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第35話 読めない受験者※探索士試験官視点

 特別探索士認定試験。


 学校には通っていない者が挑戦する試験を、現場では「ふるい」と呼ぶ。振り落とすための試験、という意味だ。


 朝七時半。関東にある探索士認定試験場。試験官控室の窓の外には、まだ薄い朝靄がかかっていた。


「……さて、今日は何人目ぐらいだ」


 コーヒーを一口啜り、試験官の男は机の上の名簿に目を落とした。今回の受験者は十二名。いつもと同じくらいの人数だな。合格者の予想は。


 ゼロだろう、と心の中で呟く。


 特別探索士認定試験の合格率は、一パーセントにも満たない超難関。百人が試験に挑戦して、一人が受かるかどうか。それよりもっと低い。数百人受けて合格者ゼロ、などという週も、別に珍しい話ではない。そういう話が世間でも知られている。


 普通は学校に通ってダンジョンについて学んでから試験に挑戦する。それが、普通のルートである。こっちは、その普通をスキップして資格取得を目指す。


 探索士という人材は常に求められており、資格を取得して活動すればすぐに大金を稼ぐことも可能な仕事だった。


「まあ、それで甘く見てくる奴がいるみたいだがな」


 独り言が増えたのは、年齢のせいか、それともこの仕事のせいか。試験官は名簿に添えられた書類の束を、一枚ずつ確認していく。


 一人目。三十代の会社員。趣味はジム通い。ベンチプレス百二十キロ、と自己申告欄に書いてある。


 ――筋肉自慢か。よくいる。


 二人目。 二十代、元自衛官。体力試験の一部免除を申請している。


――体力だけなら合格ラインには乗るか。ただ、自信過剰で知識面は不安そうだな。可能性は半々、といったところ。


 三人目。  現役のJリーガー。三十歳。代表経験あり。


 ――ああ、今年もまた来たか。


 試験官は小さく鼻を鳴らした。毎年こういう受験者が現れる。プロサッカー選手、プロ野球選手、格闘家、総合格闘技のチャンピオン、オリンピックの強化選手。中には世界的な名前も混じっていた。セカンドキャリアとして、探索士を目指そうとする。


 世間は勘違いしているところがある。探索士認定試験は、体力試験ではない。体力など前提にすぎない。その上で問われるのは、三つだ。


 ひとつは、判断力。モンスターを前にして、戦うか、退くか。迷わず決めきれるかどうか。


 ひとつは、精神力。ダンジョン特有の圧に耐えられるか。入った瞬間に崩れるようでは話にならない。


 ひとつは、知識力。モンスター、構造、魔石、装備――それらを理解して、実際に活用できるかどうか。


 どれか一つでも欠ければ、落ちる。とても単純な評価基準。ただ、その水準は非常に高く設定されているのだが。


 試験官を任されて、早いもので数年。書類を見ただけで、合否の見当がつくようになったのは、いつごろからだったか。少なくともここ最近、その勘が大きく外れた覚えはない。


 合格はできなくても見込みがある者がいれば、学校を紹介する。そこに通いながら資格取得を目指すように勧める。


「……さて、今日はどれぐらい学校へ案内できるかどうか」


 試験に合格する可能性は最初から考えておらず、見込みがあるかどうかを見落とさないことを最優先に考えていた。


 ――そのはずだった。



***



 試験会場の一室。試験官たちが長机に受験者十二名分の書類を並べ、もう一度頭から確認していく。これも習慣だ。事前に目を通してあっても、試験当日に改めて読み返す。書類と本人を突き合わせたときの「ズレ」が、合否を分けることがあるからだ。


 名簿の順に、鉛筆で短くメモを書き込んでいく。一枚、二枚、三枚。まずは事前の判定から行う。見込みがありそうなのを順番に選別。


 そして、七枚目。


 ――凪原透。


 試験官たちは、紙面をしばらく眺めた。


 年齢、三十二歳。 職業アパート管理人。学歴、大学卒。職歴、大手企業に七年、その後退職。取得資格、普通自動車免許、簿記二級、宅地建物取引士。ダンジョン関連の経験なし。武道・格闘技経験、なし。スポーツ歴、特になし。


