第41話 初めてのパーティー
噂が広がるのは、透が思っていたよりもずっと早かった。
ある程度の実力をアピールして、注目を集めるつもりで動いてはいた。それが想定よりも早く回り始めている。とはいえ、目的どおりに進んでいるとも言えるので、透としては気にせず探索士の活動を続けていた。
管理人の仕事を午前中で片付け、午後の空いた時間に近郊ダンジョンへ向かい、依頼を片付けて帰ってくる。窓口に並び、納品物を出し、査定を待ち、報酬を受け取る。その後は、日和との訓練の時間。透にとっては変わらない一連の流れの繰り返しでしかなかったが、協会内部から見れば、それは「ありえない頻度」と「ありえない量」の組み合わせのようだった。
その日も透が自動ドアをくぐった瞬間、その場の雰囲気が変わった。
依頼板の前で雑談していた探索士たちが、すっと話を止めて視線を寄越す。受付の前で書類を書いていたベテランの一人が、横目でちらりとこちらを見て、隣の仲間に何か小声で耳打ちした。奥のソファ席で待機していた中堅らしき男が、わざわざ姿勢を直して、透の歩く先に視線を走らせる。
「お疲れさまです、凪原様」
窓口の女性職員は、もう完全に顔見知りの態度で透を出迎えた。短期間で積み上げた実績により、透専用の伝票が用意され、納品物の受け入れ準備も整えられている。最初の頃の困惑した様子はすっかり消え、トップクラスの探索士に対するそれと変わらない応対だった。
「本日も、よろしくお願いします」
「はい、お願いします。本日の分を」
持ち帰った成果を提出する。職員は慣れた手つきで確認を進めていくが、ロビーの空気は完全には透から離れなかった。
「それでは、しばらくお待ちください。査定が完了したら、お呼びしますので」
「はい」
ということで、少しだけ待機。透は窓口から一旦離れて、ソファーに移動する。
「ちょっといいか、あんた」
査定を待っている間、ソファに腰を下ろした透のもとに、声をかけてきた男がいた。
歳は透と同じくらいだろうか。日に焼けた顔、肩や腰回りの筋肉のつき方が、明らかに現役の前線探索士のそれだった。一目で現場組とわかる体格と佇まい。
「はい。何でしょう」
「俺の名前は、藤林。ベテラン……というほど大層なものでもないが、ダンジョンが世界に現れた最初期から活動している探索士だ」
「凪原です」
男は小さく頷いて、自分から名乗った。透も立ち上がって応じる。
差し出された手を握り返す。握力の入れ方、手のひらの硬さ。武器を握り続けてきた人間の手。
いきなり話しかけられたが、嫌な感じはしない。観察するような視線にも、押しつけがましさは混じっていない。話を聞くくらいなら問題ないだろう。透は警戒を保ったまま、会話に応じつつ藤林の出方を伺った。
「あ、座ってくれ。で、聞いてもいいかい? あんた、新人らしいが」
「そうですね。資格は先月取りました」
その答えに、藤林はほんの一瞬、目を見開いた。だがすぐに表情を戻し、感心したように頷く。
「先月か。それで、かなり熱心に活動を続けているようだが」
「空いた時間に集中してやっているだけですよ」
「謙遜が過ぎるな」
藤林は短く笑った。純粋に面白がる響きがあった。
「ところで、仲間はいないのか?」
「親しくしている探索士はいるんですが、その子はまだ学校に通っているので。今は一人で活動していますよ」
「なるほどな」
藤林は少し考えるような間を置いてから、続けた。
「だったら、これは提案なんだが、俺の仲間と一度組んで潜ってみないか」
藤林の話は、パーティーのお誘いだった。
「あんたがもし、ソロのほうが性に合うって言うなら、それはそれで全然構わない。一度組んでみたあとで『やっぱり合わないな』って判断するのも、こっちはまったく構わない。お試しの感覚で構わないからな」
言葉に、強引さはなかった。
