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第26話 想定外※先輩探索士視点

「準備は進んでいるか?」


 田村は用意された計画書を確認しながら、低い声で問いかけた。


 彼の所有するオフィスビルの一室に集まった仲間たちが、それぞれ短く答える。装備、回復薬、緊急用の退避アイテム。ルートの再確認、補給地点の割り振り、想定されるトラブルへの対処手順。どれも文句のつけようのない仕上がりだった。


 明日はダンジョンへの潜行予定日だ。先週、あの小娘との一件――学校の訓練場での出来事を思い出すと、田村のこめかみに小さな熱がこもった。


 あの時は、調子が悪かっただけだ。


 胸の内でそう呟いてから、田村は浅く息を吐いた。無様な姿を見られてしまった。なんとか誤魔化したが、「次はない」と自分に言い聞かせる。


 ダンジョンは田村のホームだった。訓練場で何があったかなど、結局のところどうでもいい。あの時のイメージを上書きするための結果が必要だ。


 今度は、実力で叩き潰す。


 口角に軽く営業用の笑みを浮かべながら、舌の奥に冷たいモノを感じた。余裕を装う必要すらないくらい、自信はあった。難易度、地形、モンスターの分布。すべて田村の経験の範疇にある。相手は学生だ。プロが活躍している場所。この世界にダンジョンが現れてから、自分は活動を続けている。経験を積んで慣れた自分と、学校の実習レベルしか経験のない小娘たち。負けるはずがない。


 そのはずだった。



***



 オフィスに置かれた端末が、控えめな電子音を立てた。


 会議中なのに連絡だと。田村は壁の時計をちらりと見てから、画面に目を落とす。だが、メッセージの差出人は例の件を任せていた者からで、件名には「至急」の二文字が添えられていた。


「……なんだ?」


 眉根をわずかに寄せつつ、会議の終了を告げてメンバーたちに部屋から出るように指示を出す。一人になって、田村は通話に切り替えた。スピーカー越しに流れ出した声は、普段の淡々とした声色ではなかった。どこか上ずっていて、言葉が前のめりになっている。


『田村さん、すみません、お手隙でしたら少しだけ。朝倉さんのパーティーの件で、お耳に入れておいたほうがいいかと思いまして』


「朝倉?」


 頭の片隅で小さな舌打ちが鳴った。明日の準備で集中していた今、あの小娘の名前を聞かされるだけでも面倒だ。しかし勝負する相手の情報は必須。田村は感情を表に出さないように気をつけながら、柔らかい声で続きを促した。


「何か動きがあった? もしかして連中、ミスしたとか」


 気がはやって、ダンジョン内で事故でも起こしたとか。負傷者が出たりしていたら結果も出せずに不戦勝になりそう。だが、そうなってしまった責任の一つを押し付けられそうで面倒そうだとも考える。


『いえ、あの、ミスというよりも……無事に帰還して、成果報告を行ったようです。朝倉パーティーの査定結果の情報が上がってきまして』


「もう帰還したのか?」


 予想よりも早かったな。やはり、ダンジョン攻略に関しては学生だから慎重に行ったということか。その分、成果も少ないだろう。


 明日のダンジョン攻略、余裕を持って挑めそうだな。


『はい。それで……』


「どうした? 結果は?」


 どうも歯切れが悪い。一拍の間があった。電話の向こうの男は言葉を選ぶような、呼吸の音だけが耳に届く。


『査定結果は総額で……二億、少し超えるくらい、だそうです』



***



 電話の向こうの声が、やけに遠くに聞こえた。


 田村の頭の中で、何かが一度だけ短く空白になった。その予想外な金額を処理するための時間。


「悪い。もう一度言ってくれないか」


『朝倉さんのパーティー、一回の攻略で、総額約2億円相当の成果を上げられたそうです。魔石の純度が高く、素材もいい値が付いたと……事務所の査定でも、桁を間違えているんじゃないかって何度か確認したらしくて。それでも間違いないと』


