第二話「不機嫌を募らせる雨林」
ザーッと、小さな豆を籠の中で揺らしているような音が、ずっと窓の外で鳴っている。
船が到着したのは三番島の東側だったけど、電車で坂やトンネルを越えて、最終的に辿り着いたのは、陸塊の西側の山脈寄りだった。
おかげで新しい住処に移動した後も、外に出る気がしない。引っ越した日に買ってきた食料を、少しずつ食べながら、せめて霧がかかる晴れの日が来ないか待っていた。
そうなのだ。ずっと、外は雨なのだ。
アナントも、日向ぼっこが出来ないのが不快そうに、雨の降りしきる様子をカーテンの向こうで見ている。
「一瞬も止みませんね」と、キリクスも憂鬱そうに言う。「何でこんな天気なんでしょう?」
「豪雨地帯だからって話だけど」と、僕は答えた。
「東側の天気が気に成るなぁ」と、キリクスはぼやく。「何でエリスさんは、わざわざ西側に連れて来たんでしょう?」
「さぁ? 彼の事だから、何か考えてるとは思うけど」と、僕は適当な返事をした。
今回住む事になったのは、以前のコンクリートの家とは違った、木造りの一戸建てだった。
シャワールームもベッドルームも広くて、部屋状に成ってるキッチンもしっかりある。
そして隠れ住むには少し不便な、大きな窓も付いている。遮光カーテンを引いてあるから、内側の明かりはもれないはずだけど、人がいる事は分かってしまうだろう。
何せ、うちの猫大明神が、カーテンの外でずーっと窓を睨んでいるのだから。
「アナント。隠れ家なのに、隠れてなくて良いのかい?」と、僕は猫大明神を注意した。
「隠れてるよ」と、アナントは言い返す。「隣の家の庭の有様を見たかい? まるで熱帯雨林だ」
そう言われて、僕とキリクスはちらりとカーテンを捲ってみた。
確かに、南国の植物の大きな葉っぱが見える。アナントが引っ付いていた窓は、その葉っぱで覆い尽くされてた。
僕は納得した。
「これなら窓があっても平気か」
アナントは納得していない。
「何が平気なもんかい。僕の背中が乾かせなかったらどうするんだ。幾ら毛づくろいしても、さっぱりする日が永久に来ないじゃないか」
「ドライヤーしてみる?」と、キリクスはアナントに寄り添う。
「嫌だ」と、猫大明神は断言する。
猫としては、煩いドライヤーを浴びせられるのと、静かに日光が差すのでは、全然違うんだろう。
翌日。毎日パンをかじっていたけど、少しは味に変化が欲しくなってきた。だが、外は相変わらず、小さい豆が籠の中で鳴っている。
僕はフード付きのレインコートを着て、傘を持ち、耐水性のビニールのエコバッグに財布と家の鍵を入れ、膝丈まであるレインブーツをはいた。
「じゃぁ、ヴィノ氏が来たら『買い出しに行ってる』って言っておいて」と、僕が言うと、キリクスが「はい」と返事をした。
アナントは、カーテンの向こうから尻尾だけ見せて、一回振って見せる。
「行ってこい」って事らしい。
買わなきゃならないものは色々あった。パン屋さんで田舎パンを探したけどなかった。仕方ないので、バゲットを買う事にした。雨なのに。
お店の人は天候の事が分かってるみたいで、保護フィルムと油紙でパン全体を包んでくれた。
「あら。珍しい。異国の方ね。何処の国から?」と聞いてくる、気さくな奥さんが居たので、僕は「はい。一番島から……」と答えた。
七番島の名前は禁句だし、此処に来る前は一番島に住んでいたんだから、嘘ではない。
白っぽい肌をしている、こげ茶の髪の奥さんはまくし立てる。
「ああ。茶色い髪をしてるのに、日に焼けてるのはそのせいね。あっちは色んな国の人がいるからかしら。何時越してこられたの? この辺りにも、まだ慣れてないでしょう? 何か困った事はある?」
僕は渡りに船と、質問をした。
