第五話「古い記憶の残る場所」
非常に良い気分で、朔の意識領域である「白い町」を去ったアナントであったが、アランの意識領域である「灰色の街」に戻って来た時、懐かしい建物を見つけた。
以前、エリスが「来週がつまらなくなるから、入ってみない方が良い」と言っていた、大きなお屋敷だ。
あの時、エリスはちらっと郵便受けを見たようだったけど、一体何だったんだろう。
そう思って、アナントも、何かの手紙らしきものが届いている郵便受けを覗いてみた。
住所は読めなかったが、宛名の所だけは読めた。「ガルム・セリスティア様へ」と書かれている。
ガルムって誰だろう? と、アナントは首を傾げる。
封を裏返してみると、「シャニィ・ルーンより」との事だ。
その名前は聞き覚えがあった。エリスが時々話していた、メリュー達のお話に出てくる、メリュジーヌのお屋敷のメイドの名前だ。
何か此処は、エリスの記憶に関する建物なのだろうか。
そう思ったアナントは、何処にもアランの影が無いことを確認してから、ドアレバーに向かってジャンプした。
一回、二回、三回……と飛び跳ねてドアレバーを倒そうとしていると、七回目でドアを開ける事に成功した。
やれやれと、息をついてから、アナントは細く開いたドアの隙間を潜った。
ドアの先の廊下に、幾つか肖像画が飾られている。最初の肖像画を見て、「ああ、メリューだ」とアナントは気づいた。
白っぽい金髪と、水色の透き通った瞳をした、八歳くらいの女の子の肖像だった。水色のワンピースを着て、臙脂色のクッションが備えられた椅子にきちんと座り、一応は笑顔を浮かべている。
この絵が出来上がるまで、ずっと同じ姿勢で居た少女は、たぶん最後の方は笑顔なんて浮かべてなかっただろう。
次の絵を見ると、メリューの姿をずっと成長させて、髪の毛をすごく長くしたような女性が、テーブルに肘をついて微笑んでいる。
恐らく、この人物が、あの海の女主人「メリュジーヌ」であろう。確かに、すごく年の離れた姉妹のように見える。
反対側の壁を観ると、エリスによく似ている女性の肖像があった。白い髪と空のような青い瞳、それから薄いオレンジ色の肌をした。
その女性は、花瓶を飾ったテーブルの上に両肘をつき、両手で顎を支えていた。
エリスのお話の中で、白い髪の人物と言うと、「アン」と言う名前の女性が居る。恐らく、この肖像の人物で間違いないだろう。
その隣の絵は、褐色の肌と黒い髪と瞳を持った、異国の服装の男性。
その次の絵は……と言う風に、順々に絵を眺めて行くと、廊下はドアの前で行き止まりに成り、左右に伸びている。
アナントは、何となく右の廊下を先に見てみた。其処には、肖像画ではなく、額に入れられた小さなポラロイド写真が並んでいた。
その中に、アナントも見たことのある人物の写真があった。
「アルフォード・コナーズ」と名乗っていた、軍服姿の青年だ。よく見れば、他の写真の人物達も、みんな黒い軍服を着ている。
アルフォードには、エリスに連れて居たかれた「異空間」で出会ったことがある。エリスは、彼をその領域の持主だと言っていた。
どうやら、この屋敷は、エリスの記憶に関する人物達の「記念館」のような場所らしい。
道理で、アランに見せたがらなかったはずだ。
アナントはそう思ってから、左の方に伸びていた通路に足を進めた。
花の蜜から作った香水のような香りがする。
アナントは鼻をくすぐるにおいを感じながら、壁に飾られている写真を見て歩く。
左の通路には、さっき出入り口の近くで見た「アン」と言う人物の、恐らく十代くらいの頃だと思われる写真が並んでいた。
この頃のアンは、赤っぽい瞳をしている。
物としてはスナップに近く、被写体はポーズを取ってるわけではない。
アンが歯ブラシを口にくわえたまま、伝聞紙と思われる物を広げている場面もあれば、箒の房を肩に乗せて家の中の一角を歩ている場面もある。
この女性は、エリスの親類なんだろうか?
