第七話「迷子の迷子の」
寂れた通りの向こうで、残照が淡い紅色になる頃。
腐臭が強くなり、通り一帯に「負」が集まり始めた。
「だいぶ規模が大きいな」と、エリスは誰にと無く呟く。
「前回は、この量を吸い取り切れなくてさ」と、レンカが呟きに答える。
エリスは既に「負」の正体を見抜いているようだ。
「『全部』を吸い取る必要はない。この集合体の『親玉』に成ってるものを、集中的に狙うんだ」
「親玉?」
「説明するより、観たほうが早い。バーナード」と、エリスはレンカの隣にいる、犬のサクに声をかけた。犬はパッとエリスの方を見る。
エリスは、その鼻先を、人差し指で軽く叩いた。
「僕とバーナードで『道』を作るから、レンカは皆さんと一緒に『親玉』を狙いに行って」
「分かった」と、レンカは答える。
エリスが神官と巫女達に目を向けると、彼等も顔を引き締め、頷いた。
青白い光が、宵闇の中に燈る。エリスの周りに現れた、人間大の「幾何学模様のような陣」が光っているのだ。
「三秒後に仕掛けます。参、弐、壱……零!」と言うエリスの声と共に、空中に浮いた模様から、閃光が放たれた。
エネルギーの流れる反動が、その後ろに居た者達に吹き付ける。
豪風が突っ切るような音を立てて、エネルギー波は通りに立ち込める「負」を引き裂く。
その道の向こうに、エリスのエネルギー波にも浸食できない黒い闇があった。
「行って!」と、エリスは声をかける。
少女と犬と神官達は、トンネルのような青い光の中を走り出した。
黒い闇の塊のような「負」は、ドロドロと渦を巻きながら、エリスのエネルギー波が届かない場所まで逃げようとした。
「行かせぬ!」と、憤った神官が、懐から取り出した楔を素早く投げる。「負」の身を透かして、それは逃げる物の行く手に突き刺さった。
楔を中心に、親玉の前に白い光の壁が出来る。
「負」の親玉は、邪魔をしている壁を壊そうと、術師の方に身を変形させた。
弧を描いた闇が、術師の頭を貫こうと襲い掛かる。
「サク!」と、レンカが呼んだ。
犬は、襲い掛かって来た闇に向かって、太く一声吠えた。
その鼻先に、さっきエリスの周りに浮かんだのと同じ「陣」が発生し、親玉の形と起動がブレた。
「今だ!」と、榊を振るう神官が、巫女達に合図を出す。
巫女のうち二名は、まだ「負」の濃い左右に散り、一名は親玉の前で鈴房を構える。
シャン、シャン、シャンと、鈴の音が鳴ると、「負」の親玉は、捩じり揚げられたように身をくねらせた。
榊を天に掲げた神官は、祝詞を上げながら巫女達に神力を送り続ける。
一本の糸杉の様に捩じり上がった親玉に、レンカが両手をかざした。
泥の中から響くような声で、親玉が呻いた。
黒い闇がレンカの方に引き寄せられ、その身の中に吸収されて行く。
レンカは歯を食いしばり、大粒の雹に叩かれているような衝撃に耐えた。
大丈夫。全部、吸い取れる。
そう確信した時、レンカの目の前に白い小さな生き物が見えた。
何時かに聞いた、ルシアの声が思い出される。
――それは、吸い取っちゃいけない。
レンカは吸収をやめ、目の前に残った小さな生き物をまじまじと見た。
小さな猫のように見える。乳を欲しがる年端の子猫だ。
「ずっと、母猫を探していたんだろうね」と、近くでエリスの声が聞こえた。
振り返ってみても、彼は遥か遠くにいる。
「レンカ。バーナード……じゃなくて、サクを子猫に引き合わせてみて」
レンカは「分かった」と頷き、まだ警戒している犬の背を撫でて、子猫の方に押した。
犬は白い猫のにおいを嗅ぎ、その頬の辺りをぺろりと舐めた。
「ニィ。ニィ」と鳴きながら、子猫は犬の足元によたよたと近づく。
バーナードは、子猫の様子を見て、鼻を鳴らした。