日和からは、先輩探索士にも色々な人間がいる、と聞いている。中には新人を取り込もうとする者、利用しようとする者もいるのだと。だが、目の前の男からは、そうした下心があまり感じられなかった。本当にお試しでどうか、という提案の様子。
それに、と透は思う。
パーティー攻略というものに、興味があった。
日和がいつも、仲間との連携を楽しそうに語っていた。ああいう世界に、自分も触れてみたいと思っていた。
「ありがとうございます。パーティーへのお誘い、お受けしてもよろしいでしょうか」
「お、いいのか?」
藤林の顔が、ぱっと明るくなった。
「じゃあ、よろしく頼む。詳しい打ち合わせは、また日を改めて。連絡先を交換しておこう」
***
数日後。藤林に指定された日に、透は集合場所へ向かった。
パーティーの仲間との顔合わせが行われる予定だった。お試しとはいえ、ちゃんとした事前調整を挟むあたり、藤林の真面目さがうかがえる。
集まったのは藤林を含めて四人。透を加えれば、五人パーティーになる。
「紹介する。今日のメンバーだ」
藤林がそれぞれを紹介してくれた。前衛、中衛、後衛とバランスよく構成された編成。装備も本格派で、こだわりのある一品をそれぞれが手にしている。鍛え抜かれた身体つきと、装備への気の使い方からして、全員がプロとして長く現場に立ち続けてきたことが伝わってきた。
メンバーは、藤林より少し若い世代が多いようだった。それでも、駆け出しという雰囲気はない。中堅の入り口あたりで、しっかり実績を積んできた連中、という印象だった。
「お試しのパーティーだけど、仲間ってことで、堅苦しいのは抜きでいこう。タメ口で構わないからな」
藤林の提案に、透は少し迷ってから頷いた。
自分はまだ資格を取得したばかりの新人。先輩後輩の壁があると、どうしても距離ができてしまう。透としても、そのほうが話しやすい。とはいえ、リーダーである藤林や、彼の仲間たちへの敬意は忘れないようにしようと思う。
「わかった。じゃあ、そうさせてもらうよ」
切り替えた口調は、自分でも少しぎこちなかった。今まで普通で生きようと振る舞うようにしてきた。素の自分を隠してきた。なので素の話し方に戻るのは、本当に久しぶりだった。
「凪原さん、よろしくっす」
「同じくっす」
「歳は凪原さんのほうが上だから、気楽にいきましょう」
仲間たちも軽く頭を下げてくる。透より少し年下らしい、若さの残る砕けた口調だった。完全に対等というほどでもない、どこか後輩めいた距離感。それが心地よかった。
「ああ、よろしく」
透も、できるだけ自然に応じる。
「じゃあ、改めて説明だ。今日は中層の半ばまで。途中、第三層の倒木地帯に厄介なやつが居ついてる情報が入ってるから、そこは様子を見ながら判断する。お試し探索だから、無理して奥は目指さない。何かあれば即帰還、でいこう」
「了解」
透は短く返事をした。同じように、藤林の仲間たちも頷く。準備は問題ない。気持ちの切り替えも済んでいる。この確認作業だけど、少し楽しい。
仲間との探索というものを、自分も体験できる。
ただし、ダンジョンに入れば気は抜かない。慣れた相手であろうと、未知の場所では何が起きてもおかしくない。それが透の、戦士としての本能だった。
***
第一層を抜け、第二層に入って数分後。仲間の一人が索敵用デバイスを使って確認しながら、小声で告げた。
「右前方、二時方向。中型一体、小型二体。距離およそ三十、近づいてくる」
パーティーが軽く隊列を組み直す。その動きが止まった、ちょうどその瞬間――。
「左の三時方向にも、小型一体いるな。それと、こっちにはまだ気づいてないみたいだけど、進路の先に中型二体が居る」
透が、ごく淡々と追加の情報を口にした。まだ距離があるので、その情報を共有するのは早いのかもしれない。だが、念のために言っておこうと考えた。
藤林たちが、ほぼ同時に動きを止めた。
