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第49話 出張準備

 席の向かい側で、渡辺が今回の報告書を確認しながら、苦笑とも呆れともつかない表情を浮かべていた。


「……凪原さん」


「どうしました?」


「本気で訊いてもいいですか」


「どうぞ」


「ちょっと、早すぎませんかね」


 淡々と返してきた渡辺の手元で、判を握る指がほんのわずかに止まっている。透は報告書の控えを揃え直しながら、軽く首を傾げた。


「要求通りだと思いますが」


「こちらの要求はそうなんですけど。……かなり無理を言ったつもりなのですが、これも難なくこなしてしまうのですねぇ。いえ、仕事が早いのはありがたいことなんですが」


 肩を落としつつも、渡辺は手慣れた所作で書類を仕分けていく。


 3ヶ月分として組まれていた案件らしいけれど、透は半月もかからずに終わらせた。本人としては、スケジュールを調節して他の用事もこなしつつ、空いた時間に片付けただけのつもりではある。


 渡辺は、これ以上の依頼は用意できないという。他の探索士の仕事を奪いかねないからと。


 ここ最近の依頼書には、本来なら別の探索士たちが取り組むはずだった案件が、ちらほら混じっている。難度が高めの案件は透の方が早く確実だから、と窓口側も自然と回してくる流れになりつつあった。


 とはいえ、流石に数が多くなりすぎているかもしれない。


 それは透の本意ではない。探索士は、依頼の数だけ稼ぎ、依頼の数だけ経験を積む。


 その機会や分け前を、必要以上に自分が持っていくのは違う。しばらくこの街で活動している者として、その線引きは守りたかった。


 それなら、しばらく探索士の活動はお休みかな。そんな事を考える透だったが、向かいに座る彼は、別のことを考えているらしい。


「凪原さん」


「はい」


「少し、相談したいことがあります」


 渡辺が改めて、そう申し出る。その言葉に、透は不思議そうに目を上げた。


「相談、ですか」


「はい。改めて、時間を取ってもらえると助かるのですが」


「……承知しました。こちらは、いつでも」


 その日の報告は終わり、次の依頼は引き受けずに会議は終了した。透はそれ以上は語らず、軽く会釈をして会議室を出た。



***



 数日後、改めて協会へ足を運ぶと、応接室にはすでに渡辺と、もう一人、別の男性が並んで座っていた。


 渡辺が「相談したい」と告げていた件について、随分と早く場が整ったらしい。


「お時間をいただき、ありがとうございます」


 まず切り出してきたのは、渡辺のほうだった。


「先にご紹介させてください。こちら、地方の依頼を取りまとめている、政府の担当の方です」


 渡辺の言葉を受けて、隣の男性が短く頭を下げる。生真面目な印象の男性だった。


「お忙しい中、お時間を頂戴し、恐縮です」


 透は短く「いえ」と返してから、勧められたソファに腰を下ろす。


 渡辺がお茶を出してくれる所作も、心なしか普段より丁寧だった。


「で、ご相談の件、というのは?」


 透が穏やかに水を向ける。すると渡辺は湯呑みを軽く脇に寄せて、率直に切り出した。


「凪原さんには、もう少し活動の範囲を広げてもらえないか、という相談です」


「と、おっしゃいますと」


「近場の依頼は、ほぼ消化し終わってしまった。このまま地元中心で受け続けると――」


 言葉を区切り、渡辺は透の顔を見つめながら言う。お願いという気持ちを込めて。


「地元の探索士の仕事を、奪いかねない」


 静かな声だった。声を張ったわけでもないのに、応接室の空気がほんのわずか引き締まる。


「実は、各地から、声が上がっておりまして」


 渡辺は続けた。


「凪原さんに見ていただきたい高難度ダンジョン、未確認のダンジョン構造、それから……長期化している調査案件。複数の地方協会から、相談という形で、上がってきております」


 隣の男性が、補足するように口を開いた。


「正直に申し上げれば、お声を掛けるタイミングを、こちらでも見計らっていたところでして」


「タイミング、ですか」


「ええ。全国を、というのは、さすがにご負担が大きいかもしれませんが」


 男性の言い回しは、言葉の一つひとつを慎重に選んでいる気配があった。命令ではなく相談として整える――その線を、本人なりに律儀に守ろうとしているのが伝わってくる。


「地方ですか。それだと、一日では終わりませんよね?」


「はい。そこは案件ごとに、柔軟にお願いできればと」


 申し訳なさそうに、渡辺が答えた。


「短いものであれば、数日ほど。腰を据える必要があるものは、数週間。無理に詰めることは、いたしません」


 その横で、男性も付け加えるように頷く。今までの近場での活動は半日もかからない程度の範囲だったが、地方の依頼を受けるとなれば、何日かにわたって拘束されることになる――そのあたりの前提を、改めて確認しておきたいのだろう。


