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第47話 重なる時間

 透が協会の建物に入ったのは、まだ午前の早い時間だった。


 受付で来訪を告げると、奥の応接室へ通される。政府窓口の運用が始まってから、依頼書のやり取り用に用意された一室だった。


 扉を開けると、見慣れたスーツの男が立ち上がって出迎えた。政府窓口担当の渡辺(わたなべ)という人物。手元のテーブルには、几帳面に揃えられた紙束がすでに並んでいる。


「おはようございます、凪原さん。本日もお時間をいただき恐縮です」


「渡辺さん、おはようございます」


 促されるまま、透は向かいのソファに腰を下ろす。渡辺は背筋を伸ばしたまま、依頼書の束をテーブルの中央へ寄せた。封筒の角は綺麗に揃い、ふせんの色までが用件ごとに分かれている。


 ――相変わらず、几帳面な人だな。


 仕事のやり取りで顔見知りとなり、彼の人となりなどを理解するまでの関係になっていた。


「今回は全部で五件です。協会経由のものと、こちらから直接のものが混じっておりまして……あ、優先順位はこちらの付箋に、難度の評価は協会と我々の判断と微妙に異なっていますが、その点は備考にまとめてあります」


「付箋の色、増えました?」


「ええ、前回ご指摘をいただきまして、用途別に細分化いたしました」


 気になったことを聞くと、すぐに対応してくれる。そして今回も。かなり気を使ってくれているのを感じる。


 渡された依頼書をめくる。魔石の収集、ダンジョン構造の調査、モンスターの生態観察。期日と報酬がきっちり並んでいて、片隅に小さく赤字で”※ご無理は申しません”と添えられている。わかりやすく、整理されている。


「期日、これ全部こちらの裁量に任せてもらえますか?」


「はい。お時間が空いた折に、可能な範囲で。難しいものは遠慮なくお戻しください」


 透は頷き、優先するべきだと判断した二件にだけ印をつけて、残りは順次引き受けると伝えた。難しいものはそちらで他の適切な探索士に振ってもらえるように、とも添えておく。


 仕事の依頼は命令されるのではなく、相談として受け取る。断るときは断る。線を引いて運用してきたやり方が、ちゃんと双方の前提になっていた。


「では、引き受けていただいた分から順に、協会と調整いたします」


「ええ。よろしくお願いします」


 渡辺が深々と頭を下げるのを見届けてから、透は引き受けた分の資料を脇に抱えて応接室を出た。



***



 翌日から、透は引き受けた依頼を一つずつ片付けていった。


 最初は中部地方の超高難度に指定されているダンジョン。指定された魔石は、深層に巣食う鉱質型のモンスターから採れる、特定波長の魔力を帯びた個体だった。研究機関の試料用らしい。急遽必要になり、これがないと医療系の技術研究が停滞してしまうという。


 通常であれば、一ヶ月近くかけて事前準備と計画の立案、先遣隊を派遣して情報を収集した後にトップレベルの探索士パーティーが潜って、確実に作戦を成功させるという順序を踏む。


 しかし透は、潜行は単独で。深層までを最短で抜け、目当ての個体を必要数仕留めて、魔石を抜き取る。目的の魔石を無事に持ち帰ってきたときには、対応する渡辺が呆れ顔をしていた。


「これまで何度も思ってきましたが、今回も半日で済ませてしまいましたか」


「依頼書通りでしょう」


「こちらとしては、かなり無理を言っているつもりなのですが。とにかく、感謝します」


 渡辺が引き連れていたスタッフたちが、透の提出した魔石を確認して、すぐ研究所へ送られた。


 渡辺の苦笑混じりの感謝を背中で受けて、透は次の現場へ移る。


 次の依頼は、中規模ダンジョンの構造調査を行う。今まで手が回らなくて、後回しにされていた依頼。探索士の人数は年々増えているらしいけれど、それでもまだ人材不足が否めず、仕事の量は依然として多い。


 階層ごとの地形を調べて、出現モンスターの傾向、素材分布。指定の様式に従って、メモを取り、写真を撮り、サンプルを袋に詰めていく。


 ――この欄、毎回少しだけ書きにくいな。


 透は協会から配布された記録用紙の端を指で押さえながら、内心でぼやく。階層概況の自由記述欄が、妙に細長い。書ききれなかった分は別紙参照、と毎回同じ注を入れる羽目になっている。


