第一話「旅する執筆家」
この船に乗ってから一週間目に成る。アナントは、相変わらずキャリーバッグの中では用を足さない。
彼が不愉快そうな顔をして、樹脂製のキャリーバッグをひっかく音を聞きつけてから、船内に在るトイレに彼を連れて行っていた。
昔の船はトイレの設備が無かったので、船体の後方の縁に腰を掛けて、海に用を足したらしい。が、アナントの体を支えながら、船の後方で排泄させようとしても、全く上手く行かない。
「落っこちそうな場所で、ゆっくりできるわけないだろう?」と、うちの猫は言うのだ。
動物は、人間より緊張に敏感だと言うから、リラックスできない場所では出る物も出なくなってしまうんだろう。
船旅の間、キリクスはずっと二等室の小部屋でかんづめになっている。彼には生命活動に必要な事が必要ないので、部屋の中が暇な以外は平気そうだ。
ヴィノ氏はそのキリクスに、熱心に「メリュー達の冒険譚」を語ってくれている。
以前だったら僕も耳を傾けて居たものだが、この頃の僕は「感激する」って言う事がとんとなくなっていて、キリクスが熱中している話を聞いて居なかった。
感情の鈍麻は、「影」を操る上では避けて通れないものだ。以前の僕を知っている人に再会したら、だいぶ「冷淡な人」に成ったと思われてしまうだろう。
星を見る視点を手に入れてから、ミラは度々僕をその視点に連れて行く。
宇宙を走る「石船」達を追わせたり、特定の「石船」が向かって居る先を読ませたりした。
彼女としては、僕に「アイラと名付けられた星々」の命運を知ってほしいらしい。
ある日、星を見る視点に招かれた僕は、ミラに聞いてみた。
――「石船」が来た先は、どうなって居るんだい?
ミラは黒い眼球に白い光彩が浮かんでいる瞳を、一度伏せた。それから、「聞いた所で、過去は変わらないわ」と言うのだ。
「石船」が惑星ガイアを出発した時点は、この星の軸でも非常に昔の事なのだ。
もしかしたら、幾つかの惑星テラのように、星の寿命を終えて消滅しているかも知れない。
惑星ガイアから人間が入植できる星の数は限られており、その星へ生きて辿り着ける「人類」や「動物」や「植物」も、数が限られている。
何処かの惑星テラで繫栄した人間達が、「星を渡る文明」を持つようになることも考えられるが、その必要がない星では、人類の宇宙への関心は薄いようだ。
僕達の住んでいる惑星アイラでも、まだ宇宙へ干渉する文明は置いてきぼりにされている。
この星では、「人類が人の姿のまま宇宙から到来した」と言う話は、一般的には広まって居ない。
石船が遺跡として残っており、其処で発見された文化が浸透していても、やはり「人間はこの星で猿から進化したのだ」と信じられている。
石船と進化論を結びつける、途中の情報が遮断されてしまっているのだ。
何故そんな知識の伝達不足が起こったのかと考えたら、この星に入植した人類も、生き延びるのに精いっぱいだったからと言う所だろう。
ついでに、この星には「魔力」と呼ばれる力が存在する。
以前のミラの言葉を思い出すなら、この星も「フラヌ銀河星団」からの影響を色濃く受け継いでいるのだ。
この惑星アイラの中心は、マグマでは無く「闇のような液体の対流」が渦巻いており、中心に行くほど冷たくなっている。
しかし、星そのものが冷たいわけではなく、対流は地表の裏に近づくほど熱くなるのだ。だからこそ、地熱を使っての発電も出来る。
その事に関して、ミラがこう言ってたことがある。
「恒星からのエネルギー波の影響ね。この星では、大地に外部のエネルギーを蓄積するシステムが存在するの」
僕はその事を思い出しながら思った。