敵の位置を確認していた男が、慌てたように画面に目を落とす。数秒の沈黙。
「……左三時、確かに小型一体反応出ました。けど、これで確認するより、凪原さんの指摘のほうが、明らかに早かったっすよ」
「凪原、どうやって気づいた?」
藤林の声には、責めるような響きはない。純粋な疑問だった。
「あー、その、感覚で、かな……」
透は少し言葉に詰まる。
この世界とは別のダンジョンで鍛え続けてきた、戦士としての感覚。気配察知のスキル。だが、それを正直に説明するわけにもいかない。
機械による察知も便利そうだとは思う。けれど、それには性能の限界がある。障害物、魔力ノイズ、距離、反応遅延。デバイスは万能ではない。
逆に言えば、自分の感覚はその限界を超えてしまっているようだ。自分では普通だと思っていても、世間一般の基準ではそうではない。透は内心でひっそりと反省した。これは少し、出過ぎた真似をしてしまったか。
「なんとなく、肌で感じるっていうか」
苦し紛れにそう答えると、藤林は何か言いたげな顔をしたが、結局は短く頷くだけだった。
「了解した。詳細な情報を拾えるなら、それは助かる。次も頼む」
「ああ」
話はそこで切り上げられた。けれど、仲間たちの視線が明らかに変わっていた。
***
遭遇したモンスターとの戦闘は、奇妙な形で始まり、奇妙な形で終わった。
奇妙、というのは正確ではないかもしれない。厳密には――戦闘という時間そのものが、ほとんど成立しなかった。
前衛の一人が武器を構え、迎撃の体勢を取る。もう一人のメンバーは、接近してくる中型の動きを観察しながら、注意深く間合いを測る。藤林が距離を計算し、号令を出す直前。
透が、すっと、隊列の中段から一歩、前に出た。
ただ一歩、だった。
次の瞬間、中型一体の頭部が落ちていた。続けざまに、小型二体の動きが止まる。距離が十分に離れていたはずの後方の中型二体まで含めて、その場のすべての敵が、戦闘開始の宣言すら間に合わないうちに、息を絶やしていた。
ダンジョンの通路に、モンスターの落とした魔石が、ぱらぱらと音を立てて転がる。
「……えっと、これは」
藤林は、少し離れた地点に転がった中型の死骸を見ていた。他の仲間たちの視線も、同じように固まっている。
「凪原さん、今のって……」
「いつ斬ったんですか? 全っ然見えなかったんですけど」
「俺、目開けてましたよね?」
仲間たちが口々に困惑を漏らす。責めるような響きはない。ただ純粋に、目の前で起きたことが信じられないという顔だった。
「凪原」
「ん?」
「今の動きは、どうやって?」
透としては、本当に少し速く動いただけのつもりだった。
いつ斬ったのか。どう移動したのか。後方の敵まで、なぜ届いたのか。すべての工程が、藤林と彼らの目には見えていなかった。
「悪い、つい、いつもの調子でやってしまった」
「……いや、いいんだ。むしろ、助かった。続けよう」
藤林の声は、平静を装っていたが、ほんのわずかに揺れていた。敵が見えて、先制攻撃しようとしたら、調整を間違えて殲滅してしまった。その結果だった。
***
第二層から第三層へ。探索が進むにつれて、三つ目の異常が、静かに、だが明確に浮かび上がっていった。
例の倒木地帯。
藤林たちが事前情報で「厄介なやつが居ついている」と聞いていた区画。到着した時点で、彼らの足取りが自然と慎重になった。
「ここから先、空気が変わってる。慎重に行こう」
藤林の声が、それまでより一段低くなる。警戒の色が濃い。
ただ厄介な相手と遭遇することは、一度もなかった。
いや、より正確には――遭遇する前に、透が居場所を察知し、進路を微調整していた。戦うべき相手とだけ戦い、避けるべき相手は、相手が気づかないうちに通り過ぎる。
一度だけ戦闘を行う。先に敵の位置を完璧に把握して、息を合わせて一度に攻撃。モンスターに反撃するタイミングを与えず、一方的な攻撃で仕掛けた。その結果、無傷で魔石を入手することに成功。