 また別の日には、モンスターの生態調査を行う。西の山あいのダンジョンに棲む、新しく発見された未知の小型獣型モンスターの行動パターンを、丸一日かけて観察する。襲ってくる個体は最低限だけ処理し、残りは茂みの陰から眺めて、行動の傾向と捕食対象を記録していく。気配を消してモンスターに接近できる透は、情報収集の依頼で重宝されていた。


 報告書はその日のうちに上げる。協会経由で政府の窓口に渡り、渡辺からは「次の依頼の参考にいたします」と折り目正しい礼が返ってくる。


 依頼の中には、首をかしげるような細かさのものも混じっていた。


「南西部ダンジョン第三層、特定地点の苔のサンプル五十グラム、ですか」


「ええ。研究機関の方が、どうしても、と細かい指示がありまして」


「五十グラム、というのは? 多くては駄目なんですか?」


「正確に、と」


 渡辺が真顔で頷くので、透も真顔で頷き返した。依頼なのであれば、やらないといけないか。携行用の計量器まで持って潜るのは、なかなか奇妙な経験だった。


 危険度評価の現地確認、新規発見ダンジョンの初動調査、過去の依頼の追加サンプル。実績を積み重ねて、時を重ねるごとに、振られる依頼の内容や量も増えていく。


 透はダンジョンに潜って、処理して、記録して、戻る。次の依頼書を受け取ると、また潜る。


 透のもとへ、高難度の仕事が粛々と、しかし途切れずに流れていった。


 探索士としての活動は、確かに自分の役割の一つになった。ただ、そればかりに時間を割いているわけでもない。求められれば応じ、応じられないものはちゃんと断るようにしている。



***



 異空間にある訓練場の空気は、いつもと同じだった。


 高い天井の下、白い床面が広がり、淡い光が均一に満ちている。その中央で、日和が剣を構えている。


 肩から指先まで、力みのない構え。透が指導を始めた頃と比べれば、別人のように整った姿勢である。視線だけがこちらを真っ直ぐに捉え、息の置き所を測っている。


「いきますね、師匠」


「いつでもどうぞ」


 短い合図と同時に、日和が踏み込んできた。


 最短の間合いを取り、肩口へ振り下ろされる鋭い一打。透はそれを最小限の動きで受け流し、半歩だけ角度を変える。日和はすぐに二の太刀へ繋ぎ、踏み替えながら下段から斬り上げてくる。


 力任せだけではない。透が以前指摘した、踏み込みと体軸のずれが、もう出ていない。


 ――よく対応できているな。


 透は内心で頷きながら、わずかに圧を上げた。日和の呼吸が一段深くなる。受けに回る時間が増えても、瞳の光は鈍らない。崩されても、すぐに姿勢を立て直し、また間合いを詰めてくる。


 透は試しに、半歩深く踏み込んで、これまで日和に見せていなかった角度から斬り込んだ。視界の外側から落ちる軌道。日和の足が一拍だけ止まる。けれど次の瞬間、迷わず後退ではなく前進を選び、軌道を肩でいなして、剣の柄頭で透の脇を突き返してきた。