「越してきてからは、まだ一週間くらいですね。えーっと、そうだな……。この辺りで、キャットフードを売ってる場所を知りませんか?」
「あるわよ。えーっとね、この国ではペットショップは禁止されてるけど、保護猫を飼う人は多いからね。『チキンエッグ』って言う名前のお店を探してみて。そこが、外国で言う所の、『ペット用品屋さん』の事なの」
「『チキンエッグ』の綴りは?」
「多分、一番島に居たならわかると思うけど、『英国綴り』と同じ物よ」
「それなら分かります。ありがとうございました」
「いいえ。私も、この近所に住んでるの。これからも会うかも知れないわ。よろしくね」
そうやり取りをして、僕は気さくな奥様と別れた。
ペット用品店「チキンエッグ」は。確かに目立つ建物だった。
歩く鶏の絵の後ろを、脚の生えた卵がついて行ってる看板が掲げられ、その上に英国綴りで「チキンエッグ」と花文字が描かれている。
看板の絵を見て、「鶏と卵じゃないのか」と思った。
怖いお店じゃないと良いなぁと思って入ったけど、中は意外と衛生的だった。ショーケースも曇り無く磨かれているし、何より臭くない。
ペットショップではなく、ペット用品屋さんなので、動物そのものが居ないのだから、悪臭は出ないか。
犬や猫が齧って遊ぶオモチャの他、ペットシートや各種缶詰、それからドライフードがあった。
ドライフードの種類は、ミックスフィッシュ味と、チキンエッグ味。その他に、色んな魚の味を個別の袋に包んだ、バラエティパックもあった。
洗濯洗剤の箱と同じ大きさのそれ等を、籠に詰めて店の中を歩く。
他の売り物としては、犬猫用のおむつと、犬用の首輪状サイリウムもあった。
何とも、現実的な店である。
げっ歯類の類のためのグッズやフードのコーナーを巡って居るうちに、お店の女性店員さんと出くわした。
「いらっしゃいませ。こんにちは」と、彼女は声をかけてくる。
「こんにちは。これをお願いします」と言って、僕はドライフードの箱を籠ごと店員さんに渡した。
店員さんは木製の籠を受け取って、「はい。畏まりました」と応じ、キャッシャーに向かった。
三箱分の合計金額を計算してから、「ビニールガードは別料金です」と言う。
僕は外を見る事も無く「お願いします」と答えた。
「チキンエッグ」を後に、市場店は無いかと探したけど、生憎、住んでる場所が田舎のためか、それらしい建物は無かった。
その代わりに、色んな専門店の並んでいる「市場通り」を見つけた。
まだ金額の感覚が分からないので、高いのか安いのか判断はつかないけど、一通り食料品をそろえた。
バゲットの他に、ハムの塊と、卵を十四個と、瓶入り牛乳を一リットル。それから、サラダにする野菜を色々。ジャガイモ、レタス、トマト、オニオン。
貝殻状のマカロニと、それに合わせるためのケチャップソースも買った。
パツンパツンに成ったエコバッグを、傘の中に押し込めるのに苦労したけど、何とか中身を濡らさずに家に帰りついた。
家の鍵を開けると、「お帰り」と、ヴィノ氏が出迎えた。この人物は、今回は自分が何処に住んでいるか僕達に教えてくれていない。
「新しい町の様子はどうだった?」と、彼は聞いてくる。
「色々勝手が違いそうだと思ったよ」と、僕は答え、畳んだ傘から零れる雨粒を、玄関先のポーチで払った。「面白いキャットフードは手に入ったけどね」
その声に一番反応したのは、勿論うちの猫大明神だ。
カーテンの裏からすとんと下りてきて、早速、餌用の皿の前に座る。
僕は声をかけた。
「今から食べると、夕飯が入らなくなるよ?」
猫大明神はこう答えた。
「そんなに量は求めないさ」
つまり、すぐに味見させろって事らしい。