またあの「青い陣」が光る。
光に包まれた子猫は、その中にホワイトアウトするように消えて行った。
社に帰った後、先に禊を終えた神官達は、エリスに礼を言った。
「あんな小動物が『親玉』だったとはな」
エリスは、必要な事だけ答える。
「母猫を探してるうちに、『負』に飲まれたんでしょう。思っても見ないものが『魂』に成ってる事はありますから」
その言葉を聞いて、下座に控えていたほうの神官が問う。
「貴方は、仏門の知識をお持ちなのか?」
「少しだけ。独学で調べた事なので、詳しくは語れませんが」
「だが、あの時の力は『神力』に近かった。それは、異国の理の力なのか?」
「そのようなものです」と、エリスは言葉を濁す。
そこに、禊を終えたレンカが戻ってきた。
「さて、一宿一飯の恩は返した」と、髪を拭きながら言う。「エリス。今からでも、移動する?」
エリスは、歯を見せない何時もの笑みを浮かべ、「体の方は大丈夫?」と聞き返す。
「『洗浄』したから、全然問題ない。元気そのもの」と、レンカは親指を立てた。
レンカと犬を連れ、エリスはタクシーに乗った。
行き先を、「迷葉まで」と申しつける。
「何処に行く気なの?」と、レンカは割とどうでも良いように尋ねる。
「えーっと。君の相棒に仕掛けられている、悪いものを除去する必要があるんだ。その手術が出来る動物病院に行こうと思って」
「今の時間、開いてるかな?」と言って、レンカはポケットの中から、ネジ巻式の時計を取り出す。「丁度、二十時に成る所」
「向こうにはもう連絡してある。夜間でも対応してくれるよ」
「そっか」
そのやり取りだけで、レンカは黙って外を見始めた。
エリスも、窓に目を向ける。街灯の明かりが、リズムよく頭の上を通過している所だった。
そこまでの出来事を観察してから、今回はアランの方が先に「黒い森」から離脱した。
アランの姿が消える一瞬に、白い空間が見えた。どうやら「ノワ」と「ミラ」に会いに行ったらしい。レンカの様子を伝えるつもりだろう。
アナントは、まだ三日月湖の水面を眺めている。
その日のうちに、迷葉の動物病院に辿り着いた二人と一匹は、連絡を受けていた医師と看護師に迎えられた。
エリスが紹介する。
「此処の医院長先生。ドクター・リノリ」
レンカは礼儀正しく頭を下げた。
「初めまして。レンカ・フォレストです」
「初めまして、レンカ。話は聞いてるよ。七番島からずっと、旅をしてきたんだって?」
「はい。だいぶかかったけど」
「それはそうでしょう」と、看護師が口を挟む。「靴も服もそんなにボロボロになって……。エリス?」
突然、怒ってる声のトーンで呼びかけられた本人は、苦笑いをする。
看護師は続けざまに言う。
「女の子がこんな格好になってるのに、靴すら買ってあげなかったの?」
「いや、時間が無くてね」
「またそれだ。何時も、貴方は時間が無い無いって言いながら、あっちをフラフラ、こっちをフラフラ。少しは一ヶ所に居て、誰かに手をかける事をしなさいよ?」
「はい。以後、改めます」と、低姿勢で述べてから、エリスはリノリの方を見る。「それで、こっちの犬をお任せしたいんだけど」
「ゴールデンレトリバーだね。名前は?」
「私はサクって呼んでる」と、レンカは応える。「だけど、さっきエリスが、何か別の呼び方してた」
「ああ。覚えてたか」と、エリス。「この犬の元の名前は、『バーナード』って言うんだ」
「何で知ってるの?」
「ちょっとしたところで聞いたの」
「ふーん」と、レンカは然程気にしない風に返す。それから、思いついたように悪そうな笑顔を浮かべ、「何処の誰に聞いたの?」と突っ込みを入れた
エリスは暫く視線を彷徨わせ、「企業秘密」と言って、幼子の問いをかわした。