「……ふうん」


 それを見た者たちの鉛筆の先が、書類の上で止まったまま動かない。


 普通だった。何もかもが、普通だった。それが逆に違和感がある。


 合格を狙うような受験者の書類には、たいてい何かしら「引っかかり」がある。身体能力の自慢、過去の実績、特殊な経歴、ダンジョン関連の知人、ジム通い、格闘技のかじり具合。そういう"取っ掛かり"が、必ずある。


 それなのに、この男には何もない。


 職歴の企業退職も、よくある転職の一環に見える。 アパート管理人という職業はたしかに少数派だが、それだけ。他の項目に至っては、拍子抜けするほどに特徴がない。


 他の書類を、改めて並べ直してみる。他の者は、実績欄がびっしりと埋まっている。そこに自信があるから。元自衛官の書類。訓練経験が数行にわたって記載されている。ジム通いの会社員。筋量、体重、トレーニング歴、自己ベストの数値。


 どの受験者も、「こういう理由で受けに来た」ということが、書類から透けて見える。この男だけが、理由が見えない。


「三十二で、未経験、か……」


 遅すぎる、とまでは言わない。ただ、何の経験もないのは不利だろう。二十代前半――できれば十代で始めないと体力的に厳しい。それが現場の感覚だ。


 この男は、自分の意思で、三十二歳になってから受験を決めている。そこに至った理由が、書類からは読み取れない。


 判定欄には、要観察と書き込まれた。こういうケースは、本人を見ないと判断がつかない。


 こういう――"読めない"受験者こそ、本番で落とし穴を踏み抜いていくものだ。何度か見てきた。だが、大半が試験中に化けの皮が剥がれて退場していく。


 この男もたぶん、そうなのだろう。だが、その予想を覆してほしいと試験官たちは期待する気持ちもあった。



***



 受験者が、一人ずつ控室から試験会場の広場にやって来る。


 試験官は広場の脇に立ち、そこを歩く人間を注意深く観察しながら立ち位置へ誘導する。試験会場に入ってきた瞬間の顔、歩き方、目の動き。書類の情報と照らし合わせて、事前の見立てを微調整していく。


 一人目。堂々としすぎている。ダンジョンを舐めている表情だな。


 二人目。精神面は安定していそう。周囲を観察する様子がある。ただ、少し緊張気味ではありそう。


 三人目、四人目、五人目、六人目。それぞれの判定を微修正していく。大半が事前の予想通り。想定外は、一人もいない。


 控室から、次の受験者が姿を現した。


 ――凪原透。


 試験官は、ほんの一拍、呼吸を止めた。


「凪原透です。よろしくお願いします」


 男は、ごく当たり前の声でそう言い、頭を下げた。視線はまっすぐ。姿勢はごく自然。


 特に変わったところはない。そのはずなのに、試験官たちの評価が変わる。


 理由は、わからない。説明もできない。根拠を挙げろと言われれば、難しい。それでも勘は、揺るぎない声で告げていた。


 ――こいつは、通りそうな気がする。



***



 受験者全員が揃ったところで、試験官の一人が前に立った。


「ではこれより、第一次試験を開始する。最初は武器の適正試験」


 試験の意図は、受験者側も理解している。探索士は戦えないといけない。死なないように。武器を持って最低限「振るえる」レベルに達していなければ、ダンジョンで死んでしまう。


 試験官は、壁際のラックから訓練用の剣を一本取り上げた。 刃の部分が木製で、重量は真剣とほぼ同じ。切れはしないが、振ればしっかり重さが手にくる。


「では一人目、前に」


 今日の受験者を順に呼び出していく。剣を持たされ、いきなり振れと指示される。運動神経は抜群でも、剣を扱う動きには慣れていない。振りが大きすぎる。腰が浮いている。刃筋が通っていない。本人も途中で首を傾げている。