「地中には『影』の他に、『羽』と呼ばれる蟲達がいるしな。彼等が対流の中で生きて居られるのだから、一般に知られている『惑星の構造』は当てはまらないのか」と。
そんな思考を浮かべていると、白い空間の中に黒い瞳の大きな鳥が現れた。
「ノワ」と、ミラは鳥に呼び掛ける。「少し、翼を貸してくれない?」
大きな白い鳥は、空間の地面にあたる場所に着地すると、首を下にしてミラを背に乗せた。
「アラン。貴方も」と、ミラは手を差し出してくる。
僕はその手を握り返して、やはり首を倒してくれた白い鳥の背に乗った。
鳥のノワは、僕達を乗せて白い空間を空の方向に飛び立った。辺りを覆っていた空間から出ると、其処には世界地図で見たことのある陸塊が見えた。
「向こうが七番島」と、ミラは一方を指さす。「こっちの広い大陸が一番島。今、向かっているのは三番島ね。世界地図では、二番目に大きい陸塊よ」
「すごく高い山が見える」と、僕は行く先に目を凝らした。
ミラは僕が分かってない事を察して、ガイドしてくれた。
「カイロス山脈って呼ばれてる、三番島の西と東を分ける山脈。頂上は雲の上に成るわ」
「あれが山脈?」と、僕は久しぶりにびっくりした。「ほぼ壁みたいに見えるけど」
「それだけ標高が高いのよ。それに、この辺りの雲は大分重いから、空の低い位置にあるの」
「雲が重い?」
「ええ。その分、三番島の西側では雨がよく降るから、注意してね」
「もしかして、今、起きてる時の僕達の乗ってる船って……」
「勿論、三番島に着くわ」
僕はその返答を聞いて、襟足を掻いた。
「ヴィノ氏は『着いてからのお楽しみ』って言ってたからなぁ」
「あら。余計な事を言ったかしら?」
「いや、教えてもらえて助かった。到着したら、傘とレインコートを買わないとね」
「レインブーツも必要よ?」
「そんなに降るの?」
「勿論。世界で一番の豪雨地帯ですもの。晴れてても霧がかってるし、冬は豪雪が降るし」
僕は、「なんで、そんなに大変な所に引っ越さなきゃならないんだろう」と考えたけど、その意見が出ると思ってたから、ヴィノ氏は行き先を伏せて居たのかもしれない。
目を開けると、二等室のベッドの上だった。僕の隣ではキリクスが「眠ってる状態」で休んでいた。目を閉じてじっとしているだけだそうだけど。
ヴィノ氏とアナントはソファで眠っている。この頃、アナントも生活の面倒以外では、ヴィノ氏にべったりだ。
数年前のアナントは、ヴィノ氏の事をマタタビの様に気に入っていたわけで、その関係に戻ったんだろう。
旅に出る前の一時期のアナントは、ヴィノ氏に対して「ツンデレ」の様子を見せていた。
よそよそしくして、なるべく触れられないようにしていたけど、暫くヴィノ氏と一緒に外出するようになってから、仲直りしたらしい。
なんでも、アナントは一番島の湾庵の町の猫達に託したい、切実な頼みがあり、ヴィノ氏はその頼みに関する何かをお手伝いしたそうだ。
彼等は、その「頼みとお手伝い」に関して語る事は無かったので、どう言う事なのかはさっぱり分からないけど、アナントがヴィノ氏を警戒しなくなったのは良かった。
僕とアナントは「男の約束」をしたままなので、アナントと一緒に眠ってくれる人間がいないと、流石に淡白に成った僕でも心配だ。
ヴィノ氏が目を閉じている姿を見るのは初めてではないけど、睫毛まで真っ白なんだなぁと思うと、中々「目立つ人物」と一緒に居るのは分かってくる。
キリクスを隠しても、ヴィノ氏の容貌から、僕達の居場所が分かるのでは……とは、思ってしまう。
かと言って、今更、道案内役の人物を失うわけにも行かない。
各地の「調査チーム」の人達が協力してくれるのも、ヴィノ氏の人望と人脈があってのことなのだから。




