第44話 要求
「こちらの要求を伝える前に、話しておきたいことがあります」
その言葉に、机を挟んで並ぶ高官たちの何人かが、わずかに表情を動かした。事情聴取の続きを想定していたのだろう。透の口調が、ほんの少しだけ、これまでと違うものへと変わっていることに気づいたのだ。
ただ素直に質問に答えていただけの男ではない。これから何を言うというのか。
正面に座る初老の男が、ゆっくりと姿勢を正した。集中して、どんな話を切り出すのかと、透へ視線を向ける。熱心に耳を傾ける構えだった。
「こちらの状況も、きちんとお伝えしておくべきだと思いますので」
説明しておかなければ、これから自分が出す話の意味が伝わらないだろう。それは順番の問題だった。土台を共有してから、初めて要求の輪郭が成立する。
「私の実力について、です」
透は、声の調子を一段だけ落とした。
毎晩、眠るたびに別の世界へ飛ばされること。生まれたときから続いている、その特性。「未知の現象」に分類されるであろう自身の在り方を、どこまで、どのように話すのか。透は判断しながら、ひとつずつ言葉を置いていった。
「物心ついた頃から──私は、ダンジョンに似た場所で、攻略を続けてきました」
卓上の資料に視線を落としていた数人が、顔を上げる。資料に書かれている透の年齢は、三十三歳になったばかりのはずだ。
「この世界にダンジョンが現れたのは、八年前ですね」
透は、確認するように言った。
「ですが、私自身の攻略は、それよりずっと前から続いていました」
他の人間がダンジョンの存在を知るよりも、ずっと前から。挑戦して、経験を積み、力を磨いてきた。透が積み上げてきた時間の長さを、ここで初めて、政府側に正式に提示する。
「毎日、欠かすことなく攻略を積み重ねてきました。自意識が芽生える前から、それを、強制的に。やるしかなかった。逃げ場もなかった。それが、いまの私が力を得た経緯です」
毎晩眠るたびに別の世界へ飛ばされ、戻るには死ぬか攻略して脱出するしかない。だから、強くならざるを得なかった。
「……三十年も前からなんて」
高官の一人が口を開いた。思わず漏れ出てしまった、という呟きだった。それだけ予想外な新情報。
透は、声色を変えないまま続けた。
「ここ最近、いくつかの探索士パーティーと、一緒に潜らせていただきました」
高官たちの視線が、微妙に動いた。
その情報は、おそらく既に把握されているはずだ。藤林とのこと。ベテラン勢とのこと。若手との一件。透が目立つように動いていた数週間の記録は、間違いなく資料に記されているだろうと予測していた。それを前提として、透は語る。
「正直に申し上げると」
透は、一拍だけ言葉を区切った。
「誰一人として、私の実力についてこれる者は、いませんでした。おそらく、日本で自分よりも実力ある者はいないでしょう」
ハッキリと言い切る。会議室が、しんとした。
誰も笑わなかった。冗談として聞き流す者は一人もいなかった。卓の端で、誰かが資料を握り直す音だけが、わずかに響いた。
「ダンジョンに毎日潜るのは、私にとっては、生まれてからずっと続いてきた日常でした。慣れすぎていて──それが他人にとって何を意味するのか、私は、長らく理解していなかった」
透は淡々と続けた。
「普通に生きるために、探索士というものに関わらないようにしてきました。けれど、実際に他の探索士の方々と関わってみて、それを理解したんです」
一拍。
透は、視線をゆっくりと正面の高官へ向けながら語る。それが事実であると。
「私は、自分が思っていたより、ずっと、社会から外れた場所にいる人間のようです。その自覚を、今はっきりと持っています」
それは威嚇ではなかった。声を荒げるでもない。机を叩くでもない。だが透の話を聞いていた者たちは、知らぬうちに浅い呼吸を繰り返していた。
ただ、座っているだけだった。ただ、静かに話しているだけだった。
それなのに、空気が重い。見えない何かで徐々に押しつぶされるような。威圧感があった。
まるで、室内の気圧そのものが下がっていくような──そんな錯覚を、誰もが共有しはじめていた。その発生源は、眼の前にいる男。
生物としての“格”が、違う。
肩書きでも、地位でも、年齢でもなく、根本的な部分で。
政府側の人間たちは、頭で理解する前に、身体で察してしまっていた。
「この力を、無闇に振り回したくないと思っています」
透の声が、再び場へ落ちる。
「社会に混乱を起こしたい訳でもない。ただ──自分だけで判断し続けるのは、危ういとも思っています」
静かな声だった。
「先ほども申し上げた通り、私の感覚は、たぶん、世間と少しずれています」
現状を確認して、色々と考えた末に透が出した結論。透は淡々と続けた。
「自分のものさしだけで社会と関わり続けるのは危ない。だから、相談できる相手が欲しい」
それが、透の要求だった。
「私一人の判断ではなく、皆さんと話し合ったうえで、どのように実力を発揮して、活用していけばいいか。線引きを、決めていきたい」
使っていい力の範囲。踏み込んでいい場面。公開する情報の質と量。自分だけで決めるのではなく、周りの意見を聞かせてほしい。
それは、透にとっての本音だった。
「ただし」
透は、そこで一度、言葉を区切った。
「命令していただきたい、という意味では、ありません」
声色は、さっきまでと一切変わらない。
「服従するつもりは、ありません。私は、私の意思で動きます。納得できないことには、たぶん、従えない。そこは、はっきり申し上げます」