 ――そう来るか。


 透の口元が、ほんの少しだけ緩む。受け方ではなく、応え方を選ぶようになっている。


 しばらく打ち合ってから、透は手を上げた。


「休憩」


「っ! はい」


 日和は息を整えながら剣を下げて、用意してあった水筒の蓋を開けた。一口飲んで、ふっと肩から力を抜く。


 張り詰めていた表情が、急に年相応の柔らかさに戻る。汗の浮いた額に貼りついた前髪を、片手で軽く払い、日和はこちらを見上げて口を開いた。


「師匠、さっきのあの部分、私、まだ少し遅れてました?」


 言ってから、日和はぱちりと瞬きをした。


「あ、休憩中は、透さん、でしたね」


「どっちでも構わないが」


「私が決めたので」


 日和は、透さんという呼び方が好きだと言っていた。透さんと呼べるときには呼んでおきたい――おそらく、そういうことなのだろう。


 小さく笑って、日和は言い直した。


「透さん。さっきのやっぱり、遅れてましたかね?」


「半拍ほどな。でも以前ほど致命的じゃない。間合いの取り直し方が変わった」


「直ってきてますか」


「ああ、直ってきている」


 日和の頬が、ほんの少しだけ緩んだ。それを見届けてから、透は視線を白い天井へ流す。


 自分の軸は、ここなんだな。


 訓練場の光が、二人の足元に均一に落ちていた。


 水筒の蓋が小さな音を立てて閉じられ、日和は再び剣を手に取った。その表情は、集中して真剣な訓練時の顔に戻っている。


「もう一本、お願いします、師匠」


「来い」


 果敢に挑戦する日和。透の応じる声に、迷いはなかった。



***


 訓練と並んで、新しく日常に組み込まれたものがある。


 二人で外に出かける時間――いわゆる、デート、というやつだ。


 最初は少し車を走らせた近場の海辺の街だ。日和が地図を片手に先導するように歩き、透はそれに並んで一緒に歩く。風の匂いを嗅ぎ、潮騒の届く堤防に腰掛けて、買ってきた菓子パンを分けた。それだけで半日が過ぎた。


 別の日は、そこも近場にあった小ぢんまりとした神社のある城下町。石畳の細い路地で、日和は土産物屋の前に妙に長く立ち止まった。


 細い紐を編み込んだ腕飾り。和風のアクセサリーのようだ。同じように見える飾りを、日和は一つずつ真剣に見比べていく。


「透さん、これ、どっちが似合うと思いますか」


「どっちも変わらない気がするが」


「全然違いますよ。見比べてください」


 言われてよく見てみると、確かに微妙に違いがあることに気づいた。職人が一本ずつ編んでいるのか。


「なるほど、手作りで微妙に違うのか。うーん。じゃあ、右かな」


「私も右だと思ってました」


 言いながら、日和は嬉しそうに右手に持っていた方を選んだ。買うつもりなのかと、透は黙って財布を出そうとして、日和に手の甲で軽く押し戻された。自分のお金で買いたいものらしい。そういうところは、譲らない。


 二人で遊園地にも遊びに行った。


 以前、日和の母親も一緒に来た場所だ。あのときは三人で歩き、日和と陽子の親子の声が並んでいた。今回は、二人で。


 同じ並びの売店、同じ形のチュロス、同じ色のベンチ。それなのに、どこか違って見える。隣の人数が一人減っただけで、空気の温度が変わっていた。


 二人で観覧車に乗った。


 頂上に近づく頃、日和が窓の外を見ながら、ぽつりと言った。


「観覧車、前と全然違う景色に見えるんですけど」


「同じ観覧車だけどな」


「それでも、違うんです」


「そうか」


 頬を窓に近づけて、日和はしばらく黙って遠くを見ていた。透もそれにならって、街並みを目で追う。


 ――確かに、違って見えるか。


 見える景色は同じはずだ。けれど、隣に誰がいるかで、空の色までが違って感じられる。


 降り際、日和が小さく手を差し出してきたので、透はそれを取った。


 指先を軽く絡めるだけの、それだけのこと。それ以上は、互いに踏み込まない。透自身が口にした方針が、日常の所作の中に静かに収まっている。


 帰り道、日和は撮ったばかりの写真を何度も見返しては、こちらにも見せてきた。


「これ、私、目が変です」


「いつも通りに見えるけど」


「いつも通りじゃないですよ。次に行ったときには、撮り直しましょう」


「次も、あるのか」


「もちろん! ありますよ、いくらでも」


 言われて、透は短く笑った。日和も嬉しそうに笑う。


 空の高いところで、薄い雲がゆっくりと流れていた。



***



 日和の母親である陽子には、二人の関係はもう伝えてある。


 というか、報告する前にバレバレだった。日和の態度から推測されたようだ。透が改めて挨拶しに行ったとき、陽子は歓迎してくれた。それから、娘のことをお願いします、と託される。


 透は自分の両親にも日和のことを紹介して、そちらも大歓迎。


 政府からの依頼。日和との訓練。二人で出かける時間。そして、家族の理解。


 それぞれが、どこにも軋まずに、透の新たな日常の中へ収まっていった。


 劇的に変わったわけではない。けれど、確かに重なってきている。

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