第八話「旅路の終わり」
ドクター・リノリの下に犬を預けた後、エリスはレンカを連れて夜行列車に乗った。
レンカは列車の中でリュックを枕にして眠り込み、エリスはずっと窓の外を見つめて居る。
その視線の先で、火の玉のようなものが、ずっと列車を追って来ていた。
「そう簡単に逃がしてはくれないか」と、エリスは心の中で呟き、向かいの席で眠り込んでいるレンカに目をやる。
彼女のリュックサックの中で、得体の知れない何かが脈打っている様が見えるようだった。
そこまでの出来事を観察してから、アナントは「灰色の町」に移動した。
後足立ちの猫達が、あちこち歩いている中で、民族衣装のような寝間着を着た、黒い髪の人間の少女が、辺りをきょろきょろしている。
「ルシア」と、アナントは、その少女に声をかけた。「何かあったのかい?」
「あ。猫さん」と、ルシアはアナントに気付いて、彼のほうに駆けよった。「レンカが『湾庵』に来るって、本当?」
突然の質問に、アナントは「本当だけど」と答える。「情報が早いね。誰から聞いたの?」
「ハーディさんが、さっき教えてくれた」
「アランが。それは合点行った」
「猫さん。レンカが、今何処にいるかは、分からない?」
「この国の中央都市に到着するはずの、夜行列車に乗ってる。着くのは日を跨いでからかな」
「そう……。猫さんは、夢の中で『レンカ』に会う事は出来る? 私の方からじゃ、接続できないの」
その言葉を聞いて、アナントは、ルシアも彼女の方法で、レンカにコンタクトを取ろうとしていた事を知った。
「レンカの意識を、一定の空間に『招く』事は出来るけど」と応じると、ルシアの表情が明るくなった。
レンカは、眠ったまま「遠くからの呼び声」に気付いた。
青い紋章の呼びかけとは違う。姿無き者の声とも違う。もっと小さくて、囁くような呼び声だった。
――誰?
そう念じると、その声の主の姿が、白い靄のような空間の中に浮かび上がった。
背に灰色の縞模様を飾った、一匹の猫だった。
その猫は、金色の瞳でレンカを観ると、一声「なーん」と鳴いた。それから、尻尾を高く上げて、先を歩こうとする。
数歩歩いては、レンカがついてくるかどうかを確認しては歩を止める。
レンカは、用心しながら猫の後について行った。靄の中には、様々な者達の影が浮かんでは消える。
その影は、主に白い服を着た研究員達の姿をしていた。
それから、南極地で出会った仲間達の姿も。
ノワ、キリクス、レイユー、ウィール、ルシア、それから……。
歌詞の無い旋律が聞こえて来た。ずっと以前に、誰かから聞いた子守唄だった。
最後に一人、誰かが居たような気がするが、考え込む前に、靄の中に浮かび上がったルシアの姿が、はっきりし始めた。
レンカと同じ背丈と顔の、髪の長さだけが違う女の子。
――ルシア?