その後、すぐ折り返し地点に到着した。予定していた中層中盤の小広間に、五人は無事に到達した。歩いている時間のほうが、戦闘している時間よりずっと長かった。
「ここで、一回休憩しよう」
「了解」
目的地としては、申し分のない場所だった。本来なら、相応の代償と引き換えに到達するはずの地点。それを、ほぼ無傷で、しかも疲労らしい疲労もなく辿り着いていた。
透は、ただ岩に腰を下ろしてゆっくりと水を飲んでいた。息は一切乱れていない。汗もほとんど浮いていない。
自分でもわかっていた。この程度では、疲れようがない。休憩を終えて、最初に立ち上がったのも透だった。
***
帰路は、行きよりずっと早かった。
圧倒的な有利の状況で戦闘を仕掛けて、完璧に勝利し、魔石やアイテムを入手していく。戦闘時間は最短で、帰還ルートに問題もない。
入口へと戻ってくる。出口で帰還報告を済ませて、ダンジョン外の空気の中へと出た。
地上では、もう日が傾き始めている。
藤林は装備の留め具を一通り緩めてから、透のほうへ向き直った。仲間たちは、少し離れた場所で待機している。直接の話し合いは、リーダーである彼に任せる、ということらしい。
「凪原」
「ん?」
「悪い。たぶん俺たち、お前とは組めない」
はっきりと告げられた言葉に、透はゆっくりと頷いた。
「……だよな」
仲間と潜るのは確かに楽しかった。だけど、自分の動きが彼らの流れを乱してしまっていることを感じていた。
「残念だ」
「いや、お前のせいじゃない。むしろ逆だ」
藤林は、選ぶように言葉を続ける。
「ひとつ。お前の手を抜いた動きでも、俺たちはついていけなかった。索敵も、戦闘も、判断速度も、全部だ」
真剣な表情で、説明してくれた。
「ふたつ。だからって、お前にこっちの速度に合わせろっていうのは、それはそれで違う。抑えすぎれば、今度はお前の反応が間に合わなくなる場面が出てくる。そうなれば事故に繋がる。プロの現場で、それはやっちゃいけないことだ」
三本目の指を立てて、こういう理由で組めないんだと。
「みっつ。攻略速度も、求めるものも違う」
藤林は、そこでようやく、少しだけ笑った。
「お前にとっては、今日のここは、たぶん本当に『お試し』だっただろ」
「……否定はしないよ」
仲間と一緒にダンジョンの攻略に挑む。そういう気持ちを味わいたくて、挑んだ。それは、彼の言う通りお試しの気持ちで。
「俺たちにとっては今日のこれも、ちゃんと『仕事』のつもりだ。半ばまで行って、危険区域を警戒しながら先に進んで、適切な納品物を集めて、無事に帰ってくる。これが俺たちのやってることだ。お前と一緒だと、その仕事が成立しなくなる」
なるほど、と透は内心で頷いた。
無理に合わせれば、どちらにとってもデメリットになってしまう。手を抜きすぎて、いざというときに反応できなければ危険だ。逆に藤林たちが無理して透に合わせようとするのも非常に危険。
単純な話だった。事実として、実力差があるから。
「わかった。確かに、その通りだな」
透は素直に頷く。落ち込むような話でもない。事実を事実として受け止めるだけのことだった。
「悪いな。せっかく誘ってくれたのに」
「いや。こっちこそ、提案しておいてこの体たらく」
そんなことはないだろう。透は新人を名乗っていた。そんな人物が、それほどの実力があるなんて予想できないだろう。それに彼らだって、なかなかの実力者である。その自信を打ち砕いてしまうようなことをしてしまったことに、透は申し訳なさを感じていた。
「色々と、勉強になったよ」
「そりゃこっちの台詞だぜ」
透の言葉に、藤林は肩を揺らして笑った。
「いやあ、参った。今日、俺は本当に勉強になった。世の中には、こんなに強い奴がいるんだな、ってのを改めて思い知らされた。俺もそれなりに自信があったんだぜ。数年、ダンジョンに挑んできて、仲間にも恵まれて、それなりの場所まで来たつもりだった」