「……そうか」


 田村は短く応じて、通話を切った。


 画面の上に指を滑らせたまま、しばらく動けなかった。情報を取り違えているのではないか。そうとしか思えない。


 ありえない。


 まず浮かんだのは、そんな言葉だった。


 2億。学生のパーティーが。しかもまだ一年生の小娘が率いる、寄せ集めの六人で。


 田村はゆっくりと椅子の背にもたれた。冷静になれ、と自分に命じる。数字にはいつだって読み方がある。ぱっと見の印象で驚くのは素人のすることだ。


 だが、何度頭の中で桁を数え直しても、結果は同じだった。


 1回の攻略で2億円。


 不可能な額じゃない。けれども田村が率いるパーティーでも、その数字を安定して出せるわけではない。リスクの高いルートを踏み、消耗を承知で踏み込み、運と技術の両方を噛み合わせて、ようやく届く領域だ。


 それ以上の成果を出したことだってある。準備して挑めば出せる金額。けれどそれは、自分たちでも無理をしたときにだけ。


 それを、学生が?


 学生が出せる数字じゃないし、予想と実態が合わない。



***



「どうしました、田村さん」


 別の部屋から戻ってきた仲間の一人が、田村の表情を見て軽く首を傾げた。普段なら柔らかく笑い返すところだが、田村の顔の筋肉は、いつものように動いてくれなかった。


「朝倉のパーティーの話だ。報告があった」


 田村は短く事実だけを口にする。集計額を告げると、部屋の空気が一拍だけ止まった。


 けれども、その後に続いたのは、田村が予想していたのとはまるで違う反応だった。


「マジか。あの噂、本物だったんだな」


「有望株ってレベルじゃないだろ、ソレ」


「学校でも騒がれているらしいよ。次世代のスターが出たって、先生方が浮き足立ってるとか」


「あの子たち、相当うまく立ち回ったんだろうなぁ」


 祝福、驚嘆、興奮。肯定の言葉が次々と空中に重なっていく。


 田村はそれを聞きながら、自分の指先が冷えていくのを感じていた。


 誰一人、疑ってすらいない。


 普通なら、信憑性を疑うところだ。査定ミスではないか、誰かの成果が紛れ込んでいないか、外部協力者がいないか。プロの探索士が集まる場所なら、祝う前に確認する話のはずだった。


 それになにより、プロの探索士であるはずの自分たちが負けるかもしれないというのに。オフィスの空気はすでに次のフェーズに進んでいる。「新しい有望株の誕生」「優秀なパーティーだ」


 田村だけが、その雰囲気から取り残されていた。


 おかしいだろう、コレは。


 田村は口角をわずかに上げたまま、仲間たちの会話に適当な相槌を打つ。笑顔は完璧だった。声のトーンも崩れていない。表の顔は、何一つ問題なく機能していた。


 だが、その下で、これまで積み上げてきた何かが、音を立てずに崩れ始めていた。


 俺は、探索士という職業が誕生してからずっとトップクラスに名を連ねてきた。その位置から落ちることなど、一度も考えたことがなかった。


 田村は胸の中で、自分に言い聞かせるように唱えた。


 探索士の代表として講師を依頼され、政府側の信頼も厚く、現場の調整役としても重宝される。大きな失敗はない。安定した成果。使い勝手の良い、優秀な人材。


 それが、田村という男が八年かけて築き上げてきた立場だった。


 まだ正式な資格も持っていない学生なんかに超えられるはずがない。


 そんなことは、考える価値もない前提だったはずだ。足元が安定しているからこそ、田村は軽やかに笑っていられた。だからこそ、余裕を持って後輩に声をかけ、穏やかに先輩としての顔を作れた。


 小娘の実力を認めるわけには、いかない。


 田村は椅子から立ち上がり、窓の外に目を向けた。灰色に近い空が、ガラスの向こうで静かに揺れている。まだ頭の中では、「ありえない」という言葉が同じ場所で繰り返されていた。


 うまく立ち回った――先ほど誰かが漏らした言葉が、ふいに耳の奥で蘇る。


 そう。うまく立ち回ったのだ。あの小娘たちは。


 その言葉は、田村の内側で勝手に形を変えていった。「うまく立ち回る」とは、つまり、正攻法ではない何かをしたということ。普通にやって出せる数字ではないのなら、普通ではない何かがあったということ。