 それを見て、試験官は評価を資料に書き込んでいく。


 二人目、三人目、四人目、五人目、六人目。


 それなりに振れる者もいるけれど、それなりでしかない。それが戦えるかどうかを見られている。剣道を習っていたとしても、それが実戦で発揮できるかどうか。


 そして、七人目。


「凪原さん、前へ」


 凪原透は、はい、と一度頷いて剣を受け取る。試験官の前まで歩いてくる足取りに、相変わらず何の緊張感もない。普段通り、という感じ。


「これが訓練用の剣。重さは真剣と同じくらいだ。握ったことは?」


「ないです」


 即答だった。試験官は軽く目を細める。


「剣道や、スポーツチャンバラのようなものも?」


「やっていないです」


「……わかりました。それでは、無理しないように。まずは、軽く構えてみてください。自己流で構わないので」


 凪原透は指示された通り柄を握り、一度だけ手の中で重さを確かめるような仕草を見せた。


 そして、構えた。


 ――それは、と試験官は声を漏らしかけて、咄嗟に飲み込んだ。


 中段の構え。完璧に、としか言いようがなかった。剣先の位置、腰の落とし方、肩の力の抜き方、指の締め方――教本の絵を切り抜いて並べたような、文句のつけどころのない形。そしてなにより、戦える雰囲気を感じ取れた。


「……経験、ないんですよね?」


「ないです」


 凪原透は、当たり前の顔でそう答えた。別に威張るでもなく、謙遜するでもなく、ただ事実として。


 試験官は、喉の奥で唾を飲んだ。


 ――経験がないのが、本当だとすれば。経歴に嘘をついている? だが、この男は嘘をついている様子はない。経歴に関しても、事前にちゃんと調査されているはず。嘘が発覚したら、書類選考の時点で落とされているはず。そこのチェックは、かなり厳格に行われている。


 ならば、この構えは何なのだ。


 独学で動画を見たくらいでは、ここまでの形にはならないだろう。形だけならできても、"身体の中身"が違う。この男の身体は知っているのだ。剣を握ったことのある身体だった。――もしかしたら、実際に戦ったこともあるかもしれない。


 試験官は更に注意深く、男の観察を続ける。動揺を気取られないよう、声を平静に保つ。


「……では、軽く振ってみてください。数回で結構です」


 凪原透は小さく頷き、素振りに入った。


 一振り目。空気を切る音が、静かに、しかし鋭く鳴った。


 それを目の前で見せられた試験官は、微かに背筋が冷える感覚を覚えた。音だ。刃筋が通っていないと、ああいう音はしない。訓練用の剣ですら、きちんと振り切れる人間がやると、空気を切れる。


 一振り目から、それを出せている。


 二振り目、三振り目も音がそろっている。ブレがない。毎回、同じ軌道、同じ速度だ。同じ位置に振り下ろされている。初心者の素振りなら、回数を重ねるごとに少しずつフォームが崩れていくものだ。その崩れが一切ない。


 呼吸は微塵も乱れていない。肩も上下していない。それぐらいで疲れる人間はいないが、身体は正直なもので真面目に振ればそれなりに熱を持つ。汗もうっすら浮く。この男は、何もない。筋肉も、呼吸も、まったく動じていない。


「……もう少し、続けてもらってもいいですか」


 試験官は、気がつくと普段の試験内容から少し外れた指示を出していた。


「はい」


 凪原透は、さらに振り続けた。 十回。二十回。三十回。どの一振りも、寸分たがわない動き。同じ軌道、同じ速度、同じ音。あたかも、同じ映像を何度も再生しているかのような。


「……ありがとうございます、そこまでで」


 凪原透は「はい」と止まって、剣を丁寧に試験官に返した。その後、すぐ判定欄に評価が書き込まれる。


――武器の扱いに問題はない。見込みあり。


……いや、違う。


 これは“見込みがある”なんてレベルじゃない。まだまだ試験は続く。この男がどこまでやれるのか。試験官は期待に胸を膨らませた。

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