問いかけると、相手は靄の中から踏み出してきて、レンカの手を握った。
「レンカ」と、ルシアは懐かしい友人に会った様に、声をかける。
レンカはまだ目を瞬いている。
ルシアは言う。
「私ね、レンカに伝えなきゃならない事があるの」
そう言って、ルシアはかつて祖父から聞かされた「ミヒナとイシロ」の話を、ぽつぽつと語り始めた。
レンカは話を聞き終えてから、「それじゃぁ、私の祖先とルシアの祖先は同じなの?」と聞き返した。
ルシアは唇を噛むような仕草をしてから、「ずっと辿って行けば、そうなる」と答えた。「それで、その桐の箱にはね」
そう言いかけた時、靄の世界が、吸い取られるように急速に閉じ始めた。
レンカは、ざわりと泡肌が立つのを感じた。
「目が覚める」と、ルシアは空間を見回して言う。「レンカ。『樹果』の町に来たら、きっと私の家に来て。場所はアランが知って……」
そこまで伝えた時に、ルシアとレンカの意識は体に戻った。
列車の中で目を覚ましたレンカは、自分の頭の下で何かが蠢いているのを感じた。
リュックサックの中で、あの桐の箱が脈打っている。そう直感した。
エリスの方を見ると、彼は向かいの席で目を閉じている。眠っているのか、それとも何かの術を使っているのか。
レンカはリュックサックの中から、布で包まれた小さな箱を取り出した。
ルシアから聞いた、「ミヒナとイシロ」の話は、はっきりと覚えている。
ミヒナがイシロから祓った、「変化を誘発する負」が、この中に閉じ込められているのだ。
レンカは、南極地で起こった事を思い出した。
あの爆発するようなエネルギーを受けた時、私の体は確かに異形に成ろうとしてた。
「祓うか、託すか……」と、思わず呟くと、エリスが目を開けた。
「レンカ?」と、呼びかけてくる。
レンカは、自分が分かっている状態を説明する。
「さっき、ルシアの夢とつながった。それで、ルシアが教えてくれたんだ。この箱の中のもの」
「そうか」と、エリスは受け答えた。「何が入ってるんだい?」
「人を『異形』にする、強いエネルギーだよ。発効しきった、ある種の『負』だね」
「その箱は、どうするんだい?」
「今はまだ分からない。だけど、私が『祓わない』なら、負はずっと増え続ける。何とかしなくちゃ」
「その覚悟は、しっかり持っておいた方が良い」
エリスは幼子に言い聞かせた。
「まずは、君の旅の目的地に辿り着くまで、もう暫く眠ったほうが良いよ」
「うん」
レンカは箱を布で包みなおし、リュックの一番底にしまった。
金色の日射しが、東の大地からフツと湧き、空の端に在った雲を照らし始めた。木々は日射しを喜ぶように風に揺れ、夜を越えられたことを喜ぶ小鳥が、鳴きかわしている。
早朝にベッドから起きた朔は、部屋を見回した。目を覚ましたばかりだと言うのに、意識ははっきりしているらしい。彼は、何かを察したように、パジャマのまま外に飛び出してしまった。
「朔! 着替えて!」と、トリノは声をかけるが、朔には声が届いていない。
素足でポーチに出ると、広い庭を突っ切り、郵便受けが置いてある庭先に出た。
道の向こうから、誰かが歩いてくる。
一人は、エリスだ。その横を歩いている人物が、もう一人。リュックサックを担いだ女の子だ。
朔は目を見張り、顔を輝かせて、真っ直ぐな道をどんどん近づいてくる二人を見つめた。
その人物達の表情が見えるくらいに成ると、朔は待ちきれないと言う風に、舗装してある道の上に駆けだした。
「朔?」と、エリスが呼ぶ。
「サク?」と、レンカが聞き間違えている。
パジャマのままの男の子は、二人の目の前まで走ってくると、呼吸を整える間も惜しんで、レンカの肩に抱き着いた。
「え? 何? 何?」と、女の子は両手を胸に折り畳んだまま、驚いている。
「レンカ」と、朔は彼女の耳に囁いた。「おはよう……」
レンカの頭の中に、南極地で聞いた、「誰かの言葉」が思い出される。
あの時、自分を人間にとどめてくれたのは、この少年だったのか。
レンカは一つ瞬きをして、畳んでいた腕を伸ばすと、少年の肩にぎこちなく抱擁を返した。
「黒い森」の枝影の隙間から、その様子を見ていたアナントは、レンカの旅路も良い方向に向かいそうだと、安堵して居た。尻尾を、ふわりと身に寄せる。
気になる事と言えば、あの桐の箱である。
かつて、一人の人間を変化させていた「負」は、「ひゃくのおに」と化しているのか。
アナントは、三日月湖に近づきながら、考えた。水面には、アラン達と住んでいる家の中が見える。
これは、僕達で調べる必要がある。
この時、彼が思った「僕達」に、人間が含まれる事は無かった。




