第六話「踏み込んだ領域」
アランは、遂に「つい昨日」のレンカの情報を掴んだ。
レンカは確実に湾庵に来る、そして朔はレンカに呼び掛けるためのエネルギーを送っていると、言うアナントからの二つの情報を得てから、焦点は急速に定まった。
長距離列車を降りたレンカと、犬のサクは、短距離往復列車とタウンバスに乗って、利灰と言う町に辿り着いた。
その町の社で、「青い光の印」を見つけたレンカ達は、その社の神主達に湾庵への行き方を尋ねた。
それから、町の中の「負」を片付ける事と引き換えに、一晩の宿を請うた。
利灰の町には、他の場所と比べると、一際寂れた悪臭の漂う通りが存在した。其処に、特定の時間だけ、集中的に「負」が集まると言う。
犬のサクと、神官が二名と、巫女が三人、レンカに連れ添った。
「私達だけで良いのに」と、レンカが言うと、「あの『負』を見くびってはいけない」と、神官の一人が言い聞かせる。
「まるで、闇の底が抜けたような『負』だ。その体で受け止めきれるか……」と、もう一人の神官も言う。
「子供扱いは要らない」と、レンカが言うと、「お前が幼いと言う意味ではない。この町に辿り着くまで、其処此処で『負』を得て来たのだろう?」との返事だ。
「分かるの?」と、レンカが驚いていると、「来ます」と、巫女の一人が言って、鈴房を振った。
数時間後。レンカは頽れ、彼女を守るように犬のサクが、盛んに吠え立てている。
神官も、一人は霊水で浄めた榊を振るい、一人は片膝をついている。巫女は二人がレンカを守り、もう一人は片膝をついた神官の背に手を当てている。
「やはり、無理だったか」と、榊を振るう神官は見越していた。「引くぞ! 娘と犬を連れて行け!」
「はい!」と、二人の巫女は声を揃えると、神官達を後に残し、街から社へと退いた。
その話をノートで読んで、「おかしい」と、エリスは零す。「レンカの許容値と回復力は、ニ、三日前の『負』の影響を残すような物じゃないはずだ」
「でも、実際へばっちゃってるしねぇ」と、アランも頭を掻く。「何かの『負』からの影響があるとか?」
その言葉だけで、エリスはピンときた顔をした。
「あの桐の箱か」と言って、手の甲と手の平を叩く。
アランは以前の記述を思い出し、「これ、あっしをふうぜしはこなりて……とか言うメモがついてた箱?」と聞き返す。
「君の記録の中で、『桐の箱』って言ったら、それだけだ」
エリスは自分の手帳を取り出して、急にページをめくると、開いてる箇所にメモを取り始める。
「僕は早急に、レンカのもとに向かう。利灰で足止めを食ってるうちに」
そう言ってから、手帳のページを切り取り、「緊急時の、僕への連絡方法だ」と、メモをアランに手渡すと、本当にバタバタと足音を立てながら、慌ただしくエリスは去って行った。
とりあえずは、長い長い「お勤め」から解放されたアランではあったが、一度精度が上がったアンテナは、それからもレンカの様子を観察し続けた。
「黒い森」の三日月湖の傍らで、アランが水を覗いていると、水面の中に像が浮かんでいる。
レンカは社で禊を施され、意識を取り戻した所だった。
布団から起き上がった彼女の前に、昨日の神官の一人が進み出る。その片手には、布で包まれ、古い紐で括られた、くすんだ色の桐の箱がある。
「お前の荷の中に在ったものだ。これを、隠していたのか?」
「ううん。初めて見た」と、レンカは答える。
「だろうな。荷の底の、仕切り板の下から出て来た」と、神官は話を進める。「これからは、特殊な『負』の気配がする。私達には、直接触れる事を避けなければならないものだ」
「明美達も?」と、レンカは巫女の一人の名を上げる。
神官の答えはこうだ。
