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第25話 探索士の影響力※日和視点

「――大変お待たせいたしました」


 ドアが開き、先ほどの年配の職員が書類の束を手に戻ってきた時、メンバー全員の背筋が少しだけ伸びた。


「まず、査定結果からお伝えいたします」


 手元の書類に目を落として、職員は一度、言葉を切る。その一瞬の間が、妙に長く感じられた。


「総額――2億円を少し超える結果となりました。ご確認ください」


 その数字が告げられた瞬間、部屋の空気がふっと一つ、動いた。眼の前に置かれた査定結果の詳細が書かれている書類に視線を向ける日和たち。


 ゼロの数が多く、確認するのに一瞬の間。だが、間違いない。驚きはあった。けれど、頭が追いつかないほどのものではなかった。


 ――やっぱり、そのくらいの数字になるんだ。すごいな。


 日和の中で真っ先に立ち上がったのは、そういう種類の感想だった。


 攻略計画を立てる段階で、日和たちは入念に下調べをしていた。対象ダンジョンに出るモンスターの傾向、ボスのドロップ品の種類、それぞれの素材と魔石の市場価格、核石の用途と評価軸。


 神崎と日和が一緒にまとめた資料の一番上には、「目標値:トップクラス探索士の一回の攻略相当」と、きっちり書かれていた。


 それを参考にしながら、自分たちの実力も換算しながら組み立てた目標。ルートも、狩りの順番も、撤退ラインも、その数字を逆算して組んであった。無理しないように攻略を進めて、無事に帰還できた。


 だから、2億円という総額自体は、事前の試算と大きくはズレていない。ズレていない、と頭では理解している。それでも――


「……本当に、すごいな」


 ぽつりと呟いたのは、神崎だった。


 いつもの皮肉屋の口調ではない。紙の上で何度も眺めた数字が、こうして実在の報酬として目の前に置かれたことへの、静かな感嘆だけがそこにあった。


「実際に『2億円』って口に出されると、やっぱり全然違うな」


「私も、計画を聞いたときは『ほんとにそんな額になる?』って半信半疑だったもん」


 神崎に続いて美月が小さく息を吐き、それからふにゃりと表情を緩める。


 何度も桁を確認した後、伊吹が大きく頷いた。


「……本当だ。すげぇな。俺、正直、どこかで『盛ってんじゃねえの』って思ってた」


「颯太、計画には賛成してたくせに」


「もちろん、それは仲間の組み立ててくれた計画だから。死にはしないと思って」


「疑問があるなら、その時にちゃんと指摘してくれよな」


 神崎と伊吹が会話する横で、東郷が静かに腕を組む。


「……事前の試算と、ほぼ一致している。設定した目標値の範囲内だ。――計画は、予定通りに機能したということだな」


 生真面目な確認の声。けれど、その言葉の端にはほんのわずかに、誇らしげな響きが混ざっていた。


「回収いただいた魔石の質も上位に分類されています。特にボス級から得られた核石は、用途の広さから――これ一つだけで、百万人規模の一日分の電力を賄えるクラスと評価されています」


 職員は、淡々と説明を続ける。持ち帰った魔石が、どれほど有用であるのかを教えてくれている。


「そこから経費――事務所の取扱手数料、装備の消耗分、保険料等を差し引いた額を、申請されているパーティー比率に従って、分配してください」


「……分配」


 東郷が、確かめるように繰り返した。


「はい。今回の場合、お一人あたり、およそ――三千万円ほどになるでしょう」


 職員の言葉に一拍だけ、沈黙があった。


 それは驚愕の沈黙ではなく、日和たちが事前に頭に入れていた数字と、今、耳から入ってきた数字とを、一人ひとりが胸の中でそっと重ね合わせるための、短い時間だった。


「……三千万かぁ」


 美月が、噛みしめるように呟く。その金額の多さに、ちょっとだけ怖気づく。


「一回の攻略で、それだけ。正直どこか夢の話みたいだったけど……本当に、それだけの額、もらえちゃうんだ」


「すごいな、オイ」


 伊吹が天井を仰いだ。


 すずなは、両手で湯呑みを握ったまま、柔らかい笑みを浮かべている。金額の多さに喜んでいるというよりも、メンバーみんなが嬉しそうで、それに少しでも貢献できたことを嬉しく思っている。