「移動は、どうします?」


 透が詳細について問うと、渡辺がわずかに身を乗り出した。


「足は、こちらでご用意します」


「そちらで用意を?」


「ええ。凪原さんの専用車を、一台。それから、新幹線や航空便など、長距離の場合も全てこちらで手配する予定です」


 移動手段については、全て政府側で手配してくれるらしい。透自身が準備する必要は、ほとんどないようだった。


「依頼内容の優先順位は?」


「難度と緊急度で、こちらと協会で精査した順にお渡ししていきます。後回しにすべきもの、他の探索士にお願いするものは、これまで通り、ご判断にお任せします」


 その答えに、透はわずかに頷いた。命令ではなく、判断は本人に委ねる――繰り返し確認してきた線が、全国規模に拡張されても変わらず維持されている。


「あと一つ、確認しておきたいことがあります」


「はい」


「緊急時は、私の判断ですぐ戻れる許可を頂きたい」


 言葉を選びながら、透は続けた。譲れない一線として、ここだけは先に確かめておきたかった。


「こちらでの不測の事態――何かあったときに、出張先で動けないのは困るので」


「もちろんです」


 男性は即答だった。


「専用車での移動を前提に、各地方の協会にも、凪原さんの帰還を最優先で支援するよう、通達を回しておきます」


「では、それで」


 透は短く頷いた。話の本筋は、それで概ね片付いた。


 話し合いに応じていた二人が、目に見えて肩の力を抜く。書類を抱え直す手つきにも、ほんの少し余裕が戻っていた。


「ようやく、お願いできます」


 ぽろり、と男性の口から漏れたその一言には、生真面目な顔つきには似合わないほどの、率直な感触が滲んでいた。


 渡辺もまた、書類を整えながら、どこか嬉しそうに目元を緩めていた。


「凪原さんのために用意された専用車のこと、また改めてご案内しますよ。きっと、お気に召すかと」


「……ほどほどに頼みます」


 移動に使うだけだから、そんなに気合を入れたものは用意しなくても大丈夫なんだけど。そう思いながら透は短く返した。



***



 協会から戻ったその日の夕方、透は日和と彼女の母親である陽子に連絡をした。


 日和は学校帰り、陽子はちょうど仕事から戻ったばかりだったらしい。部屋に来ても大丈夫だと言われたので、向かった。部屋に招かれ、テーブルを挟んで二人と向かい合って座ると、陽子に淹れてもらったお茶が差し出された。


「急にお邪魔して、悪いですね」


「いえいえ! 透さんからお声をかけていただけるなら、いつでも」


 日和が真っ先にそう言うので、陽子のほうがやんわりと「日和」と窘めた。日和は小さく舌を出して、口元を引き締める。


「実は、探索士の仕事が一段落しましてね」


 透は静かに切り出した。


「ただ今後しばらくは、活動範囲を全国へ広げることになって」


 陽子の眉が、わずかに動いた。


「あら……それは、また、随分と大変そうですね」


「といっても、移動は協会で手配してくれるそうなので。依頼を受けた場合には短ければ数日、長ければ数週間。そういう単位で、ここを留守にすることが増えるかもしれないんです」


「ずっと、というわけではないんですね」


「もちろん」


 透は短く頷いた。


「管理人を辞めるわけじゃない。ただ、これまでみたいに、毎日きっちり目を配るのが難しい日が出てくる」


 話を聞いていた陽子は、静かに頷いた。日和のほうは、姿勢を正しすぎているくらい正している。


「それで、二人に頼みたいことがあって」


 透は二人を順に見た。


「俺がいない間、ちょっとした掃除や、設備の確認――そういうところを、お願いできないかと思いまして」


 日和の目が、ぱっと明るくなる。


「お任せ――」


「待った」


 陽子が短く窘めると、日和は中途半端に開いた口を、こてん、と閉じた。ちゃんと話を最後まで聞きなさい――母の眼差しが、静かにそう伝えている。透は内心で苦笑しながら、説明を続けた。