藤林は、自分の手のひらを見つめながら、少し遠い目をした。
「だが今日、お前を見て、ああ、上には上がいるってのは、こういうことかと。久しぶりに、骨の髄まで思い知らされたよ」
その口調には、悔しさよりも、清々しさのほうが滲んでいた。
「だけどな、凪原」
「ん?」
「今日のところは、組めない。それは事実だ。でも、それで終わりにする気はない」
藤林は、真っ直ぐに透を見た。
「俺はもっと強くなる。今日のお前の動きに、少しでもついていけるようにな。仲間たちにも声をかけて、パーティー全体の底上げをやる。そうやって時間をかけて成長して、それでまた声をかけたとき――その時は、組んでくれないか」
藤林の目には、諦めではなく、挑戦の色が灯っていた。
「ああ。もちろん、待ってる」
自然に、そう答えていた。
断る理由がなかった。むしろ、そこまで言ってもらえるのは、純粋に嬉しい。
「約束だぜ」
「ああ。約束だ」
藤林が片手を差し出してくる。透がその手を握り返すと、最初の握手のときよりも、ずっと力強い感触が返ってきた。
仲間たちも、こちらに近づいてきていた。
「凪原さん、今日はマジで勉強になりました」
「いやあ、あの索敵、どうやってんすか」
「あの戦闘、何回思い返しても見えなかったんすよ。ほんと、人間っすか?」
責めるような色も、距離を取るような色もない。
目の前で見たものをまだ消化しきれない、戸惑い混じりの感心がそこにあった。それでも楽しそうに話す彼らのおかげで、雰囲気がずっと良くなる。
透は、苦笑しながら一人ずつに会釈を返した。
「凪原さん、連絡先交換しません? 今日の動き、もう一回詳しく聞きたいんで」
「俺もです。あと、ダンジョン情報とか共有してもらえると、めっちゃ助かるっす」
「ああ、こっちこそ頼む。現場の話は、まだまだ勉強になることが多いからな」
その場で、連絡先の交換が始まった。
話の流れで、最近のダンジョンの傾向、装備のメンテナンス事情、新人の頃の失敗談――そんな雑談が自然と膨らんでいく。透は聞き手に回ることが多かったけれど、彼らが語る現場の話はどれも新鮮で、純粋に面白かった。
パーティーは組めない。けれど、それで断ち切れる関係でもない。彼らとの間に、新しい繋がりができていた。
「じゃあな、凪原」
「ああ。お疲れさん」
別れ際、藤林は軽く片手を上げた。
「協会で会ったら、また話そうぜ」
「ああ。よろしく頼む」
***
藤林たちと別れて、透はひとり、夕暮れの街を歩いていた。
日の暮れた街は、一日の終わりの匂いに包まれている。家々の窓に明かりが灯り始め、駅前の通りには仕事帰りの人々の流れができていた。
透も、その流れの一つに混じりながら、ゆっくりと足を運ぶ。
仲間と一緒にダンジョンを潜るのは、思っていた以上に楽しかった。
組めないと言われたのは、確かに少し残念ではある。けれど、藤林の言葉も、最後の握手も、悪いものではなかった。むしろ、こんな別れ方ができるのなら、また顔を合わせるのが楽しみになる。
ふと、日和の顔が浮かんだ。
あの子なら、隣に立てる。今すぐではなくとも、いずれは確実に。
そうか、と透は静かに思う。
自分の隣に立って、一緒に潜れるような人物は、当面、彼女くらいなのだろう。それは少し寂しいことのようでいて、悪いことでもなかった。二人で潜る時間が、それだけ特別なものとして残ってくれそうなので、悪くない。
藤林たちとは、また違う形で関わっていけばいい。
パーティーは組めなくても、現場の話はできる。情報も交換できる。協会で顔を合わせれば、挨拶を交わすこともできるだろう。
それで、十分だった。
穏やかな足取りで、透はアパートへの道を帰っていった。
帰ったら、今日のことを日和にも話してみようか――そんなことを、自然と思っていた。