「本当に……聞いていた通りだったんですね。トップクラスの探索士が、一回の攻略でこれだけ稼ぐって話」


「うん」


 すずなのつぶやくような声に日和が反応して、小さく頷いた。


 事前に調べた情報は、ちゃんと正しかった。嘘や誇張されてもいなかった。プロの探索士が一度の攻略で手にする報酬は、本当にこの桁の数字で、それは実在の制度として、こうしてきちんと自分たちの前に差し出される。


 「話に聞いていた通り」が、自分の手元に現実として届いたというコト。


 ――それが、予想以上に胸に来る。


 日和は、ただ静かに、その数字を胸の中で転がしていた。


 3000万円。


 ひとりぶんで、3000万円。


 初めて報酬というものを受け取った日のことが、不意に蘇ってきた。実地訓練の成果を換金してもらった、あの日。一人あたり百五十万円――学生の身で手にする金額としては破格で、当時の日和は、あの数字を手のひらの中で何度も何度も確かめたのを覚えている。重たくて、誇らしくて、母に通帳を見せた時の驚いた顔が、今でもちゃんと思い出せる。


 あの150万円が、今日は、3000万円。


 指を折るまでもなかった。ちょうど、20倍ぐらいか。


 査定結果の金額が、頭の中でぐるぐると回っていた。


 初めての150万を受け取ったのは、そう昔のコトではない。その後も、何度かダンジョンに挑んで結果を得ている。そうして、もうこの桁に手が届いている。一年も経たずに、ゼロが一つ、当たり前のように増えていた。


 それから、ゆっくりと、もう一つの実感が追いかけてくる。


 職員が口にした、あの説明。魔石一つで、百万人規模の一日分の電力を賄える、という話。


 もちろん、魔石だけで電気が生まれるわけではない。そこには発電施設が必要で、送電網があって、メンテナンスする人たちがいて、それらすべてが動作して、初めて家々に電力が送られる。魔石は、あくまでそのいちばん根っこに必要な資源に過ぎない。魔石だけで価値は生み出せない。それは知識として知っている。


 それでも、だ。


 自分たちが今日持ち帰ってきた、あの青い結晶のたった一つぶんで、百万人の一日が、少しだけ支えられる。


 百万人。


 想像しようとして、すぐに諦めた。顔の見える人数では、もうない。街一つでは足りない、県まるごとに近いような、そういう規模の話だ。そんなに大勢の「当たり前の一日」に、自分たちの今日の戦いが、ほんの少しだけ繋がっている。


 ――探索士は、それだけの仕事なんだ。


 渡された査定結果の重さと、職員の言葉、その二つが胸の中でゆっくり結び合わさって、日和はようやく一つの答えに辿り着く。


 探索士という仕事が、この社会に対して、どれだけの影響力を持っているのか。日和はそれを、理屈ではなく、今日手にした金額の重さで、初めて本当に理解した気がした。


 日和は、探索士という職業を選んだ理由を、改めて思い出す。


 母に、楽をさせたい。


 ただ、その一点だった。難しい理屈は何もない。毎日働いて、それでも「お帰り」と笑ってくれる母に、少しでも早く、肩の荷を下ろしてほしかった。そのためにも、本当は怖かったはずのこの道を選んだ。


「……聞いていた通り、だったなぁ」


 口の中で、そっと呟く。誰にも届かない、小さな声。


 探索士は稼げる職業というのが世間一般の認識。日和も、そんな話を聞いて目指すことにした。危険と隣り合わせで、命をきちんと秤にかけて、それでもはっきりと「稼げる」と言い切れる仕事。――聞いていた通りだった。だがしかし、実感として胸に落ちてきたのは、今この瞬間が初めてだった。




***



 帰還報告と査定が終わって、事務所を出る。用意されていた車に乗り込み、学校へ帰る。そこで先生たちに報告してようやく一日が終わる予定。


「……ね、日和ちゃん」


 隣の座席に座る美月の声で、ふっと顔を上げる日和。


「あたし、これで、実家に数年ぶんまとめて仕送りできちゃう」


 計画の段階から口にしていた目標だった。それがそのまま、現実の話に変わったのだ。美月は予定してたよりも早く目標が達成できそうということで、目尻にうっすら涙を浮かべながら嬉しそうに笑っていた。