アナントはぼんやりそんな事を考えた。
物語を聞いてる上では分からなかったが、絵や写真としてその姿を見てみると、他人と言うには、アンとエリスの外見は似すぎている。
反対側の壁を観ると、そっち側は黒い髪の女性の写真が並んでいた。やはり、アンのスナップとよく似ていて、家の中で過ごしている一部を切り取ったような写真だ。
「彼女は、アヤメって言うんだ」
突然エリスの声がして、アナントはそっちを振り返った。
出入り口から真っ直ぐ伸びている通路から、エリスが覗き込んでいる。
アナントは、本人に聞きたかったことを尋ねた。
「此処には、エリスの記憶が保存されているの?」
エリスは、困ったような顔で笑んだ。何時もの、歯を見せない独特の笑い方で。
「正確には、僕の記憶じゃない。僕の原型に成った人の記憶だね」
アナントは、尻尾をゆらゆらと揺らして、その場に座り込み、前足を舐めた。口元と、目の周りを、入念にグルーミングする。
ひげの手入れが済んでから、ようやく聞いてみた。
「と言う事は、エリスは、元々は別の人だったの?」
「察しが良いね。流石はアナントだ」
エリスは、ドアががっちり閉まっていた廊下の突き当りの扉に手をかける。
「此処はね、遠い星での出来事が収められているんだ。其処は、この星と同じ伝承を受け継いでる惑星」
そう言いながら、エリスは暗い奥の間に踏み込み、アナントを手招いた。
「何番目に見つかった物かは分からないけど、その星の名前は、『テラ』」
ガランとした部屋の壁に、大きな絵が飾られている。青い海を纏った、白い雲の渦巻く惑星の絵。
「此処の軸では、ずっと過去の方にあたる。その星は自転する力を失い、近くの恒星が爆発する時の渦に巻き込まれて消滅したんだ。彼は其処で生きていた。
いや、正確に言うなら、僕になる前の一定期間を、彼としての人格を有して過ごした。その記憶の一部を受け継いで、僕は今存在してる」
「その……エリスのもとに成った人が、『ガルム・セリスティア』?」
「そうだよ」
短い返答に、アナントはエリスが言いたい事はそれで全部表せているんだと、嗅覚を鋭くした。
アナントは、壁の四方を見た。其処此処に、写真が貼られている。額に入って居るわけではなく、無造作にピンナップされている物が無数にあった。
「じゃぁ、此処は『ガルムの記念館』なのか」
それを聞いて、エリスはフフッと声を漏らした。
「中々、良い名前だね」
エリスもアナントの横に並び、ある写真に手を伸ばす。
「これが、僕の記憶に残ってるもので、一番古い『ガルム君』だ」
アナントは、壁に手をつき、一生懸命その写真を見ようとした。
エリスはその様子を見て、アナントを背から抱き上げる。
「ほら」
そう声をかけて、指をさした先にある写真の青年は、今のエリスとそっくり同じで……瞳の色だけが、強い朱緋色をしていた。
ガルムの記念館から出てくる時、アナントは約束した。
この建物の内側は、エリスとアナントだけの秘密である事と、エリスが「ガルムの記憶」を話したくなる時まで、「メリューのお話」をねだらない事。
「そのくらい、朝飯前さ」と、アナントは請け負った。
エリスはそのまま、記念館の中に残る様だった。
今は別人であるなら、思い出に浸る事もないだろうけど。「ガルム君」との対話でもしているのかね?
アナントは、そんな風に想像をめぐらし、灰色の街を「黒い森」のほうに歩いた。
来週がつまらなくなるのは、まだ先になるだろう。