 あの小娘たちが、正攻法でそんな数字を出せるはずがない。何か、裏があるはず。


 その疑念は、とても小さな種だった。けれど、田村の内側に落ちた瞬間から、それはすぐに根を伸ばし始めた。


 ズルをしているに違いない。そうでなければ、辻褄が合わない。


 心の中で言葉にすると、不思議と呼吸が楽になった。


 田村は自分の理屈が、いつの間にか他責の形に組み変わっていることに、気づかなかった。気づかないまま、その思考を「冷静な分析」だと受け止めていた。



***



 朝倉パーティーは、どうやって結果を出したように見せられたのか。


 その成果を出すには、まず高リスクの攻略ルートを選ぶ必要がある。消耗を前提にした無理なスケジュール。事前の物資投入を通常の二倍以上。人手もいる。補給役、索敵役、引き際の判断ができる信頼の置ける後衛。どれも用意できないわけではないが、相応の投資が必要だ。


 費用、リスク、想定される事故率。どれだけ都合よく見積もっても、「今までの田村のやり方」では出せない領域だった。


 田村は椅子に深く腰を戻した。


 両手を机の上で組み、視線を落とす。そこから先の思考は、いつもより少しだけゆっくりと流れた。自分が何を考えようとしているのか、田村自身が気づかないふりをしたかったのかもしれない。


 相手がズルをしたのなら、こちらも正攻法にこだわる必要はない。


 勝てばいい。


 結果が全てだ。


 プロの世界では、過程など誰も記憶していない。残るのは数字と、ダンジョンから持ち帰ったモノの価値だけだ。田村はそう信じてきたし、その思想で八年間活躍してきた。


 あの小娘に、負けるわけにはいかない。


 田村の内側で、日和への敵意が明確な形を持った。これまでの田村にとって、日和は「抱え込む価値のある将来のスター候補」であり、せいぜい「都合よく利用したい相手」に過ぎなかった。


 今は違う。


 あの小娘は、田村の前提を壊しかけている。築き上げてきた立場、安定した評価、優秀なトップクラスという居場所。そのすべてを、揺さぶってきた存在だった。


 許せるわけがなかった。


 踏み潰してやる。胸の奥で、静かにそう宣言する。


 使える手段は、いくつか知っている。過去にも、必要に応じて――そう、必要に応じて使ってきた手だ。明日のダンジョンでも、応用は効くだろう。



***



 明日のダンジョン攻略に向けて気合を入れる田村の仲間たち。自分たちも負けないという気持ちで、攻略についての話を続けていた。装備の点検、補給の確認、ルートの微調整。


 それでいい。好都合だなと田村は思った。


 軽く咳払いをする。仲間たちの視線が、自然と田村の方へ集まった。普段通りの、落ち着いた口調。表情にはいつもの営業用の笑み。何も変わっていないように見える、トップ探索士の顔。


「――少し、プランを見直そう」


 田村は穏やかに切り出した。


「明日は、先行部隊を数組出す。通常ルートには乗せない。別動で動いてもらう」


「別動?」


 一人が軽く眉を上げる。田村は小さく頷き、声のトーンをひとつ落とした。


「それと、回収役も用意しておけ。俺が合図したら、すぐに動けるやつだ」


 仲間たちが顔を見合わせた。いつもの田村のやり方ではない。


 数人は無言のまま視線を落としている。その中の一人が、何か言いかけて口を開き、けれど結局は唇を閉じた。違和感を覚えた者は、確かにいたはずだ。


 それでも、長年田村と組んできた者たちは、それ以上の質問を重ねなかった。問えば、答えが返ってくると分かっていたからかもしれない。あるいは、答えを聞きたくなかったのかもしれない。


「信頼できるメンツで組んでくれ。口の固い奴だけだ。別動隊のメンツは、後で俺から個別に指示を出す」


「……了解」


 短い返事が、部屋の中に静かに落ちた。


 田村は小さく笑みを深める。返事をしなかった者たちのことは、頭の片隅に書き留めておく。明日が終われば、その線引きにも意味が出てくるだろう。


 机の上に置いた手を、田村はゆっくりと握り直した。指の奥に、先ほどまでの冷たさはもうなかった。


 これで、勝てる。

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