「ちゃんと、日和の考えてくれた計画通り、もらえたね」


「……うん」


 日和は頷く。


「私、刀、新調しちゃいますね」


 前の席に座っていたすずなが首を後ろに向けて、少し照れたように呟いた。計画会議の席で、「もし予定通りの報酬だったら、新しい刀を……」と恐る恐る口にしていたのを、日和は覚えている。


「うん、新調していいよ。今日の刀、結構刃こぼれしてたみたいだし。何なら、経費として出してくれてもいいし」


「……はい。ただ、私が普段使いしたり趣味を入れる予定なので、事前にお伝えしていた通り、個人で購入させてもらおうかと」


 律儀なその言い回しに、真面目だなと美月がくすりと笑った。


「伊吹は、何に使うんだったか」


「んー? 俺、一応まだ決めてねえ。そもそも家に入れろって言われると思う」


 女性たちの会話を横で聞いた神崎の問いに伊吹はにやりと笑い、座席の背もたれから身体を起こした。


「でも、まあ、なんだ。計画書の数字、マジで通ったなー……って、しみじみ来てる途中だから、まだ本気の使い道は考えつかないな」


「それ、全員そうだろ」


「そうかも」


 小さな笑い声が、車内に少しずつ広がっていった。


 ぎこちない笑いだ。まだ現実が追いつかなくて、それでも、言葉にせずにはいられない喜びが、一人ひとりの肩から零れていく。


 日和はその光景を、少し離れた場所から眺めていた。


 誰の顔も、戦闘の間ずっと張り詰めていた表情からは、きれいに解けていた。疲労と、汗と、それからやっと、笑いの痕跡。ソレが見られただけで――今日、このダンジョンに入った価値はあったと思う。


「ねえ、日和は何するの? その……自分のぶんで」


 美月が、覗き込むように問いかけてくる。


 日和は少し考えて、それから、ほんの少しだけ口元を緩めた。


「……お母さんに、どうにかして、渡そうと思う」


「あー、日和っぽい」


「そこは、うん」


 事務所を出た頃には、空はすっかり濃い青に染まっていた。


 走る車の窓から見える街灯がぽつぽつと灯り始めて、通りを行く人々はいつも通りの夜の顔をしている。ほんの数時間前まで魔石や核石と向き合っていたのが、まるで嘘のようだった。


 けれど、嘘ではない。


「なあ、日和」


 間の伊吹が、ふと思い出したように口を開いた。


「……また、あのダンジョンに挑戦しようぜ」


 シンプルな一言だった。


 彼の声には、今日戦ってきた全部と、今日もらった全部と、それでも明日も剣を握るつもりだという決意が、さらりと載っていた。


 日和は、少しだけ考えた。


 考えた、と言っても、迷ったわけではない。ただ、自分の中にある答えを一度きちんと確かめてから、声に出したかっただけだ。


「……うん。また、挑もう。みんなで」


 神崎が「当然だろ」と短く応じ、東郷が「次は役割分担を、もう少し精緻に――」と早速反省会を始めようとして、美月に「ちょっと今日くらい休ませて!」と肘で小突かれていた。すずなは笑いを堪えながら、けれどしっかりと頷いていた。


 並んで歩く六人ぶんの足音が、夜の街にゆっくりと溶けていく。


 ――そういえば、これって先輩探索士との実力を競い合うための挑戦だったんだよね。


 ふっと、その言葉が頭の隅をかすめた。けれど、その輪郭は今日に限ってやけに薄い。誰が誰に勝ったとか、そういうコトは今の日和の中では、どうしようもなく遠い出来事に感じられた。勝ち負けは、別にどっちでもいいや。


 代わりに胸の真ん中にあるのは、仲間たちの笑顔と、職員が静かに告げたあの数字と、それから、母と師匠のこと。報告したら、どんな反応をするかな。


 だから、今はコレでいい。ソレ以上の何かを、わざわざ考える必要はない。


 探索士という仕事は、危険と隣り合わせだ。今日だって、一歩間違えれば誰かが欠けていたかもしれない。その覚悟は、昨日からずっと、胸の中に置きっぱなしになっている。


 けれど、その危険を引き受けるに足るだけのモノが、今日、確かに自分の手の中に返ってきた。


 努力と、事前の準備と、成長と、命のリスクと――その全部が、きちんと結果になって、多くの成果を得ることができた。


 重いな。


 重いけれど、日和にとって非常に意味がある重みに感じられた。

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