「メインの仕事や、学校の時間を割いてまでやらないでほしいかな」


「あ……はい」


「本当に、ちょっとした手伝いとして、で十分なので。やりすぎないことも含めて、頼みたいんです」


 本格的な管理業務は透自身が戻って対応し、朝倉母娘に頼むのは、あくまで留守中の見守りと連絡役程度の想定であること。


 念を押して説明すると、日和は素直に「分かりました」と頷く。隣で陽子が、ふっと小さく微笑むのが視界の端に映った。


「アパートの設備に不具合が出たときや、緊急対応が必要になったときは、すぐ俺に連絡してほしい」


「すぐ、戻ってこられるんですか?」


 日和が訊いてくる。


「戻れるように準備するよ」


 透が短く返すと、日和は納得したように頷いた。必要であれば、ダンジョンで入手したアイテムなども用いて、瞬時に帰ってこれる手段も用意しようかと考えていた。


「引き受けてもらった場合には、ちゃんと報酬を支払いたい」


「いえ、そんな。報酬なんて」


 陽子がやんわりと首を振り、隣で日和も同じように小さく頷く。手伝いのお願いは引き受けても、報酬の件は丁重に断ろうとしている。


「軽い仕事だとしても、無償で働いてもらうわけにはいかないので」


 その一言には、譲るつもりはない、という気配をしっかり混ぜて答える。


「そんなに、お気になさらなくても」


「気にしますよ」


「日々お世話になっている管理人さんに、ちょっとしたお手伝いをするだけのことですから」


「それでも、です」


 透は静かに、けれど確かに譲らなかった。


「依頼する側として、ここを曖昧にしたくない。ちゃんと報酬を受け取ってもらいたい」


 陽子は数秒、湯呑みを見つめて考え込む。どう答えるべきか。やがて、目を伏せたまま、丁寧に首を横へ振る。


「……やはり、お金まで頂くようなことではございません」


 その断り方は、押し返しというよりも、長く付き合ってきた相手に対する筋の通し方だった。透は内心で、なるほど、と一つ息をつく。


 陽子さんは、こういう人だな。


 知り合ったときから変わらない。直接、金銭を受け取ることへの抵抗。それは決して頑なさではなく、大人としての節度から来るものだ。


 透は少し考えた。それなら、別の角度を探る。


「では」


 ふと、口を開いた。


「家賃を、一部免除する形では、どうでしょうか?」


 別の提案。陽子が、ゆっくりと顔を上げる。


「……家賃ですか」


「直接の金銭ではなく、暮らしに結びつくような形で間接的に受け取ってもらえたら。こちらとしても筋が通る。お願いする立場として、それくらいはさせてほしい」


 陽子はしばし、その提案を吟味するように、湯呑みの中の茶を見つめていた。


 やがて、彼女は小さく、けれど確かに頷いた。


「それなら……お願いします」


「ありがとうございます」


 短いやり取りだったが、互いに譲り合ったうえで、ちゃんと噛み合った合意だった。


 管理人と入居者、ではなく、もう少し近い距離。けれど、家族の前段、というほどには急ぎ過ぎない場所。陽子はその塩梅を、見事に保ち続けてくれる人だった。


 次に、透は隣の日和へと視線を移した。


「日和」


「はい」


「君にもお願いしたいし、ちゃんと報酬を払いたい」


 すると、日和は背筋を正したまま、きっぱりと首を振った。


「お金は、いらないですよ」


 即答だった。透も、彼女がそう答えるだろうということは予想していた。


「日和」


「資産は、十分に足りていますから」


 淡々と返してくる。最近の探索士活動でしっかり稼げるようになった――その自信が、声の落ち着き方に滲んでいた。彼女の言葉とおり、資産が十分に形成されているのを透も知っている。


「それに」


 日和は、視線をわずかに伏せた。


「透さんのために動けること自体が、嬉しいので」


 ぽつり、と添えられたその一言に、透は内心、軽く詰まった。困ったな。


 横で聞いている陽子は小さく口元を緩めている。二人の話し合いには割り込まず、静観するつもりらしい。完全に、母親としての顔で楽しんでいる。


 とはいえ、何も渡さない、という選択はやはり違う。透は少し考え込んだ。腕を組み、視線を斜め上に逸らして、しばしの間――。


 やがて、ふと思いついた形を、口にしてみる。


「では」


「はい」


「出張先で、何かお土産を買って帰るよ」


 日和が、まばたきを一つした。


「それを、報酬の代わりに、ということで。どうだろう」


 数秒、空気が止まる。


 日和の表情が、じわり、と緩んでいくのが見えた。きっぱりとした構えがほどけて、年相応の、素直な嬉しさが滲み出てくる。


「……それは、楽しみですね」


 はっきりと、頷いてきた。


 透は内心で、そっと安堵する。


「あの、透さん」


「うん」


 日和が、わずかに前のめりになる。


「お土産のリクエスト、しても、いいですか」


「もちろん」


「地域限定の、お菓子、ってあるじゃないですか」


「うん、あるな」


「ああいうの、希望、しても」


 目をきらきらさせている。彼女にとって、十分な報酬になってくれるな。


 陽子が、ふっと、こらえきれずに笑みをこぼした。


「日和、節操がないわよ」


「お母さんっ」


「いえ、いいんですよ。これは、彼女に対する報酬なので」


 透は苦笑を漏らした。


「リクエストは、聞こう。全部その通りに、というわけにはいかないだろうが」


「はいっ」


 日和は嬉しそうにしていた。彼女の楽しみを増やせて良かったと、透は思う。


 陽子には家賃の一部免除という、間接的な形で。日和にはお土産という形で。それぞれに合った落とし所が、ちゃんと見つかったので良かった。


 こうして、透は留守の間のアパートの管理を朝倉母娘に任せ、探索士の仕事をするため全国各地へ出張する準備を整えていった。

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