主従の関係を提案しているわけではない。差し出しているのは、首輪ではなく、対話の場だ。そこを取り違えられると、透が求めているものとは、まったく違うものになってしまう。
「ただ」
透は言葉を継ぐ。
「私の判断が偏った時、おかしな方向へ向かいかけた時、それを指摘してくれる相手は必要です。国という大きな力で、私を上手に制御してもらいたい」
高官たちは、誰も口を開けなかった。
“あなた方には、その役を担う準備があるか”──そう問われているように、聞こえたから。
透は、一度呼吸を整える。
「そのうえで、具体的なお願いをさせてください」
どういうことかと、高官たちの疑問の視線を受けて透は説明する。
「まず、私への依頼窓口を、一本化していただきたい」
「窓口を?」
初老の男が確認するように聞き返した。
「はい」
透は頷いた。
「今のまま活動を続けて、私の実力や実績が広まれば、色々な方面から接触や依頼が来るようになると思われます」
協会、企業、自治体、防衛省、研究機関。場合によっては、海外まで。
「だからこそ、最初から窓口を絞っておきたいんです」
静かな口調のまま、続ける。
「理由はいくつかありますが一番大きいのは、利権争いや、勝手な囲い込みを避けたいからです」
その言葉に、数人の視線が、微妙に揺れた。
否定はしなかった。否定できない、という反応だった。透の語っている懸念は、彼ら自身が、つい先ほどまで頭の中で計算していた“他省庁”や“他組織”の動きと、ほとんど同じ形をしている。
「扱い方によっては、自分は──強力な札になります」
透は、淡々と事実だけを置いていく。
自身でも、まだ正確に想像しきれている訳ではない。けれども、自分の力が“便利な札”として扱われ始める可能性は、想定しておくべきだった。
「だから、各方面が好き勝手に接触してくる状態は、健全じゃないと思っています。誰かの管理下へ入るつもりもありませんし、特定の組織だけへ肩入れする形も、望んでいません」
一拍。
「なので、皆さん側で、特別な窓口のようなものを作っていただきたい」
高官は、静かに耳を傾けていた。
「そこへ、依頼や相談を、一つに集約してほしい」
「そのうえで、不要な案件は、そちらで断っていただいて構いません。本当に必要なものだけ、私のところへ持ってきていただきたい」
透は続けた。
「私としても、その窓口から来た案件を、優先的に処理する形にしたいと思っています。逆に言えば──そこを通していない依頼については、基本的には受けない方向で考えています」
それは、単なるお願いではなかった。透の側が、自分の動き方を制度として差し出し、政府側へ枠組みの構築を求めている。
自分一人で、すべての依頼を精査して、優先順位を決め、対応していくのは無理がある。
なにより、透はまだ探索士社会との感覚のズレを自覚していた。
自分の基準だけで案件を選び続ければ、どこかで判断を誤るかもしれない。だからこそ、政府側にも判断を委ねようとしている。
「これは、皆さん側にもメリットがあるはずです」
何人かが、わずかに視線を上げた。
「窓口を一本化すれば、隔絶した実力の持ち主である私の動きを、ある程度把握できるようになる」
「私が、どこで、何をしているのか。どんな案件へ関わっているのか」
「そういう情報が、最低限でも共有される状態になります」
透は、政府側へのメリットを提示した。
「私が、完全に好き勝手に動き回るより、そのほうが、皆さんも管理しやすいはずです」
中央の高官は、否定しなかった。
むしろ、その通りだ──と認めている空気があった。
「そのうえで、お願いしたいことが、もう一点あります」
透は軽く姿勢を正す。
「高難易度案件については、優先的に共有していただきたい」
「特に、“他の探索士では難しい”と判断された案件です」
会議室の空気が、再び静まる。
「もちろん、最終的に受けるかどうかは、私が判断します」
「ですが、“解決できる可能性がある人間がいるなら、まずそちらへ回したい”という案件があるなら、任せてほしい」
一拍。
「助けられる人がいるなら、助けたい気持ちは、あります」
透は、静かに言った。
「せっかく、こうして表へ出てきたので」
その言葉には、ほんの少しだけ、本音の熱が混じっていた。
「この力を、役立てられるなら、そのほうがいいと思っています」
しばらく、会議室は静まり返っていた。
誰も、すぐには口を開かなかった。
透の提案について考えを巡らせる。
「……なるほど」
初老の男が、ゆっくりと口を開いた。
「つまり、厳格な管理ではなく、こちら側にとって使い勝手の良い窓口というのが妥協点、ということですね」
「はい」
透は、頷いた。
「自分を縛るための仕組みではなく、無駄な混乱を減らすための仕組みです」
その高官は、短く息を吐いた。表情には、最初より明らかに強い慎重さが浮かんでいた。
目の前の男は、ただ力が強いだけではない。自分自身の危険性も、社会への影響も、すべて冷静に理解したうえで動いている。
だからこそ、こちら側の判断も間違えないようにしなければならない。
高官は、静かに頷いた。
「……承知しました」
その声には、最初に応接したときの余裕は、もうなかった。
「窓口設置については、現実的な案として、こちらでも正式に検討させていただきます」
即答はできない。慎重に決める必要がある。それを理解している透はすぐに答えを求めず、軽く頭を下げた。
「お願いします」