「これに触れる事できるのは、仏門の者達に限られる。彼等は『負』を癒す者としての、才覚を持って居るからな。神仕えの者達は、誰も触れられぬ。明美達も例外ではない」
レンカは暫く黙り、告白した。
「ずっと前に、『古くてしつこい者に憑かれてる』って言われた事がある。その箱が、私に『憑いてる者』のもとだったのかな?」
「それは分からん。しかし、憑きものと関係ないわけでは無かろう」
そう言って、神官は包んだ布ごと、桐の箱をレンカの手に渡した。
レンカは、布を開けてみた。赤黒い文字の書かれた古い紙が、紐の隙間にさしてある。
それを読み上げる。
「これ、あっきをふうぜしはこなりて。ときはなてばひゃくのおにをはなつ。よまいもの。あくるべからず……」
彼女が視線を上げると、神官はしっかりと幼子と目を合わせ、「それは恐らく、お前に課せられた『穢れ』だ。払うかどうか考える暇はあるだろう」と応えた。
その晩、レンカは枕元に桐の箱を置き、宛がわれた布団の中で考えた。うつ伏せで枕を抱きかかえ、ゴロゴロと寝返りを打つ。犬のサクが近くに居ないので、何となく落ち着かない。
「ひゃくのおに」と、レンカは呟いた。「はこんなか、とおある。とおがとおある。つぎはおまえのばん……」
ずっと前に聞いた、姿無き者の言葉を復唱した。
何故、研究所が用意した荷物の中に、この桐の箱が入って居たのか。考えるのであれば、研究所も、この遺物を持て余したのかもしれない。
それとも、元々私の「昔の家」に在ったものだったとか? だとしたら、私に持たせるのは妥当なのか。
そんな風に考えた所で、レンカは眠気を覚え、枕を抱きかかえたまま眠り込んだ。
翌日。本当に「早急な対策」として、エリス本人が利灰の町を訪れた。
朝七時発の列車に乗って六時間後には町に着き、後は知っている道の様に、レンカが滞在している社を突き止めた。
其処で、「新たな戦い」に挑もうとしている、二人の神官と三人の巫女、それからレンカと犬のサクを見つけた。
「レンカ!」と、エリスは呼びかけた。
レンカは、目を瞬いてから、「あー。なんだっけ」と言い出した。「えっと。エリ……エリアンじゃなくて、エリミンじゃなくて」
「エリスだよ」と、名乗ると、レンカは手を叩いて、「そうそう」と愛想笑いをした。「極地以来だね。元気にしてた?」と、聞いてくる。
エリスは台詞を取られて、少し気まずげな表情をした。
「うん。僕達は元気。君の方は?」
「うーん。ちょっと、体を張らなきゃならない事が多いかな」
「許容値オーバー気味?」
「そこを突かれると痛い」
「本当に、君はよく口が回るね」
「子供扱いは要らない」
サラサラと言い返されて、エリスは神官の方に向き直った。
「初めまして。エリス・ヴィノと申します」と、この国の言葉で挨拶をする。
その後、レンカには重要な「任」が課せられており、街の「負」を払うには適した状態ではない、と説明した。
「それは、我々も分かっている」と、神官の一人は答える。「しかし、この娘が聞かぬ者でな」
レンカはにやりと笑った。
「一宿一飯の恩を返さないうちは、他の町に行けない性分なの」
大人が困るのを分かっている表情を見て、エリスは諦めた。
「了解。僕も手を貸そう」
「エリスって、なんか特技あるの?」と、レンカ。
「ちょっとだけ、犬のサクの『上位互換』みたいな力を持ってる」と、エリス。
「何? 『負』を吹き飛ばせるの?」
「まぁ、そんな感じ」
「ふーん」と言って、レンカはニヤニヤする。「それじゃぁ、手を貸していただきましょうか」
アナントの眼から見ても、もはや、どっちが大人か分からない有様である。
ノートを取り続けるアランの手元を、アナントは見つめ続けた。




