその一点だけが、巡業の足取りをずいぶん軽くしてくれていた。


 次の県の名前が道路標識の中に、まだ小さく見え始めた。

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